黄金期米国古典 1944
盗まれた軍服は、
殺人犯に仕立てる罠だった。
『人形パズル』パトリック・クェンティン

書評

人形パズル

戦時下のサンフランシスコを舞台にしたダルース夫妻の巻き込まれ型ミステリ

人形パズル 表紙画像
パトリック・クェンティン 東京創元社(創元推理文庫(新訳版)) 原書 1944年 · 邦訳 2014年
目次

束の間の休暇のはずでした。戦争に駆り出されて海の男となった一人の中尉が、愛する妻と久しぶりの時間を過ごそうと、見知らぬ街に降り立ちます。

ところが泊まる宿は見つからず、大切な軍服まで盗まれ、災難ばかりが続く。そして、その不運の連なりこそが、やがて自分を殺人犯に仕立てあげる罠の入り口だった——そう気づいたとき、のどかであるはずの休暇は一転し、追われる者の逃避行へと姿を変えます。

『人形パズル』は、そんな戦時下アメリカを舞台にした巻き込まれ劇です。

物語の入り口

物語は、第二次大戦のさなかに幕を開けます。時勢ゆえに戦争へと駆り出され、海軍中尉となったピーター・ダルース。

本来は演劇の世界に生きる男です。ようやく巡ってきた休暇を、女優である愛妻アイリスと水入らずで過ごそう——そんなささやかな願いから、この一編は動きだします。

けれど、事はそう甘くは運びません。不案内な土地では泊まる宿がなかなか見つからず、あろうことか軍服までもが盗まれてしまう。

二人の休暇は、出だしからちぐはぐな災難続きなのです。この不運は、いったいどこまで転がり落ちていくのか。

やがて訪れる出来事の前では、それらの災難もまだ序の口にすぎませんでした。アイリスの従姉を訪ねた二人が目にしたのは、胸に短刀の刺さった変わり果てた姿だったのです。

のどかだったはずの休暇は、ここで一気に暗転します。しかも現場には、ピーターをこの死の犯人に仕立てあげようとする工作が、あらかじめ仕掛けられていました。

先ほどの軍服盗難も、どうやらその筋書きの一部だったらしい——そう思い当たったときには、もう後の祭り。中尉は、身に覚えのない殺人の容疑者として、追われる側へと投げ込まれてしまいます。

こうしてピーターとアイリスは、私立探偵のコンビを頼みの綱に、追っ手をかわしながら真相を探る逃避行へと乗り出していきます。読者が立たされるのは、無実を訴える術を奪われたこの夫婦のすぐ傍らです。

彼らと一緒に街をさまよい、背後の足音に身をすくめ、次に何が起こるのかと息を詰めることになります。腰を据えた安楽椅子の謎解きではありません。

追う者と追われる者がめまぐるしく入れ替わる、巻き込まれ型サスペンスの疾走感こそが、本作の身上です。

読みどころ

この物語の読みどころは、静かに腰を据えて解く謎ではなく、逃げながら考えることを強いられるスリルにあります。 真相へたどり着くための思考と、追っ手から身をかわすための行動とが、片時も切り離せません。

安全な場所から事件を眺めるのではなく、いつ足がつくとも知れない緊張のなかで、わずかな手がかりを拾い集めていく。追い詰められた者にしか見えてこない景色のなかで謎と向き合う、その落ち着かなさこそが、本作ならではの醍醐味です。

クェンティンの名を共有する二人の書き手が編んだ凝った筋立てと、軽妙な語り口が、戦時下アメリカという時代の空気とあいまって、最後まで走り続けるような読み味を生んでいます。その仕上がりは高く評価され、『2014本格ミステリ・ベスト10』の海外編では第7位に選ばれました。

こんな人におすすめ

もっとも、この一冊には読み手を選ぶところもあります。密室や不可能犯罪の論理を、腰を落ち着けてじっくり解きほぐす——そんな静かな謎解きを何より愛する人には、本作の落ち着かない疾走感は、いくらか忙しなく映るかもしれません。

反対に、主人公たちと一緒になって振り回されるスリル、巻き込まれ型サスペンスならではのハラハラを味わいたい人には、これ以上なく相性のよい作品でしょう。肩の力を抜き、黄金期の薫りとスピード感の同居を楽しみたい夜にこそ、ひらいてほしい一編です。

作品の背景

ピーター・ダルースとアイリスの夫婦が活躍する「パズル」シリーズは『迷走パズル』『俳優パズル』と続き、『人形パズル』はそれに連なる第3作にあたります。刊行は1944年、まさに第二次大戦のただなかでした。

手に取るなら

いま手に取るなら、創元推理文庫の新訳版(2014年)が間口の広い選択です。訳は英米文学翻訳家の白須清美。

クェンティンの「パズル」シリーズを『迷走パズル』『俳優パズル』から続けて手がけてきた訳者だけに、シリーズならではの軽やかな語り口を、安心して味わうことができます。巻末には、佳多山大地による解説を収録。

第二次大戦下という時代設定そのものが、物語の疾走感を底のほうから支えているのも、本作の見どころのひとつでしょう。戦時下の巻き込まれ劇として一気に読ませてくれる、黄金期アメリカ・ミステリの達者な一編です。

パトリック・クェンティンについて

パトリック・クェンティンは、英国生まれのリチャード・ウィルスン・ウェッブ(1901〜1966年)とヒュー・キャリンガム・ウィーラー(1912〜1987年)が主に用いた合作の筆名です。ウェッブが別の相棒と始めた「Q・パトリック」名義の合作に、1934年にアメリカへ渡ったウィーラーが加わり、1936年の『迷走パズル』からこの名が使われ始めました。

同じころ「ジョナサン・ステイジ」の名でも書いています。

代表的な探偵役は、ブロードウェイの演出家ピーター・ダルースと妻アイリスで、題に「パズル」を冠した連作で知られます。1940年代には犯人当てからスリラーへと作風を広げ、健康を損ねたウェッブが退いた1950年代以降は、ウィーラーが一人でこの名を引き継ぎました。

1963年には短編集がアメリカ探偵作家クラブ(MWA)の特別賞を受けています。ウィーラーはのちにミュージカルの台本でトニー賞を受けています。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫(新訳版)
原書刊行年
1944
邦訳刊行年
2014
ISBN-13
9784488147082
系譜
黄金期米国古典 / 名探偵もの

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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