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REVIEW · 書評
N° 418 · 2026-07-13
殺す者と殺される者 表紙画像
黄金期米国古典

殺す者と殺される者

ヘレン・マクロイ / 東京創元社(創元推理文庫)
" 静かな町へ移り住んだ男の身辺で続く異変。技巧の心理サスペンス。
#不穏な余韻#心理サスペンス#黄金期の薫り
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📝 書評 世評・資料をもとに、当サイトの選書基準で構成した書評です ✓ 結末・犯人・トリックの種類には触れていません
review notes

ミステリーとしての読みどころ

静かな地方の町で、これまでの人生を仕切り直し、新しい暮らしを一から始める。それは、穏やかな門出になるはずでした。

ところが、その平穏な日々のふちが、説明のつかない小さな異変によって少しずつほつれていきます。何かがおかしい。

けれど、それが何なのかはつかめない。ヘレン・マクロイ『殺す者と殺される者』は、そんな得体の知れない不安がひたひたと満ちていく心理サスペンスです。

著者について

著者のヘレン・マクロイは、1904年にニューヨークで生まれたアメリカの作家です。1923年にフランスへ渡ってソルボンヌ大学に学び、美術評論家や新聞記者として筆を執りながら、十年近くをヨーロッパで過ごしました。

帰国後の1938年、長編『死の舞踏』で作家としてデビュー。同作で探偵役を務める精神科医ベイジル・ウィリング博士を生み出します。

人の心の奥を見透かす探偵を主役に据えたことからもうかがえるように、マクロイの関心はつねに、事件そのものよりも人間の心理の襞のほうへ向けられていました。1950年には女性として初めてアメリカ探偵作家クラブ(MWA)の会長を務め、1990年には長年の功績を讃えられてMWAグランドマスター賞を受けています。

本作『殺す者と殺される者』は、原書が1957年に世に出た、そのマクロイの代表作の一つ。ふだんのレギュラー探偵をあえて登場させないノンシリーズ作として書かれています。

物語の主人公は、心理学者のハリー・ディーン。おじの遺産を相続し、不慮の事故から回復したのをひとつの区切りとして、彼は勤めていた大学の職を辞します。

そうして向かった先が、亡くなった母の故郷である町、クリアウォーターでした。記憶にゆかりのある土地で、これまでの人生をいったん畳み、静かにやり直すための移住です。

折しもこの町には、かつて想いを寄せた女性が人妻となって暮らしていました。彼女との再会は、新しい日々へのささやかな灯りのように、ハリーの門出を照らします。

ところが、腰を落ち着けたはずのその生活に、少しずつほころびが忍び込んできます。まず、運転免許証が消える。

次に、差出人の記されていない手紙が届く。やがて、家のまわりに得体の知れない徘徊者の影がちらつくようになります。

どれも単独で見れば、思い違いや偶然で片づけられそうなほど、ささやかな出来事です。けれど、それが幾重にも折り重なってくると、もう偶然という一語では説明がつかなくなってくる。

安心して腰を据えたはずの新天地が、いつしか油断のならない場所へと様変わりしていくのです。穏やかだったはずの毎日のそこかしこに、目には見えない誰かの意思の気配が、じわりと滲み出してくる。

そして、こうした不穏の連なりの果てに、ついに痛ましい事件が起こります。この町で、いったい何が起きているのか。

答えの見えないその問いを軸に、ばらばらに見えていた小さな異変の数々が、にわかに不吉な輪郭を帯びはじめる。のどかな田舎町という舞台とは裏腹に、ページを繰る手をだんだんと重くさせていく緊張の醸成——この立ち上がりの巧みさこそ、まず味わってほしいところです。

読みどころ

本作の妙味は、鮮やかな謎解きの見せ場よりも、日常が内側から侵食されていく感覚の緻密さにあります。 精神科医の探偵を生み出した作家だけあって、マクロイは人の心がどこで揺らぎ、どこで軋むのかを知り尽くしています。

その手腕が、探偵という補助線をあえて欠いた本作では、いっそう剥き出しのかたちで発揮される。事件を解きほぐしてくれる名探偵は、ここにはいません。

明晰な推理が場を照らして安心をもたらす、その枠組みがないぶん、物語に立ちこめる不安は薄まる先を持たず、濃いまま張りつめていきます。円熟期のマクロイが持てる技巧を惜しみなく注いだ一作、と評される所以です。

手がかりを一つずつ拾い、論理を組み上げて犯人へたどり着く——そうしたパズルとしての謎解きの手ごたえを何より求める人には、本作はいくぶん趣が違って映るかもしれません。ここで前面に出るのは、推理の切れ味よりも、じわじわと神経を締めつけてくる不穏の手ざわりのほうだからです。

逆に、不安がゆっくりと醸成されていく空気そのものを味わいたい読者、人の心の危うさを見つめるサスペンスに惹かれる読者にとっては、これ以上ない一冊でしょう。読み終えたあとも、あの町の静けさがなんとなく後を引く。

そんな余韻を求める向きにこそ薦めたい作品です。

手に取るなら

入手は創元推理文庫版で、務台夏子の訳、巻末には三橋曉氏の解説が添えられています。務台夏子は、オコンネル『クリスマスに少女は還る』『愛おしい骨』やデュ・モーリア『鳥』、エスケンス『償いの雪が降る』などを手がけてきた英米文学の翻訳家です。

本作でマクロイの持ち味に触れて心を惹かれたなら、同じ作者の『暗い鏡の中に』や『幽霊の2/3』、短編集『歌うダイアモンド』へと読み進めてみるのもいいでしょう。黄金期アメリカのミステリが円熟のうちにたどり着いた、技巧のひとつの到達点が、ここにはあります。

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書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
原書刊行年
1957
邦訳刊行年
2014
ISBN-13
9784488168063
系譜
黄金期米国古典