戦後昭和国内 1980
映画スターと再婚した。
幸福の絶頂に死体が続く。
『花嫁のさけび』泡坂妻夫

書評

花嫁のさけび

先妻の影が残る家に迎えられた新妻。再婚の喜びもつかの間、彼女のまわりで殺人が起こります。

花嫁のさけび 表紙画像
泡坂妻夫 河出書房新社1980年
目次

映画スター・北岡早馬と再婚し、幸福の絶頂にいた伊都子。ところが北岡家の面々は、謎の死を遂げた先妻・貴緒のことが、忘れられません。

そんな中、殺人が起こり、さらに新たな死体が。『花嫁のさけび』は、先妻の死からおよそ十ヵ月後、新しい妻を迎えた北岡家を舞台にした、泡坂妻夫の長編です。

1980年に講談社から初刊が出て、同年の週刊文春ミステリーベスト10で国内8位。講談社文庫、ハルキ文庫と版を替え、2017年には河出文庫で三度目の文庫化がなされました。

河出文庫版の解説は恩田陸が寄せています。

物語の入り口

伊都子は、映画スターの北岡早馬と再婚しました。幸福の絶頂です。

華やかな夫と、新しい家。ところが、迎え入れられた北岡家には、先妻の影が残っていました。

貴緒。およそ十ヵ月前に、謎の死を遂げた女性です。

北岡家の面々は、彼女のことが忘れられない。家のなかの視線は、新しい妻ではなく、いない人のほうへ向いています。

新しい妻として家に入った伊都子にとって、それは居心地の悪い状況です。自分の居場所であるはずの家に、死んだ先妻の記憶が満ちている。

夫の家族が、自分ではなく、亡くなった人を見ている。幸福の絶頂にいたはずの花嫁の足元に、最初から影が差しています。

そんな中、殺人が起こります。そして、さらに新たな死体が見つかる。

幸福の絶頂から、事件の渦中へ。伊都子の新婚生活は、そういう速さで変わっていきます。

北岡家の人々が忘れられない先妻の死と、いま目の前で起きている死。二つの死のあいだで、新妻は立ち尽くすことになります。

読者は、北岡家の廊下に立たされます。居心地の悪さの描写が、この長編ではとりわけ巧い。

歓迎されているはずなのに、歓迎されていない。自分の家のはずなのに、他人の家のように感じる。

その感触を、泡坂妻夫は丹念に積み上げていきます。映画スターとの華やかな再婚という明るい額縁と、その内側にこもったままの先妻の記憶。

その落差が、殺人の起こる前から、家じゅうに張りつめています。

読みどころ

先妻の影が残る家で、新しく迎えられた妻の居場所が少しずつ削られていく過程が、息苦しいほど細やかに描かれます。 幸福の絶頂にいるはずの伊都子が、家に入った瞬間から、じわじわと足元を失っていく。

派手な出来事ではなく、視線や沈黙の積み重ねで、その不穏さが作られている。映画スターの妻という、外から見ればうらやまれる立場にいながら、家のなかでは、もういない先妻に居場所を譲らされる。

その釣り合わなさが、頁を追うごとに重くなっていきます。心理サスペンスとして、この居心地の悪さは一級品です。

読んでいるこちらまで、席を立ちたくなるほどです。

もうひとつは、長く読み継がれてきたという事実です。1980年の刊行から、三つの文庫を渡り歩いて、2017年に三度目の文庫化。

刊行の年に週刊文春ミステリーベスト10で国内8位に入った作品が、四十年近くたって、また新しい文庫で書店に並んだことになります。

こんな人におすすめ

心理サスペンスの静かな圧力を好む読者、不穏な余韻の残る物語に惹かれる読者に向いています。泡坂妻夫の亜愛一郎ものの軽妙さを知っている人には、この作家の別の顔を知る一冊として薦められます。

逆に、明るく後味のよい読み物を求める気分のときには、この家の空気は少しこたえるかもしれません。その空気こそが、本作です。

静かに息苦しくなる読書を、覚悟して開いてください。

作品の背景

『花嫁のさけび』の初刊は1980年1月、講談社から。刊行の年の週刊文春ミステリーベスト10で、国内8位に入りました。

以後、講談社文庫、ハルキ文庫と版を替え、2017年11月に河出文庫で三度目の文庫化。紙の版は品切ですが、電子書籍で読めます。

古書でも探しやすい一冊です。三度も文庫化されたという事実が、この作品の長く読み継がれてきたことを示しています。

手に取るなら

現行版は河出文庫、または電子書籍。シリーズには属さない単独の長編ですから、泡坂妻夫の他の作品を読んでいなくても問題ありません。

幸福の絶頂にいる花嫁とともに、先妻の影が残る北岡家の門をくぐってみてください。368ページの河出文庫版では、本文のあとに恩田陸の解説が置かれています。

北岡家を出たあとの余韻のなかで、そちらにも目を通してみてください。

泡坂妻夫について

泡坂妻夫は1933年、東京・神田の生まれで、本名は厚川昌男です。筆名は本名のアナグラムになっています。

生家は着物に家紋を描き入れる紋章上絵師で、作家になってからも家業を続けました。奇術師としての顔も持ち、1969年には創作奇術をまとめた作品集で第2回石田天海賞を受けています。

1976年、短編「DL2号機事件」が第1回幻影城新人賞の佳作に入ってデビューしました。1978年に『乱れからくり』で第31回日本推理作家協会賞、1982年に『喜劇悲奇劇』で第9回角川小説賞を受けます。

のちには職人の世界を描く人情ものにも筆を広げ、1988年に『折鶴』で第16回泉鏡花文学賞、1990年に『蔭桔梗』で第103回直木賞を受けました。探偵役には亜愛一郎、曾我佳城、ヨギ ガンジーらがいます。

2009年に75歳で亡くなっています。

書誌情報

出版社
河出書房新社
刊行年
1980
ISBN-13
9784309415772
系譜
戦後昭和国内
受賞歴

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リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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