独占したのはこの一冊。
密造人の娘
主要4ミステリ賞を独占した、女性判事デボラ・ノット登場の鮮烈なシリーズ第1作。
熱い正義の心と、酒の密造人の娘という汚名。相容れないはずのこの二つを同時に背負った女性が、ミステリの歴史に名を刻む鮮烈なデビューを飾ります。
『密造人の娘』は、アメリカ南部の田舎町を舞台に、選挙戦のただ中へ18年前の未解決殺人が割り込んでくる物語です。何より知られているのは、この一作が成し遂げた記録でしょう。
物語の入り口
物語の主人公は、デボラ・ノット。34歳、独身。
職業は弁護士です。彼女が生まれ落ちたのは、かつて酒の密造で名を馳せた一族でした。
密造人の娘という出自は、南部の小さな町ではそう簡単に忘れてもらえるものではありません。表向きの正義と、背後に貼りついた汚名。
その両方を引き受けながら、彼女はいま、地方裁判所の判事という公職を目指しています。
舞台となるのは、ノースカロライナの田舎町。誰もが顔見知りで、家系も過去も筒抜けの、狭くて濃い共同体です。
そこでデボラは、地区判事の座をかけた選挙戦のただ中にいます。人の口の端に上りやすい出自を抱えた候補者にとって、これは決して楽な戦いではありません。
有権者の視線を全身に浴びながら、彼女は一票一票を積み上げようとしています。
その激戦のさなか、彼女のもとへ一つの依頼が舞い込みます。18年前に起きた、いまだ真相の知れない殺人事件。
それを改めて調べ直してほしい、という知人からの頼みでした。選挙運動だけでも手一杯のはずの時期に、彼女はあえてこの古い事件へ足を踏み入れていきます。
長い歳月のあいだ町の底に沈んでいた過去が、地元の人間関係と絡まり合いながら、ゆっくりと表面へ浮かび上がってくる。読者は、選挙戦の高揚と過去の澱みが同時に押し寄せてくる、その板挟みの只中にデボラとともに立たされることになります。
必ず犯人を見つけ出す——弁護士としての彼女の意志が、物語を前へ前へと押し出していきます。
読みどころ
この作品の芯は、南部という土地そのものが登場人物のように振る舞うところにあります。 事件は密室で完結せず、町の歴史や血縁、長年の噂話の網の目のなかで息づいています。
誰と誰がどう繋がっているか、誰が何を覚えていて何を忘れたふりをしているか——そうした土地の記憶を一枚ずつめくっていく過程が、そのまま謎に近づいていく手触りになっています。舞台を風景の書き割りで済ませず、事件を動かす当事者にまで育て上げているのが、マロンという書き手の力量です。
訛りのある会話や、代々の付き合いのなかで交わされる目配せの一つひとつが、都会の探偵小説では味わえない独特の粘度を物語に与えています。
もう一つの読みどころは、これがシリーズの幕開けだということ。女性判事デボラ・ノットという主人公が、その人となりや背負ったものごと、初めて読者の前に立ち上がる瞬間に立ち会えます。
彼女の出自、価値観、南部の共同体との距離の取り方が、事件を通して輪郭を得ていく。長く続いていく物語の第一歩を、いちばん新鮮な形で味わえる一冊です。
こんな人におすすめ
相性の話をすれば、密室の図面や時刻表を突き合わせるような、機械仕掛けのパズルを一心に求める読者には、少し重心の違いを感じさせるかもしれません。本作の面白さは、トリックの精密さよりも、土地に根を張った人間関係と、そこから立ちのぼる空気の濃さの側にあります。
裏を返せば、事件を風土や人の情のなかで読み解いていく物語が好きな読者、芯の強い女性主人公が公私の重荷を抱えながら前へ進む姿に惹かれる読者には、まっすぐ届く一冊でしょう。派手さより、土地と人の手触りをじっくり味わいたい向きにおすすめです。
作品の背景
アメリカ南部の風土を細やかに描くマーガレット・マロンの持ち味が凝縮されたのが、1992年に発表された『密造人の娘』でした。
この作品を語るうえで外せないのが、受賞歴です。本作はエドガー賞(アメリカ探偵作家クラブ賞)、アガサ賞、アンソニー賞、マカヴィティ賞という、アメリカのミステリの主要な4つの賞で、長編部門をすべて受けました。
4賞はいずれも1993年に贈られています。デボラ・ノットを主人公にした新しいシリーズは、この第一作から歩み出しました。
手に取るなら
入手はハヤカワ・ミステリ文庫版(2015年8月)です。邦訳が最初に出たのは1995年12月で、ハヤカワ文庫のミステリアス・プレス文庫の一冊でした。
デボラ・ノットのシリーズを読むなら、主人公と初めて出会うこの一冊から入るのが順当です。南部ミステリの豊かさへの、確かな入り口となる代表作です。
マーガレット・マロンについて
マーガレット・マロン(1938〜2021)は、アメリカ・ノースカロライナ州グリーンズボロ生まれの作家です。同州ジョンストン郡で育ち、イタリアやニューヨークのブルックリンで暮らしたのち、1972年に故郷の州へ戻りました。
1981年、ニューヨーク市警の警部補シグリッド・ハラルドが活躍する『One Coffee With』で長編デビューし、このシリーズを書き継ぎます。1992年からは、ノースカロライナの判事デボラ・ノットを主人公にしたシリーズを始め、2015年までに20作を重ねました。
同シリーズでアガサ賞の長編部門を3度受けています。犯罪小説を書く女性作家の団体シスターズ・イン・クライムの創設メンバーで、会長も務めました。
2013年にはアメリカ探偵作家クラブ(MWA)の巨匠賞にあたるグランド・マスター賞を受けています。
書誌情報
似た読み味を、他の作家で
気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本