黄金期米国古典 1956
余興の最中に作家が毒死。
宴は事情聴取に変わった。
『幽霊の2/3』ヘレン・マクロイ

書評

幽霊の2/3

パーティーの余興の最中に人気作家が毒死。精神科医探偵が挑む。

幽霊の2/3 表紙画像
ヘレン・マクロイ 東京創元社(創元推理文庫) 原書 1956年 · 邦訳 2009年
目次

華やかなパーティーの余興のさなか、招かれた人気作家がグラスの毒に倒れる。笑い声の絶えない社交の場と、突然の死。

その落差から、物語は静かに動き出します。ヘレン・マクロイ『幽霊の2/3』は、1950年代アメリカの出版業界を舞台に、精神科医の名探偵が毒殺の謎に挑む一作です。

物語の入り口

舞台は、出版社社長ケインの邸宅です。その夜、邸には出版界の人々が集い、にぎやかなパーティーが開かれていました。

座を沸かせていたのは、「幽霊の2/3」と呼ばれる余興のゲーム。本書の書名は、この遊びの名前から採られています。

ところが、談笑の輪がいちばん盛り上がったその最中に、招待客の一人だった人気作家エイモス・コットルが、毒を飲んで絶命してしまうのです。ついさきほどまで笑い合っていた人々の只中で、なぜ彼が死ななければならなかったのか。

幸いと言うべきか、その夜の客の中には、精神科医のベイジル・ウィリング博士がいました。博士は警察に協力を申し出て、パーティーに居合わせた顔ぶれ——作家を取り巻く人々——から、一人ずつ事情を聞いてまわります。

すると、和やかな社交の表面をそっとめくった下から、意外な事実が次々と姿を現していく。穏やかに見えた作家の周囲の人間関係は、聞けば聞くほど錯綜し、一筋縄ではいかない形をしていることが分かってきます。

物語がじっくりと描き出すのは、この1950年代アメリカの出版業界という世界そのものです。本を書く者、送り出す者——名前と評判がそのまま値打ちを左右する世界の内側で、関係者たちの証言は少しずつ食い違い、また思わぬところで重なり合いながら、事件の輪郭を形づくっていきます。

華やかな世界の内側の空気が、聞き込みが進むほどに生々しく立ちのぼってくるのです。きらびやかなパーティーの記憶と、目の前に横たわる毒殺という現実。

その落差に引きずられるように、読者はページをめくる手を止められなくなります。

読みどころ

読みどころは、人の心を読む名探偵が、証言の積み重ねだけを頼りに真実へ近づいていく過程にあります。 ウィリング博士の武器は、精神科医としての人間観察です。

事件を外側から眺めるのではなく、関係者一人ひとりの言葉づかいや態度に分け入り、その奥でうごめく心の動きを読み取っていく。証言のわずかな食い違いや、ふとした表情のこわばりが、博士の目には見過ごせない手がかりとして映ります。

人が何を語り、何を語らずにおくのか。派手な立ち回りではなく、話を聞くという地道な営みを謎解きの中心に据えているところに、この探偵ならではの持ち味があります。

黄金期アメリカ本格の薫りを保ちながら、その舞台に作家と編集者の世界を選んだことも、本作の見どころです。書き手と送り手が織りなす人間模様は、それ自体が読み物として滋味に富んでいます。

名探偵の推理に静かに身を委ねる愉しみを、正面から味わわせてくれる作りです。

こんな人におすすめ

古典的な名探偵ものの呼吸——腰を据えた聞き込みと論理で真相へ至る運び——を好む読者には、まっすぐ薦められる一冊です。人物の心理をじっくり味わいたい読者や、黄金期らしい端整な謎解きに身を委ねたい読者にも、よく応えてくれるでしょう。

逆に、息もつかせぬ速度や派手なアクションを期待して開くと、この落ち着いた歩みは少し悠長に映るかもしれません。けれども、関係者の言葉に耳を澄ませ、名探偵とともに謎の芯へゆっくり近づいていく時間そのものが、本作の醍醐味なのです。

作品の背景

『暗い鏡の中に』『殺す者と殺される者』と並ぶマクロイの代表作が、この『幽霊の2/3』です。原書は1956年。

長らく名前だけが語り継がれてきた作品でしたが、東京創元社の文庫創刊50周年を記念した復刊リクエストで第1位に選ばれ、新訳でよみがえりました。

手に取るなら

手に取るなら、創元推理文庫の新訳です。巻末には杉江松恋による解説を収めています。

刊行時には朝日新聞の書評コーナーで紹介されたほか、各種のミステリランキングにも名を連ね、『IN★POCKET』の2009年文庫翻訳ミステリーベスト10では読者部門第5位、『ミステリが読みたい!2010年版』でも上位に挙げられました。名前のみが語り継がれてきた傑作、という評判が誇張でないことは、読み進めればおのずと腑に落ちるはずです。

精神科医探偵の代表作を、いま最も確かな形で味わえる一冊です。

ヘレン・マクロイについて

ヘレン・マクロイ(1904〜1994)は、ニューヨーク生まれのアメリカの作家です。1923年にフランスへ渡ってソルボンヌ大学に学び、その後も通信社の仕事や美術評論で筆をとりながら、1932年に帰国するまでヨーロッパで過ごしました。

1938年、長編『死の舞踏』でデビューし、同作で精神科医ベイジル・ウィリング博士を探偵役として登場させます。人の心の動きを手がかりに事件を読み解くこの博士は、以後十三作の長編で活躍しました。

ウィリングものと並んで、博士の登場しないノンシリーズの作品も手がけています。1946年には作家ブレット・ハリデイと結婚しました(のちに離婚)。

1950年には女性として初めてアメリカ探偵作家クラブ(MWA)の会長を務め、1990年には同クラブのグランドマスター賞を受けています。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
原書刊行年
1956
邦訳刊行年
2009
ISBN-13
9784488168056
系譜
黄金期米国古典 / 名探偵もの · シリーズ探偵物

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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