ミステリーとしての読みどころ
二万人が見ている前で、人が撃たれる。それだけなら、目撃者には事欠かない事件のはずでした。
ところが〈ザ・コロシアム〉の客席に居合わせたエラリーが向き合うことになったのは、その正反対の状況です。現場から集められた四十五挺の銃は、被害者自身のものまで含めて、どれも凶器ではなかった——。
『アメリカ銃の謎』は、これ以上ないほど開かれた場所で起きた事件を、純粋な論理だけで攻めていく一作です。
著者について
エラリー・クイーンという名前は、一人の作家を指しません。フレデリック・ダネイ(1905-82)とマンフレッド・B・リー(1905-71)、いとこ同士が分け合った合同ペンネームです。
二人は1929年、出版社のコンテストに投じた長編『ローマ帽子の謎』でデビューし、同書を第一作とする〈国名シリーズ〉で足場を築きました。当初はバーナビー・ロス名義で発表されたドルリー・レーン四部作も、ほぼ同じ時期の仕事です。
のちにダネイは雑誌〈エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン〉を通じて数多くの作家を世に送り出し、研究者として、アンソロジストとしても足跡を残しました。「アメリカの推理小説そのもの」とまで評された、巨匠中の巨匠。
本作は1933年に世に出た〈国名シリーズ〉の第六弾にあたります。
幕が上がるのは、ニューヨークのスポーツの殿堂〈ザ・コロシアム〉。この日ここに詰めかけたのは、二万という数の観客です。
呼び物は、西部劇の英雄バック・ホーンのショウ。かつて西部劇のスターとして名を馳せた男が、いままさに馬にまたがって場内を走る——それだけで客席が沸き立つ、華やかな見世物でした。
屋根の下に二万人分の熱気がこもり、拍手と口笛が波になって押し寄せます。やがてカウボーイたちが居並び、拳銃が一斉に火を噴く。
歓声と硝煙が場内に満ちて、演し物は最高潮を迎えます。
ところが、その次の瞬間です。銃声が収まったトラックの上に、射殺死体が転がっていました。
晴れがましい歓声は、一拍おいて悲鳴に変わります。二万の目が一点に注がれていたその場所で、人が撃たれて死んだ。
これほど目撃者に恵まれた殺人も珍しい——はずでした。満場の客も、トラックに居並んだカウボーイたちも、誰ひとり見逃しようのない場所で事は起きたのですから。
ところが調べが進むほどに、事件はかえって輪郭を失っていきます。現場から回収された銃は四十五挺。
被害者が身につけていたものまで含めて、その一挺として凶器ではないのです。二万人の目の前で放たれた弾丸。
それを撃ち出した銃が、どこにも見あたらない。
客席から一部始終を眺めていたエラリーが、この「大胆きわまる犯罪」の解明に乗り出します。読者もまた、彼と同じ観覧席に座らされた恰好です。
見ようと思えばいくらでも見えたはずの舞台。何万という視線がくまなく注がれていたはずの数十秒。
それなのに、肝心のものだけが誰の目にも映らなかった。目撃者が二万人もいるという事実が、手がかりの豊かさではなく、そのまま謎の深さのほうへ反転してしまう。
この落ち着かなさが、ページをめくる手を速めていきます。
読みどころ
読みどころは、これ以上ないほど派手な不可能状況を、あくまで手続きとしての論理でほどいていく手さばきにあります。 閉ざされた部屋の中ではなく、二万人に開け放たれた場所で成立してしまう不可能。
その設定の大胆さが、まず目を引きます。けれども本作の背骨は、終始うるさいほどの手がかりの積み上げです。
そして結末の前には、恒例の「読者への挑戦」が置かれる。ここまでで材料はすべて出そろった、と作者が読者に正面から告げる一頁です。
本を伏せて腕を組むかどうかは読者の自由ですが、挑戦を受けて立つつもりのある人にとって、これほど誠実な作りもそうはありません。
もうひとつ挙げるなら、〈国名シリーズ〉という枠組みそのものの手ざわりです。国名を冠した題名が並ぶこのシリーズは、作品ごとに舞台も趣向も入れ替えながら、「手がかりは残らず読者に示す」という流儀だけは崩しません。
第六弾が選んだ舞台は、ロデオと西部劇という、あろうことか最も騒がしい見世物の只中でした。静けさとは正反対の場所に論理を持ち込んで、それでも解けると言い切ってみせる。
黄金期アメリカ本格の気っぷの良さが、題材の選び方からしてよく出ています。
向いているのは、名探偵の推理に身を任せながら、示された手がかりで自分でも答えを組み立ててみたい読者です。反対に、人物の心理を深く掘り下げる物語や、現代的なスピード感を求める向きには、事実を一つずつ几帳面に積み上げていく運びが少々悠長に映るかもしれません。
1933年の作品ですから、見世物の空気にも語り口にも、それなりの古めかしさはあります。ただ、その古めかしさこそが黄金期の薫りでもある。
時代の空気ごと味わうつもりで開けば、退屈する時間はまずないはずです。
手に取るなら
現在手に取るなら、創元推理文庫の新訳版になります。訳者は中村有希。
1968年生まれ、東京外国語大学を出た英米文学翻訳家で、ウォーターズ『半身』『荊の城』などの訳書でも知られる書き手です。同じ訳者でシリーズ第一作『ローマ帽子の謎』も読めますから、デビュー作から第六弾までの歩みを追ってみるのも一興でしょう。
巻末には太田忠司による解説を収録。二万人の目という、探偵にとって最も分の悪い条件のもとで、それでも論理は勝てるのか。
その一点を確かめるために開く一冊です。