黄金期米国古典 1947
戸締まりされた家から、
少女が消えた。二十年後も。
『妖魔の森の家』ジョン・ディクスン・カー

書評

妖魔の森の家

表題作は密室からの人間消失を描く不可能犯罪短編の名品。カーの妙技が凝縮。

妖魔の森の家 表紙画像
ジョン・ディクスン・カー 東京創元社(創元推理文庫(カー短編全集2)) 原書 1947年 · 邦訳 1970年
目次

森のなかに、一軒の家が建っています。戸口は内側から閉ざされ、その家にいたはずの少女が、いない。

『妖魔の森の家』は、〈不可能犯罪の巨匠〉と呼ばれたジョン・ディクスン・カーの中短編五編を集めた一冊です。長編で名を成した作家が、短い枚数でも同じ切れ味を出せるのか。

その問いに、表題作がまっすぐ答えてくれます。

物語の入り口

表題作の発端は、いたって簡素です。人里を離れた森のなかの一軒家。

戸口は内側から締められ、外からは誰も入れず、中からも誰も出られない。にもかかわらず、その家にいたはずの少女が忽然と姿を消してしまう。

人ひとりが、閉じられた空間からいなくなる。ただそれだけの出来事が、いったいどうすれば起こりうるのか。

読者は閉ざされた戸口の前に立ち尽くし、家の内側で何が起きたのかを、外側から想像することしか許されない位置に置かれます。

そして、この物語には二十年という時間の隔たりが仕込まれています。同じ場所で、似た状況がふたたび繰り返されるのです。

一度きりなら不運や偶然で片づける余地もあるかもしれません。けれども二度目が起きた瞬間、その家に漂っていた気配が、はっきりとかたちを持ちはじめる。

あろうことか、時をまたいで同じことが起こる——この反復が、読み手の背筋をゆっくりと撫でていきます。「妖魔の森」という物騒な地名が、単なる飾りではなくなっていく。

一冊にはこのほか、「軽率だった夜盗」「ある密室」「赤いカツラの手がかり」、そして中編「第三の銃弾」が収められています。「第三の銃弾」は、密室で判事が撃たれるという中編の短縮版。

表題作のような掌編から、腰を据えて読む中編までが同じ表紙の下に並び、密室と不可能状況という一本の芯が、五編を通して貫かれています。長さの違う器に、カーが同じ酒をどう注ぎ分けるのか。

そういう読み方のできる編み方になっています。

読みどころ

読みどころは、短い枚数のなかに発端の謎と鮮やかな解決を同居させてしまう、その凝縮の技術です。 長編であれば、雰囲気を醸し、伏線を張り、人物を動かすための紙幅がたっぷりとあります。

短編にその余裕はありません。謎はただちに立ち上がらねばならず、解決は駆け足であってはならない。

この二つの要求は本来なら互いを削り合うはずのもので、だからこそ短編の不可能犯罪は難所とされてきました。表題作が「ポオ以降の短編推理小説史上のベストテンにはいる名品」と長く言われてきたのは、その難所を軽々と越えて見せるからです。

もうひとつ、この一冊はカーという作家への入り口としてもよく効きます。代表的な長編はいずれも堂々たる分量を備えていますが、本書なら短編一編ぶんの時間で、この作家の呼吸——謎の出し方、怪奇の混ぜ方、理屈のつけ方——をひととおり味わえます。

合うと感じたなら長編へ、そうでなければ他の作家へ。そんな試し読みの役目を、名品ぞろいの中身のまま果たしてくれる一冊はそう多くありません。

こんな人におすすめ

一方で、長編の濃密な空気に何時間も浸りきりたいという読者には、短編集という器そのものが物足りなく映るかもしれません。怪奇の色合いを帯びた発端も、あくまで理詰めの謎解きだけを求める向きには余分に見える可能性があります。

不可能状況が好きで、しかも読書時間が細切れにしか取れない——そんな読者には、これ以上ないほど噛み合う一冊でしょう。

作品の背景

カーの名作は長編だけではありません。短編でも数々の名品を残しており、なかでも表題作「妖魔の森の家」は、彼の全作品を通じての白眉とまで評されてきた一編です。

本書はそれを含む中短編五編をまとめたもの。大伽藍を築く長編の手つきと、わずかな枚数に謎と解決を封じ込める手つき——同じ作家の二つの顔のうち、後者を確かめるための一冊だと考えてください。

手に取るなら

現在手に取るなら、東京創元社の創元推理文庫〈カー短編全集〉第2巻として刊行されている版です。巻末には中島河太郎による解説を収録。

原書1947年、邦訳1970年という年月を経てなお読み継がれてきた事実そのものが、この短編集の値打ちをいちばん静かに証明しています。長編の巨匠として語られがちなカーの、もうひとつの本領がここにあります。

ジョン・ディクスン・カーについて

ジョン・ディクスン・カーは1906年にアメリカのペンシルヴェニア州で生まれ、1977年に亡くなりました。1930年、パリの予審判事アンリ・バンコランが登場する『夜歩く』でデビューし、1932年に英国人女性と結婚して渡英してからは、英国を主な舞台に書き継いでいきます。

ギデオン・フェル博士のシリーズと、カーター・ディクスン名義で書いたヘンリ・メリヴェール卿のシリーズという二つの柱を並行させ、『帽子収集狂事件』『ユダの窓』、シリーズの外に置いた『皇帝のかぎ煙草入れ』などを残しました。

密室をはじめ、起こりえないはずの状況を組み立てては解いてみせる作風から〈不可能犯罪の巨匠〉と呼ばれ、怪奇な雰囲気づくりにも長けた書き手です。1950年に伝記『コナン・ドイル』でアメリカ探偵作家クラブの特別賞を受け、1963年には同クラブの巨匠賞(グランド・マスター)を贈られています。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫(カー短編全集2)
原書刊行年
1947
邦訳刊行年
1970
ISBN-13
9784488118020
系譜
黄金期米国古典 / 連作短編 · 名探偵もの

ジョン・ディクスン・カーをもっと読む

全作品一覧へ →

似た読み味を、他の作家で

気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本

この本が登場する特集

この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

プロフィールを見る →