楽に暮らすはずだった。
名探偵再び
名探偵だった大叔母の名前だけを借りた高校生が、本物の事件に引きずり出される連作。
時夜翔(ときやしょう)は、私立雷辺(らいへん)女学園に入学したばかりの生徒です。大叔母は、かつてこの学園の名探偵でした。
潮谷験『名探偵再び』は、その名探偵の身内という立場だけを携えて学園に入った彼女のもとへ、事件解明の依頼が舞い込むところから動き出す連作です。謎を解きたくて探偵になるのではない。
ちやほやされる学園生活を目論んでいたところに、ピンチとして事件がやってくるのです。
物語の入り口
話は30年前にさかのぼります。私立雷辺女学園には、ひとりの名探偵がいました。
数々の難事件を解決し、警察からも助言を求められるほどの存在です。学園の名探偵の推理が、学園の外の捜査にまで頼りにされていたことになります。
その名探偵には、宿敵がいました。学園の悪を裏で操っていた理事長・M。
学園の頂点にいる人物が、同時に悪の元締めでもあったわけです。名探偵は理事長・Mと対決し、両者はともに雷辺の滝に落ちて亡くなりました。
滝の名も、学園と同じ「雷辺」です。学園に巣くっていた悪意は、こうして名探偵とともに去ったのです。
それから30年。悪意が去ったあとの学園に、時夜翔が入学してきます。
彼女は、あの名探偵の大叔母を持つ身です。学園の伝説の身内として、このままちやほやされて学園生活を送れる——入学した翔の目論みは、およそそんなところでした。
名探偵の血縁であることは、彼女にとって推理の力の保証ではなく、居心地のいい肩書きです。事件を解いた大叔母と、その名声の恩恵だけを受け取りたい新入生。
二人のあいだには、30年という時間が横たわっています。
ところが、その翔のもとへ事件解明の依頼が舞い込みます。ちやほやされるための肩書きを携えた新入生の前に、名探偵の仕事そのものが差し出される——目論みとは正反対の事態です。
依頼は栄誉ではなく、切り抜けるべきピンチとして彼女の前に置かれるのです。大叔母の威光に守られて過ごすはずだった学園生活は、入学したそばから思わぬ方向へ転がり始めます。
読みどころ
読みどころは、探偵役が「謎を解きたい」と望んでいないところから話が動く、その出発点にあります。
依頼を受けるのは、名探偵本人ではなく、その身内の新入生です。しかも本人は、謎を解きたいとは望んでいない。
探偵役が事件を求めて動くのではなく、事件の依頼に追い立てられる形で話が始まる。大叔母の名声に寄りかかって学園生活を送るつもりだった翔の前に、事件は、解きたい謎ではなく切り抜けたい窮地として現れます。
謎を求めて動く探偵とは、事件との向き合い方が出発点から逆になっています。
もうひとつは、連作短編集という形式です。一話ずつ区切りをつけながら読み進められる形です。
シリーズものではないため、この書き手の他の作品を知らなくても入っていけます。同じ書き手が2024年に出した『伯爵と三つの棺』は「本格ミステリ・ベスト10」で国内4位、「ミステリが読みたい!」で6位。
この連作も、同じ二つのランキングの2026年版で国内8位、国内篇3位に入りました。
こんな人におすすめ
学園を舞台にした連作ミステリを探している人に向いています。30年前に名探偵と理事長・Mが対決したという前史を背負った学園、という舞台に惹かれる人にも手に取りやすいはずです。
名探偵の役目を、望まないまま事件を持ち込まれる側から始まる物語に興味がある人にも合うでしょう。この作家を初めて読む人にとっても、シリーズの前提を必要としない入り口になります。
作品の背景
『名探偵再び』は、2025年4月16日に講談社から刊行されました。年末のランキングでは「ミステリが読みたい!」2026年版で国内篇3位、「本格ミステリ・ベスト10」2026年版で国内8位、「このミステリーがすごい!」2026年版で16位に入りました。
形式は連作短編集で、シリーズものではありません。潮谷験をまだ読んだことがない人が、ここから入っても差し支えない作品です。
手に取るなら
いま手に取るなら、2025年4月刊の講談社の単行本です。四六変型判の272ページで、電子版は単行本の前日、2025年4月15日から配信されており、耳で聴ける Audible 版も出ています。
30年前に名探偵を失った学園で、その身内の新入生が、望んでもいない依頼と向き合うことになります。
潮谷験について
潮谷験は1978年、京都府の生まれです。大学で東洋史学を専攻したのち、2021年に『スイッチ』(刊行時に『スイッチ 悪意の実験』と改題)で第63回メフィスト賞を受けてデビューしました。
その後は『時空犯』『エンドロール』『あらゆる薔薇のために』『ミノタウロス現象』『伯爵と三つの棺』『名探偵再び』『誘拐劇場』と、ほぼ毎年のように新作を発表しています。押しても押さなくても報酬の変わらないスイッチをめぐる心理実験、千回近く繰り返される一日、フランス革命期のヨーロッパの小国と、作品ごとに舞台や設定を大きく変え、そのなかで筋の通った推理を組み立ててみせる書き手です。
『伯爵と三つの棺』は2025年に本格ミステリ大賞、日本推理作家協会賞、吉川英治文学新人賞の候補に挙がりました。日本推理作家協会の会員で、本格ミステリ作家クラブにも所属しています。
書誌情報
潮谷験をもっと読む
全作品一覧へ →似た読み味を、他の作家で
気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本