救急医の自分と同じ顔で。
禁忌の子
救急医のもとに搬送された自分と瓜二つの溺死体——現役医師の鮎川賞デビュー作。
一体の溺死体が、病院の救急外来へ搬送されてきます。身元を示すものはなく、遺体には「キュウキュウ十二」という仮の呼び名がつけられる。
山口未桜『禁忌の子』は、その死者の顔が、遺体を受け入れた救急医・武田とうり二つだったという一点から動き出します。死んだ男は何者なのか、なぜ自分と同じ顔をしているのか。
現役の医師が書き、第34回鮎川哲也賞を満場一致で射止めたデビュー作です。
物語の入り口
舞台は救急の現場です。主人公は、運び込まれてくる患者をまず受け止める側にいる医師。
その日の搬送のひとつが、すでに息のない溺死体でした。身元のわからない遺体に「キュウキュウ十二」という呼び名がつく。
その顔が、鏡を覗いたときに見る自分の顔と同じだったのです。
ここで主人公の前には、三つの問いが並びます。彼はなぜ死んだのか。
なぜ自分と同じ顔をしているのか。そして、自分とどんな関係にあるのか。
遺体に向き合う医師としての立場と、答えを求める当事者としての立場が、最初の場面でひとりの人間の中に重なってしまう。仕事として見送るはずの遺体が、彼自身の問題に変わる瞬間です。
彼はひとりで抱え込みません。旧友で、同じく医師の城崎とともに調べを始めます。
救急の現場に立つ医師と、昔からの友人である医師。同じ言葉で話せる二人が、手がかりを一つずつ拾い、事情を知っていそうな人物へと近づいていきます。
ところが、その鍵を握る人物に会おうとした矢先、相手は密室の中で死体となって見つかるのです。
身元不明の溺死体の謎がひとつも解けないうちに、密室の中のもうひとつの死が道をふさぐ。武田が辿ろうとしているのは自らのルーツで、その先で待つ真相へ、物語は過去と現在を行き来しながら進みます。
死者と同じ顔を持つ男の肩越しに、二人の医師の手探りの調査を見守る——読み手が立たされるのは、そういう位置です。
読みどころ
読みどころは、医療の現場を舞台にしながら、謎解きの骨組みを専門知に預けていないところにあります。
現役の医師が書いた、医療の現場のミステリと聞けば、専門用語の並ぶ難解な頁を思い浮かべる人もいるでしょう。けれども、この物語の謎は、専門用語の知識を読み手に求めません。
救急の現場は発端を与える舞台として働き、謎そのものは、なぜ同じ顔なのか、なぜ死んだのかという、医学の心得がなくても誰もが抱ける問いの形で差し出されます。救急外来で遺体を受け入れ、旧友と連れ立って手がかりを追い、鍵を握る人物のもとへ出向く。
筋の運びそのものは、足を使って一歩ずつ調べていく謎解きの形をとっていて、医学の知識が読み手の前に壁として立ちはだかることはありません。
もうひとつは、物語の運びです。麻耶雄嵩は選評で、主人公が歩みを進めるたびに真相に近づいていく展開を「良質なサスペンスドラマのように」見事だと評しました。
青崎有吾は「投稿作であることも忘れ手に汗握った」と書き、東川篤哉は「とにかく書きっぷりが達者」だと言っています。三人の本格の書き手が、そろって語りの推進力に触れている点は目を引きます。
著者が自作を「これまで自分が好きだったミステリーへのアンサーソング」と呼んでいることも、本格好きには気になるところでしょう。救急医療という現代の現場に、密室という古くからの道具立てが持ち込まれる。
その取り合わせ自体が、デビュー作の名刺になっています。
こんな人におすすめ
医療を扱った小説は専門用語が多そうで手が伸びなかった、という人にも入りやすい作りです。発端の謎の強さに引かれて頁を繰りたい人、密室を含む正統の謎解きを新人の筆で味わいたい人に向きます。
鮎川哲也賞の受賞作を毎年追っている人や、2025年本屋大賞の候補作を順に読んでいる人にとっても、外しにくい位置にある作品です。
作品の背景
鮎川哲也賞の第34回は、選考委員の青崎有吾、東川篤哉、麻耶雄嵩の三氏がそろって推し、満場一致で受賞が決まりました。2024年に東京創元社から刊行され、刊行時には選考経過と三氏の選評もあわせて公にされました。
受賞のあとも評価は広がりました。「週刊文春ミステリーベスト10」2024年版で第3位、2025年本屋大賞では第4位に入り、第25回本格ミステリ大賞の候補にも挙がっています。
手に取るなら
現在は創元推理文庫で読めます。著者のデビュー作で、シリーズには続刊があります。
刊行順に追うなら、まずはこちらから入るのが自然です。同じ顔をした死者の前に立ったひとりの救急医から、山口未桜の謎解きは始まりました。
山口未桜について
山口未桜は1987年、兵庫県生まれの作家で、神戸大学医学部を卒業した消化器内科医です。医師として働きながら、有栖川有栖が主宰する創作塾をオンラインで受講して小説を学びました。
2024年、第34回鮎川哲也賞を受けた『禁忌の子』でデビューします。医師の城崎響介が謎を解く〈医師・城崎響介のケースファイル〉シリーズの第1作にあたり、2025年には第2作『白魔の檻』を発表しました。
こちらは翌2026年、第79回日本推理作家協会賞の候補に選ばれています。病院や地域医療の現場を舞台に、医療の知識を謎と手がかりに組み込む本格ミステリを書いています。
書誌情報
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