現代国内 2012
動物園の猛獣が盗まれた。
次はミニブタが消えた。
『午後からはワニ日和』似鳥鶏

書評

午後からはワニ日和

動物園から消えたワニと怪盗の貼り紙。飼育の現場知識が謎解きの武器になります。

目次

「イリエワニ一頭を頂戴しました。怪盗ソロモン」。動物園の一角にこんな貼り紙が残され、凶暴なクロコダイルが姿を消します。

似鳥鶏『午後からはワニ日和』は、この芝居がかった犯行声明から幕を開ける動物園ミステリです。盗まれたのは宝石でも名画でもなく、檻の中にいたはずの大型の爬虫類。

怪盗という古風な呼び名と、飼育の現場という生活の場との取り合わせが、最初の一ページから可笑しみを帯びています。〈楓ヶ丘動物園〉シリーズの始まりを告げる事件です。

物語の入り口

舞台は楓ヶ丘動物園です。ある日、園内に一枚の貼り紙が残されます。

差出人は怪盗ソロモン。文面は、イリエワニを一頭いただいた、というものでした。

悪ふざけで片づけたくなる調子ですが、実際に、凶暴なクロコダイルが一頭いなくなっています。怪盗が名乗りを残していくという古風な趣向が、よりによって動物園の獣舎で持ち出されたわけです。

ここで誰もが引っかかるのは、手段の問題でしょう。ワニは小鳥でもウサギでもありません。

人が抱えて持ち去れる相手ではなく、近づくことさえ危うい生き物です。そんな動物を、いったいどうやって盗み出したのか。

犯行声明の気取った調子と、現場に突きつけられた途方もなさ——その落差のなかに、最初の謎が口を開けます。

騒ぎはそれで終わりません。続いて今度は、ミニブタが盗まれます。

貼り紙ひとつで始まった騒ぎは、こうして一頭では済まなくなります。さらに、園のアイドル的存在である飼育員・七森さん(齧歯類担当)の様子が、どこかおかしい。

動物が消え、同僚の様子が変わり——来園者を迎える穏やかな園の日常が、少しずつきしみはじめます。

物語を語るのは、大型草食獣を担当する飼育員です。その語り手が、猛禽類担当の美人獣医とともに、事件の解明に乗り出すことになります。

本職の探偵でも警察官でもない、動物の世話を仕事にする二人です。読み手はこの飼育員の目線で、来園者の側からは見えない園の内側に入ることになります。

担当動物の世話を抱えたまま、二人の即席の捜査がここから始まります。

読みどころ

この物語で謎の枠組みを決めているのは、動物園という職場に流れる理屈です。

動物には体重があり、性質があり、扱うための手順があります。どの動物をどう動かせるのか、誰ならそれを扱えるのか。

その一つひとつが、犯行の可能性を狭めたり、逆に広げたりする材料として働きます。ワニが消えたという一点だけでも、飼育の現場にいる人間と外から眺める人間とでは、見えている問題の形がまるで違うはずです。

語り手が飼育員であり、相棒が獣医であることは、単なる設定の飾りではなく、謎に向き合うための足場そのものになっています。

もうひとつは、人間たちの描かれ方です。妙な生態を見せる動物たちに負けず劣らず、世話をする大人たちもどこか締まりません。

大型草食獣、齧歯類、猛禽類と、担当ごとに持ち場の分かれた園の人々は、シリーズの幕開けとなるこの巻で最初に顔をそろえます。コージーな読み心地を好む方には、事件の不穏さよりも、園の人々のにぎやかさが先に立って感じられるでしょう。

血なまぐさい緊張や、重い読後感を求めて開くと、全体の軽やかさが物足りなく映るかもしれません。けれども、その軽さの下では、動物の扱いという具体的な制約が謎の条件としてきちんと働いています。

現場の理屈が謎の条件になる、という作りです。

こんな人におすすめ

動物園が好きで、柵の向こう側の仕事に興味のある方には、事件そのものと同じくらい舞台が楽しめるはずです。殺伐とした事件より、職場の人間関係や生き物の気配に囲まれた謎解きを好む方にも向いています。

反対に、緻密な捜査手続きや警察小説の緊迫を期待すると、にぎやかさが先に立つかもしれません。肩の力を抜いて読めるシリーズの入り口を探している方に、まっすぐ薦められます。

作品の背景

『午後からはワニ日和』は、2012年3月に文藝春秋の文春文庫から刊行されました。舞台となる楓ヶ丘動物園の名を冠したシリーズの第1作で、このあと『ダチョウは軽車両に該当します』『迷いアルパカ拾いました』『モモンガの件はおまかせを』『七丁目まで空が象色』と続き、全5冊を数えます。

題名にはいずれも動物の名が入り、どこかとぼけた言い回しで揃えられています。

似鳥鶏は、学校を舞台にした〈市立高校〉の連作を書き継いできた作家です。高校の芸術棟から、動物園の獣舎へ。

この作品で、謎の舞台は校舎の外の職場へと移ります。

手に取るなら

いま手に取るなら、文春文庫版です。304ページで、装画はスカイエマ。

電子書籍版も出ています。〈楓ヶ丘動物園〉シリーズの第1作なので、続く『ダチョウは軽車両に該当します』以降を読むつもりなら、ここから入るのが自然です。

刊行順に並べると、ダチョウ、アルパカ、モモンガ、象と、題名の動物をたどるだけでも園内をひと巡りできます。怪盗の貼り紙一枚から始まる騒動は、動物園の日常がそのまま謎解きの舞台になりうることを教えてくれます。

似鳥鶏について

似鳥鶏は1981年、千葉県の生まれです。2006年、『理由あって冬に出る』が第16回鮎川哲也賞の佳作に入り、デビューしました。

同作に始まる〈市立高校〉シリーズのほか、〈楓ヶ丘動物園〉シリーズ、『戦力外捜査官』に始まる警察もの、『難事件カフェ』など、学校、動物園、警察、喫茶店と舞台の異なる系列をいくつも並行させながら、謎解きを書き継いできました。『戦力外捜査官』はテレビドラマにもなっています。

2017年の『彼女の色に届くまで』は、第18回本格ミステリ大賞の候補に挙がりました。

書誌情報

出版社
文藝春秋
刊行年
2012
ISBN-13
9784167801779
系譜
現代国内 / シリーズ探偵物

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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