他人の記憶の売り買い。
名もなき星の哀歌
記憶を小瓶に詰めて売買する裏稼業——路上で歌う星名の正体を追う結城真一郎デビュー作。
新卒で銀行に勤めはじめた青年と、漫画家を志す青年。表の顔だけを並べれば、どこにでもいそうな若者の二人組です。
ただしこの二人には、人の記憶を小瓶に詰めて売り買いする裏稼業がありました。結城真一郎『名もなき星の哀歌』は、その奇妙な「店」を足場に、路上で歌う一人の女性の素性へ踏み込んでいく青春ミステリです。
第5回新潮ミステリー大賞を受けた、著者の出発点にあたります。
物語の入り口
良平は新卒の銀行員、健太は漫画家志望。二人がひそかに営んでいるのが、人の記憶を小瓶に入れて売買する「店」です。
扱う品が記憶とはいえ、仕事は仕事。二人にはノルマがあり、それに追われて奔走する日々を送っています。
表では新人として、あるいは夢を追う身として、裏では取引の担い手として。二つの顔を行き来する慌ただしさが、物語の最初の景色です。
ある日、二人は路上ライブで流浪の歌姫・星名と出会います。一つところに落ち着かず、路上で歌い続ける女性で、その素性は謎に包まれています。
心を惹かれたのは、その歌声と、代表曲「スターダスト・ナイト」の歌詞でした。なぜ惹かれるのか、はっきりした理由はありません。
理由の見えない引力——それが、物語を前へ押し出す最初の力になります。
二人には、ふつうの若者にはない手段があります。「店」が持つ取引の力です。
二人はそれを使って、謎に満ちた彼女の正体を探ろうとします。探っていく先には、過去に起きた一家焼死事件の謎も横たわっていました。
路上で耳にした一曲から、古い火事の記憶へ——関心の糸は、思いがけない方向へ伸びていきます。その道筋を、読者は二人と同じ速度でたどることになります。
記憶の取引を手がかりに、星名の素性と一家焼死事件の謎へ近づこうとする二人。その行く手には、脅迫者の影、封印された記憶移植術、そして「スワンプマンとは誰だ」という問いが控えています。
聞き慣れない言葉も交じるこの三つの謎が、たがいに絡まりあいながら物語を引っぱっていきます。
読みどころ
読みどころは、突飛な設定と、地に足のついた二人の暮らしとが同じ紙面に並ぶところにあります。
記憶を小瓶に詰めて売買する、という仕組みそのものは、現実にはありえない特殊な設定です。けれども、その設定を動かしているのは、ノルマに追われる新人銀行員と、漫画家の夢を抱えた青年でした。
数字に焦り、夢の行方に迷う。誰にとっても身近な事情が、突飛な商売の手前に置かれています。
そのぶん、奇抜な仕掛けを抱えた物語でありながら、読み心地は青春小説のそれに近いものになっています。
もうひとつは、伏線の巧みさです。デビュー作でありながら、この点で評判を呼んだ作品でもあります。
星名の素性、過去の一家焼死事件、脅迫者の影、封印された記憶移植術。いくつもの謎が並び、絡まりあいながら頁を運んでいきます。
それでいて謎の手前には、いつも二人の若者の暮らしが置かれています。張りめぐらされた謎解きと、青春小説の眩しさ——二つの顔が背中合わせになっているところに、新潮ミステリー大賞を射止めた出発点の持ち味があります。
特殊設定の物語に身構えてしまう読者もいるかもしれません。ただ、設定の説明に振り回される前に、良平と健太の等身大の悩みが先に目に入ってきます。
二人の日々に付き合ううちに、記憶の売買という非日常も、この物語の地面として馴染んでくるでしょう。
作品の背景
2018年、「スターダスト・ナイト」という題で応募した原稿が第5回新潮ミステリー大賞を受け、改題して同じ年に新潮社から刊行されたのが『名もなき星の哀歌』でした。結城真一郎はのちに短編「#拡散希望」で第74回日本推理作家協会賞(短編部門)を受けますが、書き手としての出発点は、長編で挑んだこの新人賞のほうにありました。
その最初の作品が、記憶の売買という特殊な設定と、若者たちの青春とを一つに編んだこの物語です。
手に取るなら
いま手に取るなら新潮文庫版で、解説は新川帆立です。結城真一郎のデビュー作なので、読む順を気にする必要はありません。
『#真相をお話しします』で著者を知った読者が、さかのぼって出発点を確かめるのにも向いています。短編で見せる切れ味とはまた違う、長い物語の中で謎と情感を育てていく書き方が、ここにはあります。
応募したときの題「スターダスト・ナイト」は、作中では星名が歌う代表曲の名として残っています。路上に響いた一曲の歌が、二人をどこまで連れていくのか。
その行き先を、最後の頁まで見届けてください。
結城真一郎について
結城真一郎は1991年、神奈川県の生まれです。東京大学法学部を卒業し、会社に勤めながら書いた長編で2018年に第5回新潮ミステリー大賞を受け、翌2019年、その作品を『名もなき星の哀歌』として刊行してデビューしました。
その後は『プロジェクト・インソムニア』『救国ゲーム』と長編を重ね、2021年には短編「#拡散希望」で第74回日本推理作家協会賞の短編部門を受けています。平成生まれの作家として初めての受賞でした。
同作を収めた短編集『#真相をお話しします』は2023年の本屋大賞にもノミネートされ、ほかに連作『難問の多い料理店』などがあります。
書誌情報
結城真一郎をもっと読む
全作品一覧へ →似た読み味を、他の作家で
気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本