黄金期国内 1933
横溝正史が病に倒れた。
代役は無名の新人だった。
『完全犯罪』小栗虫太郎

書評

完全犯罪

甲賀三郎の推薦と横溝正史の休筆が重なって誌面に載った、小栗虫太郎のデビュー作。

完全犯罪 表紙画像
小栗虫太郎 KADOKAWA(角川文庫)1933年
目次

小栗虫太郎には、1934年に『新青年』で連載された『黒死館殺人事件』という大作があります。けれども、この作家が小栗虫太郎として最初に世に問うたのは、その大作ではありません。

1933年7月、雑誌『新青年』に載った「完全犯罪」。のちにシリーズ探偵となる法水麟太郎もまだ姿を見せない、出発点の一作です。

発表から半世紀以上を経た1985年版『東西ミステリーベスト100』で、国内81位に選ばれています。

物語の入り口

この作品には、頁の外側にもうひとつの物語があります。書き上げた原稿を、小栗はまず甲賀三郎のもとへ送りました。

原稿は甲賀の推薦を得て、『新青年』の編集部へ持ち込まれます。ちょうどそのころ、同誌の誌面には横溝正史の作品が載る予定になっていました。

ところが横溝は病気のため書くことができなくなり、空いた場所を埋める代役として採られたのが「完全犯罪」でした。

甲賀三郎の推薦と、横溝正史の休筆。二つの出来事が重なったところで、小栗虫太郎という名前が初めて誌面に刻まれたわけです。

こうして、新しい名前の書き手が探偵小説の専門誌に登場しました——推薦者と、休んだ作家の穴という、二つの支えを得て。

本文に入ってまず向き合うのは、筋よりも文章です。衒学と幻想がせめぎ合う濃密な文体で、読みやすさを優先して組まれた文章ではありません。

知識を積み上げていく硬い言葉と、現実から浮き上がっていくような幻想の気配。その二つが一つの文章の中で押し合い、互いに引き下がらない。

小栗虫太郎という作家の文章は、最初の作品の段階から、すでにこの形で誌面に現れていました。

現在の角川文庫版では、この作品は『黒死館殺人事件』と合わせて収められています。書かれた順に並べれば、1933年のデビュー作と、1934年の大作。

同じ作家の二つの時点が、ひと続きの頁の上で隣り合っているわけです。

読みどころ

デビュー作と翌年の大作が並ぶことで、作家の最初の一年がそのまま手もとに収まります。

翌年の大作に至る前に、この書き手がどんな文章で誌面に登場したのか。「完全犯罪」は、その問いに対する最も早い答えです。

衒学と幻想のせめぎ合いという文体の芯は、デビューの時点ですでに据えられています。合本で続けて読めば、1933年と1934年という二つの時点の文章を、自分の目で並べて確かめられます。

筋や仕掛けではなく、文章の密度に焦点を合わせる——そういう読み比べが、この組み合わせでは自然にできるのです。

もうひとつは、評価の持続です。発表から52年後の1985年に、この作品は国内81位に選ばれました。

探偵小説の専門誌に代役として載った一篇が、半世紀を越えて順位表の中に名前を残したことになります。推薦と代役という偶然の重なりから始まった来歴と、半世紀後の順位。

その両端を知っておくと、この作品の置かれた位置がくっきりと見えてきます。

ただし、好みははっきり分かれる作家です。濃密な文体は、読みやすさを求める人をあらかじめ選んでいます。

こんな人におすすめ

『黒死館殺人事件』を読んだ、あるいは読もうとしている方に、まず手に取ってほしい作品です。大作に挑む前の足慣らしとしても、読み終えたあとで作家の出発点へさかのぼる読み方としても、この順番は成り立ちます。

作家の出発点を確かめたい方、戦前の『新青年』を舞台に探偵小説が育っていった時代に関心のある方にも向いています。反対に、平明な文章で筋をすいすい追いたい方には、この作品は向きません。

作品の背景

「完全犯罪」は、小栗虫太郎がこの筆名で発表した本格的なデビュー作にあたります。デビューの年からの発表を順に追うと、次のようになります。

7月に「完全犯罪」が載り、10月には「後光殺人事件」が発表されて、法水麟太郎が初めて登場します。そして翌1934年、『黒死館殺人事件』の連載が始まりました。

デビュー作と大作は、この短い年譜のなかで隣り合っています。「完全犯罪」は、その助走の最初の一歩に置かれています。

1985年版『東西ミステリーベスト100』では、翌年の大作とは別に、「完全犯罪」が単独で国内81位に入りました。シリーズ探偵を持たない時期の一篇が、単独で順位表に名前を刻んでいるわけです。

手に取るなら

いま手に取るなら、KADOKAWAの角川文庫『黒死館殺人事件・完全犯罪』です。デビュー作と翌年の大作を合わせた合本で、二つを続けて読めます。

先に「完全犯罪」で文体に目を慣らしてから黒死館へ進むこともできますし、大作を読み終えてから出発点へ引き返すこともできます。どちらの順で読んでも、1933年と1934年という二つの時点が、同じ装丁の中で手の届く距離に並んでいます。

筑摩書房からも、「完全犯罪」を収めた短篇集が出ています。小栗虫太郎という作家の最初の頁から、読み始めてみてください。

小栗虫太郎について

小栗虫太郎は本名を小栗栄次郎といい、1901年に東京・神田で生まれました。印刷所を営んでいたころに探偵小説に目覚め、1933年、面識のなかった甲賀三郎に原稿を送って推薦を得た「完全犯罪」が『新青年』に載り、デビューします。

掲載予定だった横溝正史の作品が病で書けなくなり、その代わりとして誌面に出たという経緯が残っています。

翌1934年に同誌で発表した『黒死館殺人事件』は、日本の探偵小説の三大奇書の一つに数えられています。名探偵の法水麟太郎が膨大な知識を繰り出す衒学的な作風で知られ、秘境冒険小説の連作『人外魔境』も書きました。

1946年、疎開先の長野県で脳出血のため44歳で亡くなっています。

書誌情報

出版社
KADOKAWA / 角川文庫
刊行年
1933
ISBN-13
9784041132241
系譜
黄金期国内 / 名探偵もの
受賞歴

小栗虫太郎をもっと読む

全作品一覧へ →

似た読み味を、他の作家で

気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本

この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

プロフィールを見る →