それから七人が死んだ。
悪魔が来りて笛を吹く
戦後の東京で没落した子爵家に響くフルートの音を、金田一耕助が追う長編。
毒殺の嫌疑をかけられた元子爵が姿を消し、主を欠いた椿家で、人が次々と死んでいきます。自ら命を絶つ者も、何者かの手にかかる者も含めて、失われる命は七つ。
その屋敷の夜を、物悲しい笛の音が縫っていきます。『悪魔が来りて笛を吹く』は、横溝正史の金田一耕助ものの長編で、舞台は戦後の東京です。
山里の旧家や島の因習を描いた作品群とは、手ざわりが違う。焼け跡の東京で、旧華族の没落を据えた一冊で、題名の笛は比喩ではなく、作中で実際に鳴ります。
探偵作家クラブ賞の候補にも挙がった、戦後の横溝が東京を舞台に書いた都会ものです。
物語の入り口
毒殺事件が起きました。その容疑者となったのが、椿元子爵です。
旧華族の当主です。戦後の東京で、かつての地位を失いつつある家の当主が、毒殺事件の容疑者として名を挙げられる。
名ばかりの格式を抱えた家が、戦後の世間の目の前で、醜聞の渦中に置かれるのです。そして当主は、失踪します。
容疑者が消えた家に、残された者たちの時間が始まります。
それ以来、椿家には次々と惨劇が起こります。自殺他殺を交えて、七人の命が奪われる。
七人、という数は、最初から明かされています。爵位を失ってなお広い屋敷に、惨劇の知らせだけが絶え間なく届く。
七人という数の重さは、最初の頁から読者の肩に載っています。
その背景に、フルートの音色が響きます。細く、長く尾を引いて流れる音です。
題名の笛は、比喩ではありません。作中で、実際に鳴る。
旧華族の屋敷に響くその音が、この長編の妖異な雰囲気を作っています。探偵役は、もちろん金田一耕助です。
田舎の因習に向き合ってきた探偵が、今度は都会の没落と向き合います。
読者は、焼け跡の東京の、没落しつつある旧華族の屋敷に立たされます。横溝正史といえば、山里の旧家や孤島の因習を思い浮かべる人が多いはずです。
本作は、その手ざわりとは違います。都会の、しかも戦後の焼け跡。
かつての地位を失っていく家の内側で、フルートが鳴り、人が死ぬ。没落の気配がしみた屋敷の空気と、次の惨劇を待つ緊張。
その二つが、途切れずに並んで進みます。
読みどころ
焼け跡の東京で、旧華族の一家が没落していく。その都会の暗がりが、物語の土台になっています。
横溝本格の多くは、田舎の因習を土壌にしています。本作は違う。
都会の、戦後の、没落していく家。その家に響くフルートの音色が、田舎の祟りとは別の種類の不気味さを立ち上げます。
田舎の祟りが土地に根を張った恐ろしさだとすれば、こちらは家名だけを残して中身の抜けていく家の、行き場のない心細さです。
もうひとつは、七人という数です。自殺他殺を交えて、七人。
その数が先に明かされている以上、読者は最初から、これが大量の死を扱う物語だと知って読むことになります。誰が、どう死ぬのか。
その数の重さを抱えたまま、フルートの音を聞くことになります。一人、また一人と数えながら頁を繰る緊張は、死者の数を先に知らされない物語にはないものです。
こんな人におすすめ
怪奇と幻想の香りが漂う本格を好む読者、旧華族の没落という戦後の題材に惹かれる読者に向いています。都会を舞台にした横溝を読みたい人にも。
金田一耕助シリーズの田舎ものを読んできて、別の手ざわりを求めている人には、とくに薦められます。逆に、明るく後味のよい読み物を求める気分のときには、七人の死とフルートの音色は少しこたえるかもしれません。
作品の背景
横溝正史は1945年4月から約3年、岡山県岡田村に疎開し、1948年8月に東京へ帰りました。『悪魔が来りて笛を吹く』は、その帰京後の作品で、東京を舞台に据えています。
雑誌『宝石』に1951年11月号から1953年11月号まで連載され、単行本は1954年5月に岩谷書店から出ました。437ページの長編です。
第7回探偵作家クラブ賞、1954年の候補作でしたが、この回は受賞作なし、奨励賞のみでした。作者自身は、金田一ものの自選ベスト10でこの作品を6位に置いています。
角川文庫〈金田一耕助ファイル4〉は480ページ。1972年2月の発売で、電子版もあります。
手に取るなら
現行版は角川文庫〈金田一耕助ファイル4〉。金田一耕助シリーズの一冊ですが、本作単独で完結していますから、ここから入っても問題ありません。
オーディオブックもありますから、フルートの音色を思い浮かべながら、耳で追うのも一興です。焼け跡の東京へ、没落する旧華族の屋敷へ。
悪魔の笛が、そこで鳴っています。その音を聞き終えるまで、本は閉じられません。
横溝正史について
横溝正史は1902年、兵庫県神戸市の生まれです。1921年、雑誌『新青年』の懸賞で一等に選ばれた「恐ろしき四月馬鹿」で世に出て、大阪薬学専門学校を卒業したのち、1926年に江戸川乱歩の招きで上京して博文館に入りました。
『新青年』などの編集長を務め、1932年に退社して作家専業となります。戦前は由利麟太郎を探偵役にした『真珠郎』などを書き、戦時中は岡山県に疎開しました。
戦後、金田一耕助が初めて登場する『本陣殺人事件』で1948年に第1回探偵作家クラブ賞の長編賞を受け、『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』と、金田一ものの長編を書き継いでいきます。1970年代には角川文庫での再刊と映画化が重なって、まったく新しい世代の読者を得ました。
1976年に勲三等瑞宝章を受け、1981年に没しています。
書誌情報
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