黄金期国内 1980
人探しを頼まれた探偵。
相手はもう怪死していた。
『悪霊島』横溝正史

書評

悪霊島

瀬戸内の孤島で悪霊の伝説と開発計画が交差する、横溝正史最後の長編です。

目次

横溝正史が最後に書き上げた長編は、瀬戸内海の孤島を舞台にしています。連載を終えたのが1980年。

作家が世を去るのは、その翌年の暮れでした。戦後ずっと金田一耕助を書き続けた人が、締めくくりに選んだのは、外から持ち込まれた開発の金と、島に積もった時間とがぶつかる場所です。

『悪霊島』は、金田一が岡山で旧知の警部と再会するところから動き出します。

物語の入り口

物語が動き出すのは1967年、昭和42年のことです。依頼は、人探しでした。

アメリカ帰りの億万長者、越智竜平から人探しを頼まれて、金田一耕助は岡山を訪れます。そこで久しぶりに顔を合わせたのが、磯川警部でした。

長い付き合いの探偵と警部が、旧交を温める。ここまでは、穏やかな再会の場面です。

久しぶりに会った二人が、近況を語り合う。事件の影は、まだどこにもありません。

ところが、再会の席で警部が明かしたのは、金田一の捜していた相手が謎の言葉を残して怪死していた、という話でした。探していた相手は、もういない——依頼は、始まる前に形を失いました。

しかも依頼人の越智は、出身地である刑部島に大がかりなレジャー施設を建てている最中で、そのことで島の人々から反感を買っていました。死んだ尋ね人と、島を相手どった開発。

二つの話が、同じ刑部島へつながっていきます。

読者が腰を下ろすのは、旧交を温める二人の卓の隅です。尋ね人が誰だったのか、残された謎の言葉とは何か、島で何が待っているのか。

どれも、まだ告げられていません。刑部島がどんな島なのか、島の人々が何を守ろうとしているのか、それも岡山にいる金田一にはまだ見えていません。

わかっているのは、瀬戸内海の孤島に外から金が流れ込もうとしていることと、尋ね人が謎の言葉を残して死んだことだけです。金田一が警部から聞かされた話を、読者も同じ卓で聞くことになります。

ここから、島へ渡る道のりが始まります。

読みどころ

本作の醍醐味は、外から来る開発と、島に積もった時間とのぶつかり合いにあります。

高度成長を通り抜けた日本で、瀬戸内の小さな島にレジャー施設が建とうとしている。持ち込まれる金と、そこで長く守られてきた決まりごと。

横溝が繰り返し描いてきた閉じた共同体の物語が、ここでは同時代の変化と正面から噛み合っています。1967年という作中の年代は、『獄門島』や『八つ墓村』が書かれた戦後まもない頃から、そのまま歳月を進めた位置にあります。

同じ作家が、同じ探偵で、変わってしまった日本を書いている。晩年の長編ならではの見晴らしです。

もうひとつは、道具立ての妖しさです。絶海の孤島、島に伝わる悪霊の言い伝え、尋ね人が残した謎の言葉。

怪しげな材料を惜しみなく並べた島へ、探偵として渡っていくのは、戦後ずっと書き継がれてきた金田一耕助です。題名に「悪霊」を掲げた舞台に、見慣れた探偵が足を踏み入れる。

古い言い伝えの気配と、飄々とした探偵の足取り——その取り合わせを一冊のなかで味わえるのが、この物語の贅沢なところです。

怪奇の色が濃い序盤は、その手の道具立てが苦手な読者には重く映るかもしれません。けれども、島に積もった時間を肌で感じておかなければ、開発の金がぶつかる音は聞こえてきません。

横溝正史が最後に書き上げた金田一の事件を、その重さごと受け取ってみてください。

作品の背景

横溝作品の角川文庫版が1970年代に空前の売れ行きを見せ、本作は、その売れ行きのさなかに書かれた晩年の一冊です。『野性時代』の1979年新年号から15回にわたって連載され、単行本は1980年7月、角川書店から出ました。

同じ年の週刊文春ミステリーベスト10は、本作を国内7位に置いています。

ややこしいのは『病院坂の首縊りの家』との前後関係です。作中の時の流れで金田一耕助の最後の事件にあたるのは『病院坂』のほうですが、執筆の順でしんがりを務めたのは『悪霊島』でした。

作家の筆が最後に書き上げた金田一は、こちらにいます。

手に取るなら

現在は角川文庫〈金田一耕助ファイル〉19として上下巻で読め、電子書籍にもなっています。カバーイラストは杉本一文。

1981年10月には篠田正浩監督、鹿賀丈史主演で映画化され、劇中にビートルズの「Let It Be」と「Get Back」が使われています。シリーズを初めて読む人でも物語は追えますが、磯川警部との再会には、長く付き合ってきた読者にしか分からない感触があります。

横溝正史が最後に書き上げた長編を、島の空気ごと味わう一冊です。

横溝正史について

横溝正史は1902年、兵庫県神戸市の生まれです。1921年、雑誌『新青年』の懸賞で一等に選ばれた「恐ろしき四月馬鹿」で世に出て、大阪薬学専門学校を卒業したのち、1926年に江戸川乱歩の招きで上京して博文館に入りました。

『新青年』などの編集長を務め、1932年に退社して作家専業となります。戦前は由利麟太郎を探偵役にした『真珠郎』などを書き、戦時中は岡山県に疎開しました。

戦後、金田一耕助が初めて登場する『本陣殺人事件』で1948年に第1回探偵作家クラブ賞の長編賞を受け、『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』と、金田一ものの長編を書き継いでいきます。1970年代には角川文庫での再刊と映画化が重なって、まったく新しい世代の読者を得ました。

1976年に勲三等瑞宝章を受け、1981年に没しています。

書誌情報

出版社
角川書店
刊行年
1980
ISBN-13
9784041304679
系譜
黄金期国内 / シリーズ探偵物 · 名探偵もの
受賞歴

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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