現代国内 2012
昭和が終わる一年、
大学に名探偵がいた。
『江神二郎の洞察』有栖川有栖

書評

江神二郎の洞察

アリスと推理小説研究会の一年をたどり、謎解きと学生生活の時間を楽しめます。

江神二郎の洞察 表紙画像
有栖川有栖 東京創元社(創元推理文庫)2012年
目次

英都大学に入学したばかりの1988年4月。すれ違いざまにぶつかって落ちた一冊が、中井英夫の『虚無への供物』でした。

この本と、江神部長との出会いが、有栖川有栖の英都大学推理小説研究会、EMCへの入部のきっかけになります。『江神二郎の洞察』は、そこから始まる一年間を、9編の物語でたどる短編集です。

昭和から平成へという時代の転換期にあたる一年。アリス最初の事件「瑠璃荘事件」をはじめ、大学生のアリスと推理小説研究会をめぐる日々に、江神部長のいる謎解きが加わっていきます。

〈江神二郎シリーズ〉に連なる作品集です。

物語の入り口

語り手は、有栖川有栖自身。英都大学に入学したばかりの、1988年4月です。

すれ違いざまに誰かとぶつかって、一冊の本が落ちた。中井英夫の『虚無への供物』。

この本をきっかけに、彼は江神部長と出会い、英都大学推理小説研究会に入部することになります。江神二郎とアリスの、いちばん最初の場面です。

ぶつかって落ちたあの本が、すべての始まりでした。

収録されているのは9編。「瑠璃荘事件」「ハードロック・ラバーズ・オンリー」「やけた線路の上の死体」「桜川のオフィーリア」「四分間では短すぎる」「開かずの間の怪」「二十世紀的誘拐」「除夜を歩く」「蕩尽に関する一考察」。

このうち「瑠璃荘事件」が、アリス最初の事件にあたります。どこから読むかを決めるときの目安になるはずです。

舞台となる一年は、昭和から平成へという時代の転換期です。入学式、クラブ活動、季節の移り変わり。

大学生活の一年が、9編の物語のなかに流れています。一つの事件を追う楽しさと、同じ仲間たちの時間を重ねて読む楽しさ。

その二つが、この短編集では並んでいます。読み終えるころには、読者もまた、この部室の一員になっています。

読者は、入部したばかりのアリスの隣で、推理小説研究会の一年を過ごすことになります。江神部長のいる部室。

本好きの学生たちの日々。そこに、謎が加わる。

入学式やクラブ活動の日々を思い出しながら読む一冊です。その読み方が、この短編集の性格を正確に伝えています。

読みどころ

入学したばかりのアリスが、江神部長のいる部室で過ごす一年。その一年を、9編の謎解きが一編ずつ区切っていきます。

描かれるのは、入学式やクラブ活動が続く大学の日常です。部室、キャンパス、街。

そこで起きる謎を、江神部長が解く。謎解きの答えだけでなく、本好きの学生たちが過ごす日々そのものが、読む楽しみになっています。

もうひとつは、始まりの物語であることです。『虚無への供物』が落ちた瞬間から、アリスと江神の関係は始まりました。

『月光ゲーム』からシリーズを読んできた読者にとって、この出会いの場面を活字で読めることは、それだけで価値があります。ほかの巻ではすでに見慣れた部長と後輩の距離が、ここではまだ測られはじめたばかりです。

そして、まだシリーズに触れていない人にとっては、ここがシリーズの入口にもなります。

こんな人におすすめ

一編ずつ区切って読める短編集を求める読者、本好きの学生たちの日常に付き合いたい読者に向いています。9編それぞれに題名が立っているので、目次を眺めて気になった題から開くこともできます。

新学期の季節に読むと、なおさら沁みます。『月光ゲーム』から『女王国の城』までを読み継いできた人には、部長と後輩が出会った春から始まる一年そのものが、何よりの読みどころになるでしょう。

長い物語を続けて読む時間がないときにも、気軽に手を伸ばせます。逆に、長編の緊張感を求める気分のときには、この一年の穏やかさは少しゆるやかに感じられるかもしれません。

作品の背景

本作は2012年に単行本が出て、創元推理文庫版は2017年に初版が出ました。解説は皆川博子。

電子版もあります。「本格ミステリ・ベスト10」2013年版で国内6位に入っています。

江神二郎シリーズは『月光ゲーム』『孤島パズル』『双頭の悪魔』『女王国の城』と長編が続いてきましたが、本作は短編集で、一編ずつ区切って読むことができます。

手に取るなら

現行版は創元推理文庫。江神二郎シリーズの短編集ですが、一編ずつ区切って読めますから、ここから入っても問題ありません。

1988年4月、英都大学の入学式の日から。落ちた一冊の本を拾うところから、推理小説研究会の一年を始めてみてください。

江神部長は、もう部室にいます。

有栖川有栖について

有栖川有栖は1959年、大阪市の生まれです。小学生のころから推理作家を志し、同志社大学法学部では推理小説研究会に所属しました。

卒業後は書店に勤めながら書き続け、1989年に『月光ゲーム Yの悲劇'88』でデビューします。1994年に書店を辞め、専業作家になりました。

作品は大きく二つの系列に分かれます。江神二郎が探偵役を務める学生アリスのシリーズと、臨床犯罪学者の火村英生と推理作家の有栖川有栖が組む作家アリスのシリーズです。

2003年に『マレー鉄道の謎』で第56回日本推理作家協会賞、2008年に『女王国の城』で第8回本格ミステリ大賞、2018年に火村英生シリーズで第3回吉川英治文庫賞、2022年に第26回日本ミステリー文学大賞を受けました。2000年から2005年までは本格ミステリ作家クラブの初代会長も務めています。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
刊行年
2012
ISBN-13
9784488414078
系譜
現代国内 / 連作短編 · シリーズ探偵物
受賞歴

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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