次の回で博士が殺された。
時空犯
千回近く巻き戻された一日の原因を探る探偵が、繰り返しの中で殺人に向き合います。
今日という一日が、すでに千回近く繰り返されている。そう告げられたとき、その話を真に受けて仕事を引き受ける探偵はいるでしょうか。
潮谷験『時空犯』の私立探偵は、報酬一千万円という破格の条件のもとで、その依頼に向き合います。繰り返されていると依頼人が言う日付は、2018年6月1日。
「リアルサウンド認定2021年度国内ミステリーベスト10」で第1位に選ばれた、著者の2作目です。
物語の入り口
私立探偵の姫崎智弘のもとに、破格の依頼が舞い込みます。報酬は一千万円。
依頼主は、情報工学を専門とする研究者、北神伊織博士です。博士の話では、依頼日である今日、2018年6月1日は、すでに千回近くも巻き戻されているといいます。
求められているのは、その原因を突き止めることでした。
原因を探るため、探偵を含めたメンバーは、巻き戻しを認識することができるという薬剤を口にします。巻き戻しの原因を探る仕事は、まずその準備から始まるわけです。
そして再び6月1日が訪れた直後、依頼主である博士が、他殺死体で発見されます。
順序に目を留めておくと、この物語の組み立てが見えてきます。探偵が最初に引き受けたのは、殺人事件の捜査ではありません。
依頼を受けた時点では、まだ誰も殺されていないのです。求められていたのは「なぜ巻き戻しが起きているのか」という、およそ私立探偵の仕事らしくない現象の原因究明でした。
殺人は、そのあとから重なってきます。依頼の中身と、起きてしまった事件の中身とが一致していない。
この食い違いが、物語の出発点に置かれています。
こうして、依頼の段階から探偵の隣に座らされた読者の前で、事件の種類が途中で入れ替わります。巻き戻しの原因を探るはずだった探偵は、依頼主その人の死とも向き合わなければならなくなる。
一千万円の依頼をした当人が、被害者になってしまうのです。現象を調べるはずだった仕事の上に、殺人という別の問いが載る——物語が動き出すのは、この地点からです。
読みどころ
本作の核にあるのは、博士殺しの犯人と、巻き戻しの原因という、並び立つ二つの問いです。
「誰が博士を殺したのか」と「なぜ一日が巻き戻り続けているのか」。ふつうの殺人事件であれば前者だけを追えば済みますが、ここでは後者が最初から探偵の仕事として立っています。
現象の謎と殺人の謎が、同じ一日の上に並べられている。二つの問いを抱えたまま進む構えが、この作品の骨組みです。
もうひとつは、巻き戻しという設定の効き方です。同じ日が繰り返されるという決まりは、雰囲気づくりのための飾りではなく、推理の材料として働きます。
一日が何度でもやり直せる世界では、一度きりの偶然に頼った説明が通らなくなる。時間を扱う奇抜な設定が、そのまま謎解きの条件を厳しくする方向に使われています——突飛な前提を持ち込みながら、推理の手続きのほうは緩めない作りです。
分量のある長篇ですが、考えるべきことが途切れないため、読む手は止まりにくい作りです。二つの問いと、繰り返される一日という条件。
その組み合わせが、頁を進める力になっています。
こんな人におすすめ
時間が巻き戻るという設定を、雰囲気ではなく推理の条件として味わいたい人に向きます。犯人は誰かという問いと、現象の原因は何かという問いを、同時に抱えながら頁をめくる読み方を楽しめる人にも合うでしょう。
特殊設定ミステリを好んで読んできた人はもちろん、そうした設定に身構えてきた人にとっても、論理の筋道で組み立てられた作品として入りやすいはずです。デビュー作『スイッチ 悪意の実験』を読み、著者の次の作品を知りたくなった人にとっては、その次に刊行された作品として手に取りやすい位置にあります。
作品の背景
『時空犯』は2021年8月19日、講談社から四六変型判の単行本として刊行されました。第63回メフィスト賞を受けたデビュー作『スイッチ 悪意の実験』の刊行からおよそ4カ月後に出たのが、この2作目でした。
評価は、複数の年間ランキングに及びました。先に挙げた「リアルサウンド認定2021年度国内ミステリーベスト10」の第1位に加え、『2022本格ミステリ・ベスト10』では国内15位、「ミステリが読みたい!2022年版」では国内篇17位に入りました。
受賞作に続く作品が、順位という形で数字を残した例です。
手に取るなら
単行本は2021年8月19日刊、四六変型判で定価1,925円でした。いま手に取るなら、2023年1月17日に刊行された講談社文庫版で、定価968円です。
4カ月先に出たデビュー作『スイッチ 悪意の実験』も講談社文庫で読めるので、2021年の潮谷験を刊行順にたどることもできます。千回近く繰り返された6月1日から、探偵の仕事が始まります。
潮谷験について
潮谷験は1978年、京都府の生まれです。大学で東洋史学を専攻したのち、2021年に『スイッチ』(刊行時に『スイッチ 悪意の実験』と改題)で第63回メフィスト賞を受けてデビューしました。
その後は『時空犯』『エンドロール』『あらゆる薔薇のために』『ミノタウロス現象』『伯爵と三つの棺』『名探偵再び』『誘拐劇場』と、ほぼ毎年のように新作を発表しています。押しても押さなくても報酬の変わらないスイッチをめぐる心理実験、千回近く繰り返される一日、フランス革命期のヨーロッパの小国と、作品ごとに舞台や設定を大きく変え、そのなかで筋の通った推理を組み立ててみせる書き手です。
『伯爵と三つの棺』は2025年に本格ミステリ大賞、日本推理作家協会賞、吉川英治文学新人賞の候補に挙がりました。日本推理作家協会の会員で、本格ミステリ作家クラブにも所属しています。
書誌情報
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