論理の前に膝を折る。
タラント氏の事件簿[完全版]
クイーンが激賞した奇想の名短編集。超自然めく難事件に挑む。
メトロポリタン博物館から、古写本が忽然と消える。ペントハウスの一室では、閉ざされた空間に死体が横たわる。
乗った者を次々と死へ追いやる、いわくつきのボート。古い詩に詠まれたとおりに、消えては現れることをくり返す竪琴。
どれも、常識では筋の通らない怪事ばかりです。そんな不可解の連なりに挑むのが、日本人の執事カトーを従えた謎の紳士、タラント氏。
C・デイリー・キングが遺した連作短編集は、そういう奇怪な事件簿として幕を開けます。
物語の入り口
事件を語り手として見つめるのは、ジェリー・フィランという人物です。読者は彼の目を借りて、タラント氏のかたわらから怪事件の現場へと分け入っていくことになります。
開幕を飾るのは、いずれ劣らぬ難物ばかり。メトロポリタン博物館という衆人環視の場から、古写本がふいに姿を消してしまう。
豪奢なペントハウスで、密室としか言いようのない状況のもとに殺人が起きる。乗った者を死に追いやると噂されるボートの怪。
そして、古い詩の文句をなぞるように、消失と出現をくり返す竪琴。超自然の気配を色濃くまとった状況が、まず読者の前に立ちはだかります。
それを、タラント氏は観察と論理で一つずつ解きほぐしていく。怪異に呑まれるのではなく、怪異の輪郭を冷静になぞっていく紳士の物腰が、この事件簿の背骨です。
「古写本の呪い」「現われる幽霊」「釘と鎮魂曲」「〈第四の拷問〉」「首無しの恐怖」「消えた竪琴」「三つ眼が通る」「最後の取引」「消えたスター」「邪悪な発明家」「危険なタリスマン」「フィッシュストーリー」——並ぶ題名を眺めるだけでも、怪奇と不可能の匂いが立ちのぼってきます。読者は、幽霊や呪いの側に引きずり込まれそうになりながら、それでも理が通るはずだと信じて、探偵とともに現場に踏みとどまる。
その宙ぶらりんな緊張こそ、この短編集の入り口の醍醐味です。
読みどころ
この事件簿の値打ちは、奇想と論理がひとつも矛盾せずに同居しているところにあります。 超自然としか思えない発端を用意しておきながら、そこへ論理の光を当てて解き明かす。
一見すると水と油のふたつが、キングの手のなかでは自然に両立しています。心理学を修めた学者が、怪奇の意匠と理詰めの筋道をこうも危なげなく縫い合わせているのは、偶然ではないのかもしれません。
原型となった1935年の短編集は、エラリー・クイーンが名短編を集成した〈クイーンの定員〉に選び、当代におけるもっとも想像力に富んだ傑作と讃えました。作り手であると同時に、誰よりも厳しい目利きでもあった巨匠が惜しみなく手向けた賛辞が、この本の奇想の質を何より雄弁に物語っています。
本書のもうひとつの美点は、その「[完全版]」という肩書きにあります。クイーンが激賞した往年の短編集に、後年発表された作品を増補し、シリーズの全作品を一冊に網羅した決定版なのです。
名探偵タラント氏の事件簿を、断片ではなくまるごと味わえる。奇想の名手が仕掛けた怪事件を、順を追ってひとつずつ堪能したい読者にとって、これ以上ないかたちで用意された器と言えます。
こんな人におすすめ
超自然めいた入り口と論理の解決を、一冊のなかで何度も往復したい読者には、まっすぐ薦められる短編集です。名探偵に手綱をあずけ、その明晰さに身を委ねる愉しみを求める向きにも、よく応えてくれるでしょう。
逆に、長い物語のなかでじっくりと人物の陰影に浸りたいという読者には、一編ごとに趣向が切り替わる短編集の呼吸は、やや慌ただしく感じられるかもしれません。ただ、その手数の多さこそが連作短編の醍醐味でもあります。
作品の背景
探偵小説の書き手としては短かったC・デイリー・キングの作家人生のなかで、後世に名を残す一冊となったのが、このタラント氏を主役に据えた短編集でした。
手に取るなら
手に取るなら、創元推理文庫版を。訳は、ウォーターズ『半身』『荊の城』などで知られる英米文学翻訳家の中村有希。
巻末には千街晶之による解説が添えられています。心理学者にして奇想の書き手だったキングが、生涯で幾度も立ち返った怪紳士タラント氏。
その全貌を一望できる決定版として、黄金期アメリカ探偵小説の一風変わった鉱脈を掘り当てるのに、これほど恰好の入り口はそうありません。
C・デイリー・キングについて
C・デイリー・キングは1895年にニューヨークで生まれ、1963年に亡くなったアメリカの作家です。第一次世界大戦に従軍したのちイェール大学を卒業し、職を転々としながら心理学の研究を続けて、コロンビア大学で修士号、イェール大学で博士号を得ました。
本業は心理学者です。
1932年の『海のオベリスト』でデビューし、マイケル・ロード警部補が活躍する長編を、〈オベリスト三部作〉と『いい加減な遺骸』に始まる〈ABC三部作〉の計6作書いています。作中の手がかりのありかを解決編で示す「手がかり索引」や、嘘発見器のような心理学の道具立てを持ち込むなど、趣向を凝らした作風が特徴です。
1935年の連作短編集『タラント氏の事件簿』は、オカルトと探偵小説を掛け合わせた一冊で、「クイーンの定員」にも数えられています。第二次世界大戦後は心理学の研究に戻り、探偵小説からは離れました。
書誌情報
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