絵を壊した犯人にされかけた。
彼女の色に届くまで
名画を手がかりに事件を読み解きながら、才能という主題にまで届いてしまう連作。
校内で一枚の絵が壊され、疑いの矛先が画廊の息子である高校生に向かいます。公募には落ち続け、画家への一歩を踏み出せないまま冴えない毎日を送っていた少年が、よりによって絵を壊した犯人にされかけているのです。
似鳥鶏『彼女の色に届くまで』は、この窮地に無口な同級生が割って入る場面から動き出す、絵画と謎解きの連作です。彼女が真相へ向かう足がかりにするのは——美術の教科書や画集で見覚えのある、あの名画たちでした。
物語の入り口
語り手の緑川礼は、画廊の息子です。幼い頃から画家を志してきましたが、美術展の公募では落選が続き、画家としての一歩をどうしても踏み出せずにいます。
高校生活も期待していたものとは違いました。友人と呼べるのは、筋肉に異様な情熱を注ぐ変わり者がひとりだけ。
冴えない毎日が、ただ過ぎていきます。
転機は、高校生活も半ばを過ぎた頃に訪れます。校内で絵画が損壊される事件が起き、緑川はその犯人にされかけるのです。
追い詰められた彼を救ったのは、同じ学年の千坂桜でした。無口で、どこか謎めいた美少女です。
千坂は有名な絵画をヒントに、事件の真相を解き明かしてみせます。
そこから緑川の日々は一変します。天才的な美術センスを持つ千坂とともに、彼は絵画にまつわる事件へ次々と巻き込まれていく。
しかも連作は高校で終わらず、芸大、そして社会人へと時間を進めていきます。全体は五つの章で組まれ、章題は「雨の日、光の帝国で」「極彩色を越えて」「持たざる密室」「嘘の真実と真実の嘘」、そして終章の「いつか彼女を描くまで」です。
作中には、ルネ・マグリット『光の帝国』、ジャクソン・ポロック『カット・アウト』、パウル・クレー『グラス・ファサード』をはじめ、実在する名画が数多く登場します。読者は、描く側に立ちたいのに立ちきれない若者の目の高さに据えられ、その隣で謎を解く少女の横顔を、少し離れた場所から見上げることになります。
画家を目指す語り手と、謎を見抜く天才。この二人の歩幅の違いを抱えたまま、物語は最初の事件の幕を開けます。
読みどころ
読みどころは、実在の名画を謎解きのよりどころに据え、その絵を口絵で確かめられる仕掛けにあります。
文庫版にはカラー口絵が付いています。作中で名前の挙がる絵を、文字の説明だけで想像するのではなく、色と形として目の前に置いたうえで読み進められるわけです。
美術に詳しくなくても、絵そのものを眺めながら推理の筋道を追える。名画を小道具ではなく、謎を解く材料として扱う連作だからこそ、この口絵が効いてきます。
美術館で一枚の絵の前に立ち止まるような時間が、謎解きのなかに組み込まれている、と言えばよいでしょうか。
もうひとつは、連作が年月をまたいでいく構成です。高校から芸大、社会人へと舞台が移り、一話ごとに主人公たちの立つ場所が変わっていきます。
その歩みを通して問われ続けるのが、才能です。一話ごとに謎は閉じても、才能という主題は章をまたいで連作全体を貫いています——画家を志す少年と、天才と呼ばれる少女を並べた時点で、その問いは最初から物語の芯に置かれているのです。
こんな人におすすめ
美術館に足を運ぶのが好きな人、名画の前で立ち止まった経験のある人には、とりわけ楽しい読書になるはずです。学園を舞台にした謎解きを好む読者にも入りやすい作りですし、夢と現実のあいだで揺れる青春小説として手に取る人もいるでしょう。
逆に、大がかりな犯罪劇を目当てにする人には、絵画をめぐる謎という題材が合わないかもしれません。画家を志しながら公募に落ち続ける語り手の焦りには、何かを目指して足踏みした経験のある人ほど覚えがあるはずです。
作品の背景
『彼女の色に届くまで』は2017年3月にKADOKAWAから単行本で刊行されました。翌2018年の第18回本格ミステリ大賞では小説部門の候補に挙がり、この年の受賞は今村昌弘『屍人荘の殺人』でした。
あわせて日本推理作家協会賞の短編部門でも候補になっています。デビュー以来書き継いできた学園ものの舞台に、絵画という題材を持ち込んだ連作です。
手に取るなら
いま手に取るなら、2020年2月に出た角川文庫版です。352ページで、先に触れたカラー口絵が付き、さらに掌編仕立ての文庫版あとがきが書き下ろしで加えられています。
単行本で読んだ人にとっても、口絵とあとがきは文庫で手に取り直す理由になるでしょう。独立した連作なので、著者の他のシリーズを知らなくても問題なく読めます。
口絵の名画を一枚ずつ眺めてから、少女の見ている色に、画家志望の少年と一緒に手を伸ばしてみてください。
似鳥鶏について
似鳥鶏は1981年、千葉県の生まれです。2006年、『理由あって冬に出る』が第16回鮎川哲也賞の佳作に入り、デビューしました。
同作に始まる〈市立高校〉シリーズのほか、〈楓ヶ丘動物園〉シリーズ、『戦力外捜査官』に始まる警察もの、『難事件カフェ』など、学校、動物園、警察、喫茶店と舞台の異なる系列をいくつも並行させながら、謎解きを書き継いできました。『戦力外捜査官』はテレビドラマにもなっています。
2017年の『彼女の色に届くまで』は、第18回本格ミステリ大賞の候補に挙がりました。
書誌情報
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