菩提樹荘の殺人
少年犯罪から学生時代の火村まで、「若さ」を軸に4つの事件で探偵の素顔に迫れる短編集
「若さ」をひとつのモチーフにして編まれた4つの事件。お笑い芸人を夢見る若者がいれば、アンチエイジングの旗振り役として人気を集める中年男性もいる。
そして若き日の探偵自身の姿まで描かれる。『菩提樹荘の殺人』は、同じひとつの言葉をめぐって、まるで違う角度から光を当てた短編集です。
一編ずつ読み終えるたびに、「若さ」という言葉の手触りが少しずつ変わっていくのが面白いところです。
物語の入り口
探偵役を務めるのは、臨床犯罪学者の火村英生。彼がなぜ犯罪学の道へ進んだのかについて、シリーズのなかでは「人を殺したいと本気で思ったことがあるから」と語られてきました。
その言葉を打ち明けられたのが、二十歳のころ同じ大学で知り合った有栖川有栖、のちの推理作家アリスです。名探偵の内側に、こうした翳りがひそんでいることが、このシリーズに独特の陰影を与えています。
巻頭の「アポロンのナイフ」では、連続殺傷事件の犯人とみなされ、「アポロン」とあだ名された高校生が逃走を続けています。そのさなかに、未成年が被害に遭う新たな事件が起こる。
物語は、テレビも新聞もインターネットも断って“読書休暇”を楽しんでいたアリスの、のんびりした日常から幕を開けます。
続く「雛人形を笑え」では、人気が上り調子の漫才コンビ「雛人形」の片割れが殺されます。「探偵、青の時代」は、学生時代の火村が名推理で友人たちを驚かせる一編。
そして表題作「菩提樹荘の殺人」では、アンチエイジングの旗手として人気だった53歳の男性が庭で殺され、なぜかトランクス一枚の姿で見つかります。
読みどころ
4編の組み合わせには、はっきりとした狙いが見てとれます。「アポロンのナイフ」は少年犯罪を正面から扱い、少年法にまつわる年齢の線引きにも踏み込む。
表題作は、若々しさを保とうとする欲望の象徴のような人物を中心に据える。こちらの2編が、社会の仕組みや人の願望といった、「若さ」を外側から取り巻くものに目を向けているのに対し、「雛人形を笑え」と「探偵、青の時代」は、まさに若さのただなかにいる人たちの熱や危うさを描いています。
外から眺める「若さ」と、内側から生きる「若さ」。その対比を意識しながら読むと、短編集としてのまとまりがいっそう味わい深く感じられます。
シリーズを追いかけてきた読者には、「探偵、青の時代」がうれしい贈り物になるはずです。いまや大学で教える立場にある火村が、まだ学生だったころにどんな推理を披露していたのか。
ふだんは見られない探偵の若い横顔に、思わず頬がゆるみます。いっぽう「アポロンのナイフ」は、かつて殺意を抱いたことがあると語る火村が、少年犯罪の事件に挑む一編。
探偵自身の過去が、事件の張りつめた空気と静かに響き合い、読み終えたあとも長く心に残ります。
こんな人におすすめ
謎解きの面白さとあわせて、作品集全体を貫くテーマの手応えも楽しみたい人に。火村とアリスの関係や、探偵の過去に興味がある人なら、なおさら外せない一冊です。
作品の背景
単行本は2013年8月に文藝春秋から刊行されました。2016年1月に日本テレビで連続ドラマ『臨床犯罪学者 火村英生の推理』が始まると、「アポロンのナイフ」が第8話の原作に、「探偵、青の時代」がHuluで配信されたオリジナルの一編の原作になっています。
手に取るなら
文春文庫版は、ドラマの放送が始まったのと同じ2016年1月に出ています。テーマで選んだ4編を順番どおりに読み進めて、最後に表題作の庭へたどり着く。
そんな読み方がよく似合う作品集です。
有栖川有栖について
有栖川有栖は1959年、大阪市の生まれです。小学生のころから推理作家を志し、同志社大学法学部では推理小説研究会に所属しました。
卒業後は書店に勤めながら書き続け、1989年に『月光ゲーム Yの悲劇'88』でデビューします。1994年に書店を辞め、専業作家になりました。
作品は大きく二つの系列に分かれます。江神二郎が探偵役を務める学生アリスのシリーズと、臨床犯罪学者の火村英生と推理作家の有栖川有栖が組む作家アリスのシリーズです。
2003年に『マレー鉄道の謎』で第56回日本推理作家協会賞、2008年に『女王国の城』で第8回本格ミステリ大賞、2018年に火村英生シリーズで第3回吉川英治文庫賞、2022年に第26回日本ミステリー文学大賞を受けました。2000年から2005年までは本格ミステリ作家クラブの初代会長も務めています。
書誌情報
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