それでも先生は死んだ。
悪魔を憐れむ
見張っていたはずの老教師はなぜ死んだのか、酒場の議論で不可解を崩していく4編。
見張っていたのに、死なせてしまった。西澤保彦『悪魔を憐れむ』の表題作は、その悔いを抱えた匠千暁から始まります。
「恩師が跳び降り自殺しないように見張ってほしい」——大学OBの居酒屋店主にそう頼まれた千暁は、現場で待機していました。それでも先生は死んでしまう。
老教師はなぜ死ななければならなかったのか。その理由を追う一編を含む四編を収めた、匠千暁シリーズの10冊目です。
2016年に幻冬舎から刊行され、翌年の第17回本格ミステリ大賞で小説部門の候補に選ばれ、「本格ミステリ・ベスト10」2018年版では国内7位に入りました。
物語の入り口
匠千暁シリーズの舞台は、四国の安槻市にある大学です。中心にいるのは人文学部英文学科の匠千暁、通称タック。
高瀬千帆、通称タカチ。「安槻大学の牢名主」と呼ばれる情報通の辺見祐輔、通称ボアン先輩。
心理学科の羽迫由起子、通称ウサコ。この四人が、事件のたびに顔を合わせます。
やり方が独特で、酒を飲みながら仮説を立てては壊し、また立て直しながら真相へ近づいていく。長編は時系列に沿って進むので、シリーズを追うことは、そのまま彼らの青春を追うことでもあります。
表題作の依頼は、居酒屋の店主から来ます。大学のOBで、千暁にとっては先輩筋の人物です。
恩師が跳び降り自殺をするかもしれない、だから見張ってほしい。そう頼まれて、千暁は現場で待機します。
ところが、先生は死んでしまいます。見張り役を引き受けた人間が、止めるはずだった死を止められなかった。
千暁は老教師の死の理由を追い、やがて真犯人から〈悪魔の口上〉を引き出すことになります。自殺を見張っていたはずの話に、犯人がいる。
題名の「悪魔」は、この口上に掛かっています。
二編目は「無間呪縛」。刑事の実家で、二十三年間続いている午前三時の心霊現象を扱います。
二十三年、という長さがまず目を引きます。一晩や一週間の怪異ではなく、家に住みついた何かです。
それも、刑事の実家で。職業柄、筋の通らないものを筋の通らないままにしておけない人の家で、二十三年ものあいだ、筋の通らないものが続いている。
その謎と、奥に隠された真実に挑む一編です。
これに「意匠の切断」「死は天秤にかけられて」を加えた四編です。見張りの失敗と、二十三年続く午前三時。
この二編を並べただけでも、入り口の顔はまるで違います。
読みどころ
読みどころは、四編の入り口がまったく違う顔をしているのに、共通しているのが「筋が通らない」という一点だけ、というところにあります。 頼まれごとから始まる話がある。
二十年以上も家に居座り続けてきた現象がある。どれも、そのままでは説明がつきません。
そこへ、酒場の議論で一つずつ手を入れていく。仮説を出す。
誰かが壊す。壊れたところから、また立て直す。
怪しげな入り口から入って、最後は人間の理屈で出口を見つける。その運びが、この連作を20年以上支えてきました。
もうひとつは、探偵役自身が当事者になっている表題作の重さです。見張りを引き受けたのは千暁で——死なせてしまったのも、千暁です。
事件を外から眺めて仮説を組む立場ではなく、自分の失敗の理由を探す立場から、議論が始まる。老教師はなぜ死ななければならなかったのか、という問いは、なぜ自分は止められなかったのか、という問いと重なります。
〈悪魔の口上〉という言葉は、その重なりの先に置かれています。
短編だからさらっと読み終わる、と思って開くと、その期待は少し外れるかもしれません。四六判で412ページ。
短編集としてはたっぷりした分量で、一編あたりに十分な尺が取られています。そのぶん、議論の一手一手を追う楽しみがあります。
仮説がどこで壊れ、何を足せば立て直せるのか。その手順を飛ばさずに読む人に向いた本です。
作品の背景
匠千暁シリーズの第1作は、1995年の『解体諸因』です。これは西澤保彦のデビュー作でもあり、この連作は著者の作家としての歩みとほぼ同じ長さを持っています。
『悪魔を憐れむ』は、デビューから22年目に出た10冊目にあたります。
単行本は2016年11月24日、幻冬舎から。四六判で412ページです。
翌2017年の第17回本格ミステリ大賞では小説部門の候補になりました。受賞は竹本健治『涙香迷宮』で、候補にはほかに白井智之『おやすみ人面瘡』、井上真偽『聖女の毒杯』、早坂吝『誰も僕を裁けない』が並んでいます。
「本格ミステリ・ベスト10」2018年版では国内7位。1位は今村昌弘『屍人荘の殺人』でした。
2019年10月9日には文庫化されています。
手に取るなら
現在は幻冬舎文庫で読め、電子版もあります。シリーズの途中の巻ですが、短編集という形なので、ここから読み始めても置いていかれることはありません。
四人の名前と、酒を飲みながら仮説を回すやり方さえ頭に入れておけば十分です。手ざわりが気に入ったら、シリーズの始まりの『解体諸因』まで遡ってみてください。
西澤保彦について
西澤保彦は1960年、高知県安芸市に生まれ、2025年に64歳で亡くなりました。アメリカのエカード大学で創作法を学び、帰国後は高知大学経済学部の教務助手や高校の講師を務めながら小説を書き続けます。
1990年には「聯殺」が第1回鮎川哲也賞の最終候補に残り、1995年に『解体諸因』で作家としてデビューしました。
同じ一日を繰り返す『七回死んだ男』や『人格転移の殺人』のように、SF的な設定を本格ミステリに持ち込み、その規則を示したうえで推理の土台に据える作風で知られます。〈匠千暁〉〈神麻嗣子〉〈腕貫探偵〉と複数のシリーズを並行して書き継ぎ、2023年には短編「異分子の彼女」で第76回日本推理作家協会賞の短編部門を受けました。
書誌情報
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