家から出ない映画狂。
キネマ探偵カレイドミステリー
部屋から出ない映画狂が、運ばれてくる情報だけで事件の形を描き出す連作デビュー作。
「休学中の秀才・嗄井戸高久を大学に連れ戻せ」。留年の瀬戸際にいる大学生の奈緒崎に、教授が救済措置として持ち出したのは、この一言でした。
斜線堂有紀『キネマ探偵カレイドミステリー』は、この風変わりな課題から動き出す連作短編集です。連れ戻す相手は、自宅にこもって映画ばかり観ている青年。
その青年が、家から出ないまま事件を解いてしまいます。既刊4冊を数えるシリーズの、第1作にあたります。
物語の入り口
奈緒崎は、留年が目の前に迫っている大学生です。見かねた教授が救済措置として示した条件は、休学中の秀才を大学に連れ戻すこと。
成績に難を抱えた学生と、学業から離れてしまった秀才。立場のまるで噛み合わない二人が、この課題を介して顔を合わせることになります。
連れ戻す相手の嗄井戸が暮らしているのは、カフェと劇場と居酒屋がひしめき合う下北沢です。その真ん中で、彼は自宅にひきこもり、映画鑑賞に没頭しています。
部屋の外のにぎわいと、画面に向かい続ける青年。その落差が、物語の最初の景色です。
説得を試みても糸口すらつかめず、課題は少しも前へ進みません。
連れ戻すどころか、話をまともに聞いてもらうことさえ難しい。そんな折に持ち上がるのが、映画館『パラダイス座』をめぐる火事騒動です。
やがて一人の容疑者が浮かびますが、その人物には、隙の見えないアリバイがありました。崩しようのない壁に見えたそのアリバイを、自宅から出ないまま崩してみせるのが嗄井戸です。
手がかりを運ぶのは奈緒崎で、部屋の中の青年は、これまで観てきた映画の知識を頼りに筋道を組み立てます。
探偵は動かず、材料だけが部屋へ運び込まれていく——安楽椅子探偵と呼ばれる古い型を、下北沢の一室と大学生二人に置き換えた構図です。読み手は、外を歩き回る学生と、動こうとしない映画狂のあいだに据えられ、火事騒動の行方を見守ることになります。
読みどころ
読みどころは、映画について知っていることが、そのまま推理の道具として働くところにあります。
この探偵役の手元にあるのは、観てきた映画の膨大な蓄積です。題材には実在の映画が選ばれていて、作品について知っていることが、現実の事件の筋道を照らす道具として持ち出されます。
映画を観ることと、事件を考えることが、同じ一つの頭の中で地続きになっている——その地続きぶりが、探偵としての個性そのものです。
もうひとつは、動かない探偵と、動かされる学生という組み合わせです。単位のために通ってくる側と、扉の内側から出ようとしない側。
片方は現場を歩けても推理の決め手を持たず、もう片方は決め手になる知識を持っていても現場へは出ない。目的も性分も違う二人が、互いに欠けたものを補い合うようにして、事件をはさんで言葉を交わしていきます。
課題を介して顔を合わせただけの二人が、事件を口実に部屋の内と外で会話を重ねていく。その若い二人の距離感の描き方も、この連作の手触りの一部です。
形の面でも入りやすい作りです。4編の連作で、一話ごとに区切って読める長さに収まっているため、まとまった時間が取れない日にも一編ずつ付き合えます。
こんな人におすすめ
映画が好きで、ミステリも読む人にまず合う作品です。探偵が現場に出ず、運ばれてきた話だけで筋道を立てる型の謎解きが好きな人にも向いています。
大学生二人を軸にした連作を探している人、一話完結の短い物語を少しずつ読みたい人にも合うでしょう。それから、『楽園とは探偵の不在なり』で斜線堂有紀を知った人にとっては、その出発点をたどる機会にもなります。
カフェと劇場と居酒屋の街・下北沢という舞台の選び方に惹かれる人にとっても、入りやすい連作でしょう。
作品の背景
本書は、斜線堂有紀のデビュー作です。2016年に第23回電撃小説大賞のメディアワークス文庫賞を受け、翌2017年2月にメディアワークス文庫から刊行されました。
文庫で370ページ、4編を収めた連作です。シリーズはその後『再演奇縁のアンコール』『輪転不変のフォールアウト』と続き、2018年3月でいったん区切りを迎えます。
手に取るなら
シリーズのいちばん新しい巻は、2025年3月に光文社から四六判で出た『会縁奇縁のリエナクトメント』です。7年ぶりの新作として刊行されましたが、その前にはメディアワークス文庫の3冊があり、本書はその最初の巻にあたります。
順に追うなら、ここから『再演奇縁のアンコール』『輪転不変のフォールアウト』と進み、光文社の新作へ向かうのが順当です。家から出ない探偵が最初にどんな事件と向き合ったのか、下北沢の一室の扉を叩くところから読み始めてみてください。
斜線堂有紀について
斜線堂有紀は1993年、秋田県の生まれで、埼玉県で育ちました。上智大学文学部に在学中の2016年、『キネマ探偵カレイドミステリー』で第23回電撃小説大賞のメディアワークス文庫賞を受け、翌2017年に同作でデビューしています。
筆名は島田荘司の『斜め屋敷の犯罪』に由来するそうです。
ミステリ、SF、ホラー、恋愛小説と書く領域が広く、ミステリでは特殊な設定や世界のルールを謎解きに組み込んだ作品で知られます。2020年の『楽園とは探偵の不在なり』は主要な年末ミステリランキングの上位に並び、第21回本格ミステリ大賞の候補にもなりました。
ほかに『恋に至る病』『回樹』などがあり、『星が人を愛すことなかれ』で第4回本屋が選ぶ大人の恋愛小説大賞を受けています。日本SF大賞の選考委員も務めました。
書誌情報
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