火村英生に捧げる犯罪
火村に届いた犯罪予告のファックスから始まる表題作ほか、掌篇から短篇まで8編を気軽に楽しめる
題名に探偵の名前がそのまま入っている。シリーズものの一冊としては、ちょっと珍しい構えです。
『火村英生に捧げる犯罪』は、その名のとおり火村英生その人に宛てて、何者かが謎を「捧げて」くるところから始まる表題作を軸にした短篇集。ごく短い掌篇から読みごたえのある短篇まで、長さも温度もまちまちな8編が一冊に並んでいます。
物語の入り口
火村英生は臨床犯罪学者。推理作家の有栖川有栖とは大学時代からの友人です。
理屈で詰めていく火村と、その相棒を務める作家のアリス。二人のかけあいの楽しさは、謎解きと並ぶこのシリーズのもうひとつの柱で、短篇集ではその呼吸がいっそう軽やかに伝わってきます。
表題作で火村のもとに届くのは、犯罪予告めいた一通のファックスです。添えられた文句は「とっておきの探偵にきわめつけの謎を」。
挑発とも敬意ともつかないその言葉に導かれて、事件が動きだします。一方のアリスも、慇懃無礼な脅迫電話に悩まされています。
巻頭の「長い影」は、過去の影におびえる男の物語。「鸚鵡返し」では、殺された男のそばにいた一羽の鸚鵡が、真実を暴く鍵になります。
ほかに「あるいは四風荘殺人事件」「殺意と善意の顛末」「偽りのペア」「殺風景な部屋」「雷雨の庭で」を収録しています。 ### 読みどころ
表題作の見どころは、周到に組み立てられたはずの企みが、ほんの小さな綻びから崩れていくところです。大がかりな仕掛けで圧倒するのではなく、見落としそうな一点から犯罪が露わになっていく。
その手際のよさは、短篇ならではの切れ味といえます。
一方で「長い影」は、過去におびえる男の哀しさが、読み終えたあとまで静かに尾を引く一編です。謎が解ける爽快さとは別の場所に、余韻が残ります。
理詰めの爽快さと、人の心の翳りを描く筆。その両方が同じ一冊に入っているのが、この短篇集の懐の深さです。
そしてもうひとつ、長さの振れ幅も楽しみのうちです。ごく短い掌篇でさっと楽しませる話もあれば、腰を据えて読む短篇もある。
8編の題名も「鸚鵡返し」のような軽みのあるものから「あるいは四風荘殺人事件」のような古風な響きのものまでさまざまで、目次を眺めるだけで次はどれにしようかと迷います。合間の数分にひとつ、寝る前にもうひとつと、気づけば不思議とまた手が伸びています。
こんな人におすすめ
長編を読む時間はとれないけれど、本格ミステリの手応えは味わいたい人に。火村とアリスのやりとりを、いろいろな長さの物語で楽しみたいシリーズ読者にも向いています。
作品の背景
収録作は、文芸誌『オール讀物』に掲載されたものと、携帯サイト「綾辻行人×有栖川有栖 J-ミステリ倶楽部」で配信されたものが4編ずつ。紙の雑誌と携帯の画面という、まるで違う場所で読まれた作品がひとつにまとめられています。
単行本は2008年9月に文藝春秋から刊行されました。
手に取るなら
2011年6月に文春文庫に入り、巻末には柄刀一さんの解説が付いています。どの話から読んでも楽しめる作品集なので、まずは表題作を開いて、火村に届いた挑戦状の行方を見届けるのもいいでしょう。
有栖川有栖について
有栖川有栖は1959年、大阪市の生まれです。小学生のころから推理作家を志し、同志社大学法学部では推理小説研究会に所属しました。
卒業後は書店に勤めながら書き続け、1989年に『月光ゲーム Yの悲劇'88』でデビューします。1994年に書店を辞め、専業作家になりました。
作品は大きく二つの系列に分かれます。江神二郎が探偵役を務める学生アリスのシリーズと、臨床犯罪学者の火村英生と推理作家の有栖川有栖が組む作家アリスのシリーズです。
2003年に『マレー鉄道の謎』で第56回日本推理作家協会賞、2008年に『女王国の城』で第8回本格ミステリ大賞、2018年に火村英生シリーズで第3回吉川英治文庫賞、2022年に第26回日本ミステリー文学大賞を受けました。2000年から2005年までは本格ミステリ作家クラブの初代会長も務めています。
書誌情報
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