ミステリーとしての読みどころ
一冊の古書が、人ひとりの一生よりも高い値をつけることがある。そんな世界を舞台に、『死の蔵書』は幕を開けます。
ページに刻まれた価値と、それを嗅ぎ分ける人間の執着。その二つが交わるところへ、ジョン・ダニングは一件の殺人を据えました。
古書と紙の匂いが濃く立ちこめる、現代米国を舞台にしたシリーズ探偵ものの第一作です。
著者について
著者のジョン・ダニング自身が、稀覯本を扱う古書店を営んでいた書き手です。だからこそ、作中に流れる古書の蘊蓄には、机上の知識ではない手ざわりがあります。
掘出し屋がどんな一冊に目を留めるのか、どんな本が値を跳ね上げるのか——そうした古書の世界のディテールが、物語の隅々まで血肉として通っている。1992年に発表された本作はネロ・ウルフ賞を受賞し、日本でも『このミステリーがすごい!1996年版』海外編の第一位に選ばれました。
専門知識を一本の芯に据えたミステリとして、刊行当時から高い評価を受け、いまも読み継がれている作品です。
物語の入り口
物語は、腕利きの"古本掘出し屋"が何者かに殺されるところから動き出します。掘出し屋とは、街の片隅や見過ごされた棚から値打ちものの一冊を探し当て、それを商いに変える目利きのこと。
同じ一冊を前にしても、素人の目には古びた紙束にしか映らないものが、彼らの目には値札の付いた宝に見える。そういう世界の住人です。
その道の腕利きが、ある日、命を奪われる。捜査にあたるのは、刑事のクリフ・ジェインウェイです。
ただし彼はただの警官ではありません。古書に関して博覧強記を誇る、いわば本の世界の住人でもある。
だからこそ、ほかの捜査官なら素通りしかねない細部にも、彼の眼は自然と吸い寄せられていきます。
その眼がとらえたのが、ひとつの奇妙な事実でした。貧乏だったはずの被害者が、じつは莫大な価値のある古書を手にしていた。
金に困っていた男が、いったいなぜ、そんな一冊を持っていたのか。さらに調べを進めると、その男は掘出し屋を廃業すると宣言していたことも判明します。
足を洗おうとしていた矢先の死。そして、手のなかに残された高価な古書。
ふたつの事実が重なったとき、事件は街の片隅で起きた一件の殺人から、稀覯本取引の裏側へと通じる、もっと深い何かへと姿を変えていきます。何が謎で、どこから手をつければいいのか——その問いに答えを出せるのは、本の値打ちを読み解ける者だけです。
読者は、クリフの視線を借りて、ふだんは目に触れない古書取引の裏側をいっしょに覗き込むことになる。専門知識がそのまま捜査の武器になっていく——その快さこそが、この物語の背骨です。
読みどころ
読みどころは、古書という一分野を丸ごと物語の燃料に変えてみせた手つきにあります。 稀覯本の値付け、掘出し屋たちの生態、一冊の本が人の欲をどう掻き立てるか。
ふつうのミステリなら脇へ流れていくはずの蘊蓄が、ここでは事件の動機とも手がかりとも分かちがたく結びついています。知識は物語を飾る添え物ではなく、謎そのものを形づくる材料になっている。
本物の古書店を営んでいた著者だからこそ書けた密度で、読み終えるころには、こちらも古書の世界をひとしきり歩いてきたような気分になっている。値打ちのある本を探して棚を眺める目つきが、少しだけ変わってしまうかもしれません。
専門知識を武器にした探偵ものが好きなら、これは見逃せない一作でしょう。
もうひとつ触れておきたいのが、探偵役クリフ・ジェインウェイの立ち位置です。このシリーズは「元刑事にして古書店主」という探偵を看板に掲げていますが、その出発点にあたる本作では、彼はまだ現役の刑事として事件に臨みます。
警察官としての職務と、古書への尽きない愛着。相容れなさそうなふたつを一人の中に併せ持つ人物像が、第一作の時点からくっきりと立ち上がっている。
シリーズをこの一冊から追い始められるのも、うれしいところです。
こんな人におすすめ
相性の話をしておきます。手がかりをひとつずつ拾い上げて犯人を絞り込む、純粋なパズル型の謎解きだけを求めると、蘊蓄の比重に少し戸惑うかもしれません。
この作品の面白さは、古書という特殊な世界の空気そのものと、そこに通じた探偵の眼を通して事件を眺める体験の側に大きく寄っているからです。逆に、ある職業や専門分野の内側をたっぷり味わいながら謎を追いたい読者、知識と捜査が一体になった探偵ものに惹かれる読者には、まっすぐ届く一冊でしょう。
古書店の棚のあいだを歩くのが好きな人や、モノに宿る歴史の話に弱い人なら、なおさらです。
手に取るなら
入手はハヤカワ・ミステリ文庫版で読めます。元刑事にして古書店主クリフ・ジェインウェイを主役とするシリーズの、記念すべき第一作。
この一冊が気に入れば、同じ探偵とともに、古書の世界にこの先も付き合っていける。専門知識を物語の推進力に変えたミステリを探している人にとって、格好の入り口となる作品です。