殺されたのは憧れの人。
異分子の彼女
旧友による妻殺しの報せを抱え、リモート窓口の腕貫探偵へ語りに行く、協会賞受賞の表題作を収めた一冊。
「市民サーヴィス課臨時出張所」。そう書かれた貼り紙のある簡易机の向こうに、無表情な男が座っています。
銀縁メガネに白いシャツ、両腕には黒い腕貫。相談者が厄介な話を持ち込むと、男は席に着いたまま、聞くだけで筋道を立ててみせる。
西澤保彦の〈腕貫探偵〉シリーズは、この公務員探偵を軸に続いてきた連作です。第8作にあたる『異分子の彼女』では、その臨時出張所がオンラインへ移ります。
舞台はコロナ禍の櫃洗市。表題作は第76回日本推理作家協会賞の短編部門を受賞しました。
画面越しに相談を聞き、席から一歩も動かずに解く、安楽椅子探偵の型をそのまま画面の向こうへ移した連作です。
物語の入り口
腕貫探偵の臨時出張所は、決まった場所に立っていません。あるときは大学の構内に、あるときは病院に、またあるときはアーケード街に現れます。
そこへ引き寄せられるように来た相談者が、殺人や詐欺や行方不明といった話を持ち込む。腕貫さんは席を立たず、現場を見に行かず、聞いた話だけで筋を通します。
安楽椅子探偵の系譜にまっすぐ連なる造形です。相談者が探して訪ねる事務所ではなく、街のどこかにふと現れる机。
その置き方が、このシリーズの基本の型です。
今回の櫃洗市は、コロナ禍の櫃洗市です。人が出歩かなくなった街で、出張所は「リモート相談窓口」になりました。
画面の向こうに腕貫さんがいて、相談者は画面のこちら側から話す。動かず、見に行かず、聞くだけで解く探偵にとって、画面越しという条件は制約になりません。
もともと動かないのですから。設定が変わっても、探偵のやり方は一切変わらない。
そこがこの巻の前提です。
表題作の語り手は、ある報せを受け取ります。旧友が、妻殺しで逮捕された。
被害者はナナ。学生時代に語り手が憧れていた女性です。
報せを受け止めきれない語り手は、旧友とナナをめぐる記憶を抱えたまま、リモート相談窓口へ向かいます。語り手は、逮捕の報せに動揺しながら、画面の向こうの無表情な公務員に向かって話し始めることになります。
読者は、語り手の背後から画面を覗く位置に置かれます。
読みどころ
探偵が動かないぶん、語り手の記憶がそのまま事件の全体になります。 腕貫さんは現場に行きません。
証拠を集めに行くこともありません。手もとにあるのは、相談者が語った言葉だけです。
聞き手が動かない以上、語り手が何を語り、何を語らないかまでが材料になります。だから表題作では、語り手が旧友とナナについて何をどう覚えているかが、そのまま推理の材料になります。
事件を解く話であると同時に、一人の男が自分の過去をどう抱えてきたかの話でもある。逮捕の報せで揺さぶられた昔の記憶が、謎の材料であると同時に、この一編の芯にもなっているのです。
もうひとつは、櫃洗市という街そのものです。シリーズを通して、この街では奇怪な事件が絶えません。
大学の構内、病院、アーケード街と、出張所が現れる場所もさまざまで、そのたびに違う相談者が違う悩みを抱えて机の前に座ります。人の出歩きが減ったコロナ禍の下でも、奇怪な事件は起こります。
変わったのは、机が画面に置き換わったことだけです。どれほど厄介な話が持ち込まれても、腕貫さんは表情ひとつ変えずに聞き、筋道を立てて返す。
その繰り返しが、この連作の手ざわりを作っています。
足で稼ぐ捜査や、現場の緊迫を期待して開くと、画面越しの会話だけで進む作りは静かに映るかもしれません。ただ、動かないからこそ、語られた言葉のどこに筋の通らない箇所があるかが際立ちます。
聞くだけで解く探偵を、画面越しという条件がさらに純化している。席を立たない探偵の型を、いちばん削ぎ落とした形で味わえる一冊です。
作品の背景
表題作「異分子の彼女」の受賞は2023年、第76回日本推理作家協会賞の短編部門です。初出は『Webジェイ・ノベル』の2022年3月29日配信で、翌2023年1月23日に実業之日本社から出た単行本に収められました。
四六判で252ページ。西澤保彦にとっては、1995年のデビューから数えて28年目に届いた受賞でした。
〈腕貫探偵〉は、複数のシリーズを並行して走らせてきた西澤保彦の連作のなかでも息の長い一つです。シリーズの累計は40万部を超えています。
文庫は2025年8月7日に実業之日本社文庫から出ました。320ページです。
手に取るなら
現在は実業之日本社文庫『異分子の彼女 腕貫探偵オンライン』で手に入り、電子版もあります。解説は織守きょうや。
長く続くシリーズですが、相談者が毎回入れ替わる作りなので、この巻から入っても置いていかれることはありません。腕貫さんの貼り紙と、銀縁メガネと、黒い腕貫。
それだけ頭に入れておけば十分です。旧友の逮捕の報せを抱えた語り手と一緒に、リモート相談窓口の画面の前に座る——協会賞を受けた表題作から読み始めるのが、この連作への近道です。
西澤保彦について
西澤保彦は1960年、高知県安芸市に生まれ、2025年に64歳で亡くなりました。アメリカのエカード大学で創作法を学び、帰国後は高知大学経済学部の教務助手や高校の講師を務めながら小説を書き続けます。
1990年には「聯殺」が第1回鮎川哲也賞の最終候補に残り、1995年に『解体諸因』で作家としてデビューしました。
同じ一日を繰り返す『七回死んだ男』や『人格転移の殺人』のように、SF的な設定を本格ミステリに持ち込み、その規則を示したうえで推理の土台に据える作風で知られます。〈匠千暁〉〈神麻嗣子〉〈腕貫探偵〉と複数のシリーズを並行して書き継ぎ、2023年には短編「異分子の彼女」で第76回日本推理作家協会賞の短編部門を受けました。
書誌情報
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