降ってきたのは連続殺人。
水魑の如き沈むもの
雨乞いの儀式のさなか、探偵の目の前で不可能犯罪が起きる本格ミステリ大賞受賞作
刀城言耶という人物を、先に紹介しておきます。怪奇幻想小説を書く作家で、各地の怪異譚を求めて土地の因習の中へ入っていく癖の持ち主です。
三津田信三『水魑の如き沈むもの』では、その言耶が、戦争からそう遠くない昭和の時代、奈良の山奥の波美地方を訪れています。水魑様を祀る四つの村で、数年ぶりに風変わりな雨乞いの儀式が行われる日のことでした。
儀式のさなか、言耶の眼前で不可能犯罪が起こり、神男連続殺人の幕が切って落とされます。2009年に刊行され、翌年の第10回本格ミステリ大賞を受賞した、シリーズの第五長編です。
物語の入り口
波美地方は奈良の山奥にあります。ここには水魑様という水神を祀る四つの村があり、その四つの村で、数年ぶりに雨乞いの儀式が行われることになります。
時代は戦争からそう遠くない昭和です。水神への祈り、儀式に関わる神男たち、四つの村がそれぞれに抱える事情。
言耶がこの地を訪れたのは、まさにその儀式の日でした。
そして、儀式の最中に不可能犯罪が起こります。湖上の密室殺人です。
水神を祀る村の、その水の上で起きた事件です。見ていたのは、ほかならぬ刀城言耶です。
探偵役が現場に居合わせ、目の前で不可能が起こる。伝聞ではなく、自分の目で見た出来事として謎が置かれるわけです。
怪異譚を集めて歩く作家が、聞き取るつもりで来た土地で、語られる側に回ってしまう。この転倒が、入り口の緊張を作っています。
そしてこの一件が、神男連続殺人の始まりになります。
読者が引き受けるのは、四つの村の関係と儀式の段取りです。どの村がどういう立場にあり、儀式のどの段階で何が行われるのか。
これを頭に入れながら読む必要があります。768ページという分量の多くは、その理解に費やされる時間でもあります。
ただし、その手間は無駄になりません。儀式の段取りを知っているからこそ、湖の上で起きたことの不可能さが、読み手にも実感として分かるようになっています。
読みどころ
本作の核は、信仰の言葉と論理の言葉が、同じ出来事をめぐって最後まで並走するところにあります。 水魑様のしわざだ、という村の側の解釈は、物語の中で軽んじられません。
畏れは畏れとして、最後まで書かれます。そのうえで、別の説明が組み上げられていく。
怪談を怪談のまま尊重しながら本格の手続きを踏む、というシリーズの流儀が、ここでは大賞の受賞作にふさわしい規模で展開されています。ホラーとミステリの融合とは、ここでは片方を片方に還元しないことを指しています。
もうひとつは、不可能犯罪が探偵の眼前で起こるという配置です。伝え聞いた怪異を後から調べるのではなく、見てしまった出来事を説明しなければならない。
言耶にとっても読者にとっても、逃げ場のない謎の置き方です。湖上、儀式のさなか、神男。
条件が明確であるぶん、考える楽しみもはっきりしています。信仰の側の説明と論理の側の説明が同じ現場を取り合う——その綱引きを、特等席で眺めることになります。
分量と情報量は覚悟が要ります。村の関係と儀式の段取りを覚える序盤は重く、768ページは軽い読み物ではありません。
ただ、本格ミステリ大賞の受賞作から入りたいという読者には、この重さは避けて通れない部分でもあります。まとまった時間を取れるときに、腰を据えて開くのが向いています。
作品の背景
本書は刀城言耶の連作の一冊で、2010年度の第10回本格ミステリ大賞の小説部門を受賞しました。刊行は2009年11月、原書房の叢書〈ミステリー・リーグ〉からの書き下ろしです。
「本格ミステリ・ベスト10」2011年版で国内部門3位、『ミステリが読みたい!』2011年版で国内5位、「このミステリーがすごい!」で国内7位。ホラーとミステリを溶け合わせるシリーズの流儀が、大賞と三つの年間ランキングの両方で認められた巻です。
現行版は講談社文庫で、768ページ、2015年から電子版もあります。装画は村田修です。
手に取るなら
現在手に取るなら、講談社文庫版です。768ページ、定価1,430円で、電子版もあります。
刀城言耶シリーズの第五長編ですが、波美地方の事件はこの巻の中で完結しており、シリーズを最初から追っていなくても入っていけます。賞を取った作品から読みたい、という選び方をする人には、そのまま当てはまる作品です。
四つの村の関係を頭に入れる手間と、雨乞いの儀式の重さを引き受ける覚悟のある人に。水魑様を祀る村で、探偵の目の前に不可能が置かれる——その現場に、刀城言耶と一緒に立ち会ってみてください。
三津田信三について
三津田信三は1962年、奈良県の生まれです。高野山大学文学部を卒業し、出版社で編集者として働いたのち、2001年に『ホラー作家の棲む家』でデビューしました。
出発点はホラーの側にあり、作者と同じ名の作家が登場する作家三部作では、怪談にメタ的な仕掛けを組み合わせています。
2006年の『厭魅の如き憑くもの』に始まる刀城言耶シリーズでは、怪奇幻想小説を書く作家の刀城言耶が、土地に伝わる怪異と絡み合う事件に向き合います。最後まで読まないと推理小説なのか怪異譚なのか分からない構えを持ち味とし、2010年に『水魑の如き沈むもの』で第10回本格ミステリ大賞の小説部門を受けました。
書誌情報
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