戦後昭和国内 1958
人を殺すには理由がある。
犯人になるまでの九編。
『粘土の犬』仁木悦子

書評

粘土の犬

人が「犯人」になる背景に目を向ける、仁木悦子の初期短編9編。

粘土の犬 表紙画像
仁木悦子 中央公論新社(中公文庫)1958年
目次

人はなぜ、犯人になるのか。仁木悦子『粘土の犬』に収められた短編は、犯人の名前だけでなく、その人が犯人になった背景にまで目を向けます。

江戸川乱歩に見いだされた作家の、初期の短編を集めた、増補新編集版の短編集です。同名の短編集は1958年に講談社から出ており、中公文庫版は2017年に9編を収めて編み直されました。

表題作「粘土の犬」のほか、「かあちゃんは犯人じゃない」「灰色の手袋」「黄色い花」などが並びます。長編とは別の切れ味で、この作家を知る入り口になる一冊です。

物語の入り口

短編集なので、入り口は九つあります。そのうちのいくつかを題名で挙げると、「粘土の犬」「灰色の手袋」「黄色い花」「かあちゃんは犯人じゃない」。

題名を眺めるだけで、日用品や身近な色、家族の呼び名といった、暮らしの中の言葉が並んでいるのが分かります。犯罪を扱う物語の題としては、どれもずいぶん穏やかな言葉です。

誰が犯人か、だけでなく、なぜその人が犯人になったのか。九つの短編は、それぞれ別の人と別の事情を描きます。

人を殺すからには、そこに必ず理由がある——その前提に立って、動機と背景の側から事件を見つめていきます。犯人を探す興味と、人の事情をたどる興味。

読み手は一編ごとに、その二つを同時に手渡されることになります。

一編は短く、一話ずつ区切って読み切れる長さです。『猫は知っていた』の仁木悦子を知っている人には、同じ作家がこれだけ短い紙幅で謎を立てて畳む手つきが新鮮に映るはずです。

一編ごとに人物も状況も変わるので、続けて読んでも同じ味が続くことはありません。まだ仁木悦子を読んだことがない人には、九つの短い入り口のどれからでも入れます。

目次の順に読む必要もありません。気になった題名から開き、ひとつ読み終えたところで本を閉じる。

そういう付き合い方を、この短さが許してくれます。

読みどころ

本書の核は、人が犯人になるまでの道筋を、九つの短編がそれぞれ別の角度から描き出しているところにあります。 犯人当てだけなら、短編は長編より不利です。

紙幅が短いぶん、容疑者も手がかりも少ない。仁木悦子の短編は、そこで「なぜ」に重心を置きます。

誰がやったかと同じ重さで、その人がそこへ至った事情が書かれる。かといって、犯人を当てる楽しみが薄められるわけではありません。

ただ、犯人の名前がわかることと、なぜそうなったのかがわかることは、別のことです。限られた頁数のなかで、その後者まで書き込む——そこに、この作家の短編の持ち味があります。

もうひとつは、暮らしの手ざわりです。粘土、手袋、花、かあちゃん。

題名に並ぶ言葉が示すとおり、事件は家庭や町の身近な光景から立ち上がります。名探偵の館でも密室の洋館でもなく、誰もが知っている場所で、誰かが犯人になる。

粘土の犬は子どもの玩具かもしれず、灰色の手袋は誰の手にもある冬の小物です。そういう物が題名に選ばれていること自体が、この短編集の目の高さを示しています。

この作家らしい明るい語り口はここにもあり、人が死ぬ話でも書き口が陰にこもらず、読み終えたあとに重さだけが残ることはありません。

1958年を起点とする短編集なので、暮らしの風景には時代の色があります。ただ、人が犯人になる理由に時代はなく、そこがこの短編集をいま読んでも古びさせない理由です。

九つの短編を通じて、一人の作家の初期の発想の幅と、簡潔な運びを見渡せます。

作品の背景

『粘土の犬』は、乱歩賞受賞の翌年、1958年に講談社から刊行された短編集が起点です。『猫は知っていた』で乱歩賞を受けた翌年には、もう短編をまとめた一冊が書店に並んでいたことになります。

現行版は中央公論新社の中公文庫で、2017年の増補新編集版。収録は9編で、表題作を含む初期の短編に、増補分を加えて編み直したものです。

手に取るなら

現在手に取るなら、中公文庫の増補新編集版です。電子版もあります。

兄妹ものを読む前の案内役にも、少しずつ古典本格を味わう読み方にも合う一冊で、仁木兄妹シリーズや三影潤ものを読んでいなくても入っていけます。一話が短いので、まず一編読んで肌に合うか確かめる、という試し方もできます。

人が犯人になる理由を九つ、暮らしの中の言葉を題名に持つ短編で読んでいく。仁木悦子の入り口として、長編とは別の扉です。

仁木悦子について

仁木悦子は1928年に東京府で生まれ、1986年に58歳で亡くなりました。4歳で胸椎カリエスを発病して両足が麻痺し、学校へは通わずに独学で育ちます。

戦後に童話を書き始め、旧姓の大井三重子の名でも子ども向けの作品を残しました。

姉の影響で海外の推理小説を読むようになり、書き上げた長編『猫は知っていた』は、応募先の公募企画が中止になったあと江戸川乱歩の勧めで第3回江戸川乱歩賞に回され、1957年に受賞します。同作はベストセラーとなり、明るく読みやすい作風から「日本のクリスティー」とも呼ばれました。

探偵役には、学生の仁木雄太郎・悦子の兄妹と、ハードボイルド寄りの私立探偵・三影潤の二系統があります。1961年には女性推理作家の会「霧の会」を結成し、1981年には短編「赤い猫」で第34回日本推理作家協会賞を受けました。

書誌情報

出版社
中央公論新社 / 中公文庫
刊行年
1958
ISBN-13
9784122064768
系譜
戦後昭和国内 / 連作短編

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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