密室とアリバイがあった。
むかしむかしあるところに、死体がありました。
誰もが筋を知っている日本の昔ばなしを、そのまま本格ミステリの器として使い切った短編集。
「むかしむかし、あるところに」と聞いて、その先をまったく思い浮かべられない人が、この国にどれほどいるでしょうか。浦島太郎も、鶴の恩返しも、たいていの読者は子どもの頃に一度は出会っています。
青柳碧人『むかしむかしあるところに、死体がありました。』は、その誰もが知っている物語の中に、ミステリの仕掛けを持ち込んでみせた作品集です。知っている話のはずなのに、題名の最後の一語——死体——だけが、見慣れた絵本と少しずれています。
物語の入り口
「浦島太郎」や「鶴の恩返し」といった日本の昔ばなしを、密室やアリバイ、ダイイングメッセージといったミステリの主題で読み解いていく短編集です。収録は全5編。
「一寸法師の不在証明」「花咲か死者伝言」「つるの倒叙がえし」「密室龍宮城」「絶海の鬼ヶ島」です。
題名を並べてみると、昔ばなしの名前とミステリの用語が縫い合わされているのがわかります。不在証明、死者伝言、倒叙、密室。
推理小説を読み慣れた人なら思わず笑ってしまう組み合わせで、題名を眺めているだけで、どんな一編なのかを想像する楽しみが始まります。「つるの倒叙がえし」は「恩返し」の音をそのまま借りた言葉遊びで、この作品集の構えを題名の段階で伝えています。
どの編も、始まり方には共通の気安さがあります。舞台になる土地も、登場する人物の顔ぶれも、話の大まかな運びも、読者はあらかじめ知っている。
特殊な世界を舞台にしたミステリでは、その世界の決まりごとを飲み込むまでにしばらく時間がかかるものですが、ここでは決まりごとの説明がほとんど要りません。絵本や読み聞かせで聞いた記憶が、そのまま設定の資料になるからです。
読者は、登場人物の顔ぶれを最初から知っている客として、事件の起きる土地に招き入れられます。知っているはずの昔ばなしの中で、何かが起き、誰かが謎を解かねばならなくなる。
一編の分量は軽く、一話を読み切るのに長い時間はかかりません。まとまった時間が取れない日でも、一編ずつ区切って読み進められる作りです。
読みどころ
この五編が使い切っているのは、日本で育った読者なら誰もが持っている、昔ばなしという共有の土台です。
謎解きの前提になる舞台や人物を、作中で一から描き起こす必要がない。地図も人物紹介も決まりごとの説明も、その大部分を、読者が子どもの頃に済ませてきた昔ばなしの記憶に任せてしまえる。
そのぶん、短い頁の多くを謎と推理のために使えます。筋を知っている読者ほど、この省略の大胆さを——舞台の説明に頁を割かないのに迷わない心地よさとして——はっきり感じ取れるはずです。
もうひとつは、持ち込まれるミステリの型の多彩さです。密室、アリバイ、ダイイングメッセージのほかにも、題名には倒叙という言葉が見えます。
昔ばなしを舞台にするという一つの趣向を守りながら、題名に掲げられた型だけでも、不在証明、死者伝言、倒叙、密室と並びます。読み進めるたびに新しい器を渡される感覚があり、5編を続けて読んでも同じ味の繰り返しにはなりません。
推理小説をあまり読まない人には、昔ばなしという見知った入口から本格の型に触れる機会になり、読み慣れた人には、題名に掲げられた用語そのものが挑戦状のように働くでしょう。
重厚な長編の読みごたえを期待して開くと、一編の軽さが物足りなく映るかもしれません。そのかわり、一編を読み終えるまでが短いぶん、型ごとの手際を続けて見比べることができます。
作品の背景
2019年4月に双葉社から単行本で刊行されると、年末の順位表に次々と名前が載りました。週刊文春ミステリーベスト10の2019年国内7位、『ミステリが読みたい!2020年版』の国内8位、「2020本格ミステリ・ベスト10」の国内9位。
さらに2020年の本屋大賞では10位に入っています。本格ミステリの年間ランキングと、書店員の投票で決まる賞の両方に、同じ作品集が顔を出したことになります。
2009年に『浜村渚の計算ノート』でデビューした青柳碧人にとって、これはデビューから10年目の刊行にあたります。その節目の年に選んだ器が、日本の昔ばなしでした。
手に取るなら
現在手に取るなら、2021年9月に出た双葉文庫版で、290ページあまりの手ごろな厚さです。単行本から2年半足らずでの文庫化でした。
シリーズは3冊で完結しており、読む順はこの巻が起点になります。この1巻目で趣向が気に入れば、そのまま続く2冊へ進めます。
子どもの頃に絵本で読んだ話を、今度は謎解きの頁として開く。その持ち替えの感覚を、五つの話で順に味わえる一冊です。
青柳碧人について
青柳碧人は1980年、千葉市の生まれです。早稲田大学教育学部を卒業し、在学中はクイズ研究会に所属していました。
千葉市の学習塾で学習指導や教材開発に携わるかたわら書いた数学ミステリ『浜村渚の計算ノート』で、2009年に第3回「講談社Birth」小説部門を受けてデビューします。浜村渚のシリーズは長く書き継がれる代表作になりました。
日本の昔ばなしを密室やアリバイ、ダイイングメッセージといった謎解きの型に仕立てた『むかしむかしあるところに、死体がありました。』は2020年の本屋大賞で10位に入り、西洋の童話を下敷きにした赤ずきんのシリーズも続いています。2025年には、江戸川乱歩と杉原千畝を描いた歴史小説『乱歩と千畝─RAMPOとSEMPO─』が第173回直木三十五賞の候補になりました。
書誌情報
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