名探偵は迷宮に落ちた。
二の悲劇
死体から見つかった一本の鍵と「長さ90センチ相当」のキーホルダー。手がかりから論理を組む作家=探偵法月綸太郎と、二人称で描かれる「きみ」。
主人公は、「きみ」。法月綸太郎『二の悲劇』は、二人称で描かれる部分を持つ作品です。
「きみ」は京都四条河原町の雑踏で、突然に名前を呼ばれます。思いもかけぬ再会に、二人は惹かれ合う。
すべては、東京世田谷で「彼女」が殺されて暗転しました。死体から見つかった、たった一本の小さな鍵。
「長さ90センチ相当」のキーホルダーから、作家探偵・法月綸太郎はひとつの推理を導きます。けれども、その推理で事件が閉じることはありませんでした。
1994年に祥伝社ノン・ノベルから出て、第48回日本推理作家協会賞長編部門の候補になりました。
物語の入り口
「きみ」は、京都四条河原町の雑踏で、突然に名前を呼ばれます。思いもかけぬ再会。
二人は惹かれ合っていく。主人公は、この「きみ」です。
読み手は「きみ」と呼ばれ続けながら、「きみ」の身に起きたことを追うことになります。名前を呼ばれたのは「きみ」なのに、その驚きを読み手も自分のこととして受け取ってしまう。
二人称で書かれた場面には、そういう引き込む力があります。
京都の再会がどこへ向かうのかを、読み手は「きみ」と一緒に見守ることになります。惹かれ合う二人の時間は、まだ明るい色をしています。
そして、すべては東京世田谷で「彼女」が殺されて暗転しました。死体から見つかったのは、たった一本の小さな鍵。
「長さ90センチ相当」というキーホルダーの奇妙な条件から、作家探偵・法月綸太郎はひとつの推理を導きます。この一本の鍵と、90センチという数字。
それだけを足場に筋道を組み上げるところに、探偵の最初の見せ場があります。作家と同じ名前を持つこの探偵を主人公にしたシリーズは、デビュー作の翌年から書き継がれてきました。
ところが、一本の鍵から導かれた推理は、果てのない迷宮の入口にすぎませんでした。京都の雑踏で始まった「きみ」の時間と、世田谷の死を追う探偵の時間——二つを手渡されたまま、読み手はその入口に立たされます。
読みどころ
読みどころは、一本の鍵から導いた推理が、終点ではなく出発点になっていくところにあります。 探偵は手がかりから推理を導きます。
導いた推理は、正しいかもしれないし、正しくないかもしれません。手がかりを重んじる書き手らしく、推理の足場になるのは、一本の鍵のような、手に取れる小さな物です。
探偵が推理を組み立て、組み立てた推理と向き合い続ける。その過程そのものが、物語を前へ進めていきます。
答えに着くことより、答えを疑い続けることのほうに、この物語の重心があります。
もうひとつは、「きみ」という二人称です。誰かに「きみ」と呼びかけられ続ける文章を読むとき、読み手は、自分がその「きみ」なのか、それとも「きみ」を見ている誰かなのかを、決めないまま読み進めることになります。
その宙づりの感覚は、この物語の読み味を決める大きな要素です。四条河原町の人波のなかで不意に名前を呼ばれる、その一瞬の戸惑いまでが、呼びかけの文体を通してじかに手元へ届きます。
この事件で、探偵は迷い、苦しみます。一本の鍵と90センチという数字から筋道を組み上げる手つきは確かなのに、探偵はその筋道のうえで足を止め、何度も考え直すことになります。
作家と同じ名前を持つ探偵が、迷いを抱えたまま推理を手放さずにいる。その粘りの重さが、この作品の読後に残るものです。
すっきりと解決される快感を求めて開くと、戸惑うかもしれません。その戸惑いこそが、この作品の核です。
作品の背景
この作品は1994年に祥伝社ノン・ノベルから刊行されました。『一の悲劇』に続く「悲劇」を冠する作品で、第48回日本推理作家協会賞長編部門の候補になっています。
手に取るなら
祥伝社文庫の新装版で読めます。電子版もあります。
シリーズは作家探偵・法月綸太郎の登場作を順に読むのが本筋ですが、この作品は事件そのものが独立していますから、ここから入ることもできます。手がかりから論理で真相に至る本格の快感と、その論理が探偵自身を苦しめる姿。
両方を一度に味わいたい人に向いています。京都の雑踏で「きみ」が名前を呼ばれるところから——迷宮の入口まで、まず自分の足で歩いてみてください。
法月綸太郎について
法月綸太郎は1964年、島根県松江市に生まれました。京都大学法学部に進み、京大推理小説研究会では綾辻行人・我孫子武丸と同期でした。
1988年、島田荘司の推薦を受けて『密閉教室』でデビューし、新本格の書き手として歩み出します。第2作『雪密室』からは、作者と同名の推理作家・法月綸太郎が警視の父とともに事件に挑むシリーズを書き継いできました。
敬愛するエラリー・クイーンの設定にならった形です。
2002年に短編「都市伝説パズル」で第55回日本推理作家協会賞短編部門、2005年に『生首に聞いてみろ』で第5回本格ミステリ大賞を受賞しました。評論家としても知られ、クイーン作品を論じるなかで「後期クイーン的問題」を提起しています。
2013年から2017年まで本格ミステリ作家クラブの会長を務め、2025年には新保博久との往復書簡『死体置き場で待ち合わせ』で本格ミステリ大賞の評論・研究部門も受けました。
書誌情報
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