病院に回されてきた。
天久鷹央の推理カルテ 完全版
診断困難の患者だけが集まる病院の一室で、怪奇に見える現象が医学の言葉に翻訳されていく。
病気と書いて、ナゾと読む。診断を下すことと謎を解くことが、ここでは同じ動作として扱われます。
知念実希人『天久鷹央の推理カルテ 完全版』は、その趣向で書かれたシリーズの第1作で、四つの話を収めた連作短編集です。書いたのは現役の内科医で、医療ミステリーのシリーズはここから幕を開けます。
舞台は病院の一部門、謎を運んでくるのは患者たちの訴えです。
物語の入り口
舞台は天医会総合病院です。この病院には統括診断部という部門があり、各科で「診療困難」となった患者が、そこへ回されてきます。
ほかの科で答えの出なかった訴えが、ひとつの部門に集まってくる仕組みです。病院の中に、行き先の決まらない患者のための受け皿が一つ用意されている、と言い換えてもよいでしょう。
その部門の長を務めるのが、天久鷹央。明晰な頭脳と圧倒的な知識で、あらゆる疾患を見抜く天才医師です。
部長の肩書きを持つ彼女のもとへ、ほかの医師たちが手に負えなかった患者が、次々に送り届けられます。
同じ部門には、小鳥遊優という医師も籍を置いています。もとは大学病院の外科医で、内科へ移ることを決めてこの病院に来た人物です。
シリーズではこの小鳥遊が語り手の役を担います。
持ち込まれる訴えは、たとえばこんなものです。原因のわからない意識障害。
河童を目撃したという少年。人魂に怯える看護師。
病名の欄にそのまま書き込めそうな症状と並んで、河童や人魂といった、診察室にはおよそ似つかわしくない言葉が混じっています。
怪異めいた話の奥に、どんな病が隠れているのか。それを見定めることが、統括診断部の部長に課された仕事です。
読者は語り手と同じ席に座り、送られてきた患者の訴えを、最初の一言から聞くことになります。
読みどころ
読みどころは、診断という医師の日常の仕事を、そのまま謎解きの枠組みに据えた設計にあります。
各話には「Karte.01」から「Karte.04」までの番号が振られています。収録作は「泡」「人魂の原料」「不可視の胎児」「オーダーメイドの毒薬」の4編で、前後をプロローグとエピローグが挟みます。
書名にも各話の番号にも、医療の現場で診療の記録を指す「カルテ」の語が使われています。先に挙げた三つの例も、意識障害、少年の目撃談、看護師の怯えと、いずれも誰かの症状や訴えとして持ち込まれるものです。
謎が患者の訴えという形で届く——病院の仕組みそのものが、謎の入り口として働いています。
もうひとつは、書き手の立ち位置です。著者は内科医として働きながら書いており、探偵役に据えたのも、診断を仕事とする医師でした。
医師が医師を探偵役に立てたシリーズの出発点が、ここにあります。
シリーズの中での置かれ方にも特徴があります。刊行順では最初の巻ですが、部長と語り手の出会いは、のちの第4巻でさかのぼって描かれることになります。
この第1作の時点で、語り手はすでに統括診断部の一員です。出会いの経緯を知らないまま、並んで働く二人のところから読み始める——シリーズの入り口は、そういう形をしています。
完全版には、書き下ろし掌編「蜜柑と真鶴」が新たに加わりました。原版を新潮文庫nexで読んだ人にとっても、この掌編は完全版で初めて読める一編です。
こんな人におすすめ
医学の知識が推理の材料として使われる本格ミステリを探している人に向きます。TVアニメでこのシリーズを知り、原作をシリーズの最初から追いたい人にとっても、ここが出発点です。
4編と書き下ろし掌編に分かれた連作なので、区切りのある構成を好む人にも手に取りやすい形です。
作品の背景
天久鷹央のシリーズは、2014年9月29日に新潮文庫nexから出たこの作品で始まりました。2023年10月からは実業之日本社文庫で、新しいカバーに書き下ろしの掌編を加えた完全版として順に刊行され直しています。
シリーズの部数は200万部を超えています。2025年1月にはTVアニメの放送も始まり、キャラクター原案はいとうのいぢが手がけています。
手に取るなら
いま手に取るなら、実業之日本社文庫の完全版です。304ページ、定価803円で、書き下ろし掌編「蜜柑と真鶴」を収めています。
シリーズの第1作ですから、ここから読み始めれば刊行順にそのまま進めます。出会いの巻である第4巻は、『スフィアの死天使』の題で出ています。
まずは統括診断部の扉を開けて、最初のカルテをめくってみてください。
知念実希人について
知念実希人は1978年、沖縄県の生まれです。2004年に東京慈恵会医科大学を卒業して医師となりました。
内科医として勤務するかたわら小説を書き、2011年に「レゾン・デートル」で第4回島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受けます。翌2012年、同作が『誰がための刃 レゾンデートル』として刊行され、作家としてデビューしました。
医師としての知識と経験を生かした医療ミステリで知られ、「天久鷹央」シリーズや、2015年に啓文堂書店の文庫大賞を受けた『仮面病棟』などを書き継いできました。『崩れる脳を抱きしめて』『ひとつむぎの手』『ムゲンのi』『硝子の塔の殺人』、児童書の『放課後ミステリクラブ』と、本屋大賞の候補に挙がった作品も数多くあります。
書誌情報
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