劇場が死者を出した。
俳優パズル
「迷走パズル」に続くダルース夫妻第2作、いわくつきの劇場が舞台
初日の幕が上がるかどうか——その一点に、劇場じゅうの神経が張りつめています。ブロードウェイの舞台で再起を期すひとりの男が、選びぬいた新作劇を世に送り出そうとする。
ところが稽古が進むにつれ、幕開けを待つ高揚は、少しずつ別の色を帯びていきます。『俳優パズル』(1938年)は、芝居がかかるまでの舞台裏そのものを謎解きの器に仕立てた、黄金期アメリカの本格ミステリです。
物語の入り口
物語の主人公ピーター・ダルースは、アルコール依存症の治療をようやく終えたばかりです。一度は足をすくわれかけた男が、失いかけた自分を立て直し、名プロデューサーとして華々しく返り咲くこと——それが、いまの彼の望みのすべてでした。
そんな彼のもとに、折よく素晴らしい脚本が舞い込みます。これぞという一作にめぐりあった手応えを胸に、ピーターは新作劇の上演へと乗り出していく。
舞台はブロードウェイ。一世一代の勝負が、ここから始まる——はずでした。
ところが、その興行に用意されたのは、いわくつきと噂される古びた劇場です。過去に不吉な出来事があったと囁かれるその建物で、リハーサルは初日から妙にぎくしゃくと軋みはじめます。
ひと癖もふた癖もある俳優陣は難点だらけで、稽古は思うように進まない。そこへトラブルメーカーまで乱入してきて、ピーターの苛立ちはいや増すばかり。
幕を上げる日は刻一刻と迫るのに、足元は少しも固まらないのです。晴れやかな初日への高揚と、現場に漂う不穏な気配とが、同じ空間で奇妙に同居していきます。
そしてついに、劇場は死者を出します。稽古の熱気が渦巻いていたはずの場所へ官憲が踏み込み、華やかな初日へ向けた準備は、一転して事件の渦中に引きずり込まれていく。
プロデューサーであるピーターは、望んだわけでもないのに、素人探偵の役回りを背負わされることになります。芝居を守り抜くためにも真相を突き止めねばならず、しかも与えられた猶予はごくわずか。
果たして幕は無事に上がるのか——興行の存亡と謎解きとが分かちがたく絡み合ったまま、物語はいっきに加速していきます。
読みどころ
本作の醍醐味は、劇場という閉じた世界そのものが、謎解きの舞台装置として丸ごと生きているところにあります。 限られた顔ぶれが同じ建物に日夜こもり、それぞれの野心や思惑を抱えて動く。
舞台裏の空気、稽古場の緊張、初日を前にした独特の高ぶり——そうした演劇界の手ざわりが、事件の背景に厚く塗り込められています。パトリック・クェンティンの名を共有した合作の二人は、劇界を知り抜いた視点からこの世界を描いており、その描写の確かさが、謎そのものの説得力を静かに支えているのです。
もうひとつ、探偵役が職業的な名探偵ではなく、渦中のプロデューサーその人だという点も効いています。彼にとって謎解きは、知的な遊戯である前に、自分の興行を——そして自分自身の再起を——守るための切実な闘い。
読者は、幕が上がるかどうかという興行のカウントダウンと、真相への焦りとを、ピーターと同じ側から一緒に数えることになります。この二重の時間の圧が、黄金期のパズルに独特の熱を与えています。
腰を据えて対峙する価値のある一編です。
劇場や舞台裏を舞台にした物語が好きな読者、そして群像のざわめきごと黄金期のパズルを味わいたい読者には、迷わず薦められる一冊です。逆に、余分な賑わいを削ぎ落として事件だけを最短距離で追いたいタイプには、稽古場をめぐる人間模様がやや回り道に感じられるかもしれません。
ただ、その賑わいこそが本書の体温であり、舞台の熱を抜いてしまってはこの作品の魅力は半減してしまう、とも言えます。
作品の背景
パトリック・クェンティン名義のもとで生まれたのが、演劇プロデューサーのピーター・ダルースを探偵役に据えた〈パズル〉シリーズです。本書はその第2作で、『迷走パズル』に始まる物語の、いわば第二幕にあたります。
手に取るなら
いま手に取るなら、創元推理文庫の新訳版(2012年)です。訳は白須清美。
イネスやバークリーなど英米の作品を数多く手がけてきた翻訳家で、〈パズル〉シリーズも継続して訳し継いでいます。巻末には法月綸太郎による解説を収録。
前作『迷走パズル』から読み進めれば、ピーター・ダルースという人物の来歴がつながり、彼の再起にかける切実さもいっそう深く響いてきます。シリーズはこの先『人形パズル』『女郎蜘蛛』と続いていき、いずれも同じ訳者の手で読み継いでいけるのも心強いところ。
ひとまず本書一冊でも読み口は完結していますから、舞台の熱と本格の骨格を一度に味わいたいときに、確かな手応えを返してくれる一作です。
パトリック・クェンティンについて
パトリック・クェンティンは、英国生まれのリチャード・ウィルスン・ウェッブ(1901〜1966年)とヒュー・キャリンガム・ウィーラー(1912〜1987年)が主に用いた合作の筆名です。ウェッブが別の相棒と始めた「Q・パトリック」名義の合作に、1934年にアメリカへ渡ったウィーラーが加わり、1936年の『迷走パズル』からこの名が使われ始めました。
同じころ「ジョナサン・ステイジ」の名でも書いています。
代表的な探偵役は、ブロードウェイの演出家ピーター・ダルースと妻アイリスで、題に「パズル」を冠した連作で知られます。1940年代には犯人当てからスリラーへと作風を広げ、健康を損ねたウェッブが退いた1950年代以降は、ウィーラーが一人でこの名を引き継ぎました。
1963年には短編集がアメリカ探偵作家クラブ(MWA)の特別賞を受けています。ウィーラーはのちにミュージカルの台本でトニー賞を受けています。
書誌情報
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