屋上で死んでいた。
キッド・ピストルズの妄想
マザー・グースの歌が事件の形を決める英国で、パンク刑事の奇妙な論理が冴える中編集。
肩書きは、パンク刑事。名前はキッド・ピストルズ。
山口雅也『キッド・ピストルズの妄想』の主役は、推理小説の刑事像からずいぶん外れた看板を掲げて登場します。舞台は名探偵が実在するパラレル英国で、探偵という職業が一つの制度として認められている世界です。
そこでマザー・グースの歌になぞらえた事件が起こり、この刑事の推理が冴えわたる。1993年に刊行され、「このミステリーがすごい!」1994年版で国内2位に入った、シリーズ第2作の中編集です。
物語の入り口
収められているのは中編が3編です。どれも独立して読め、どこから開いても事件は一から始まります。
3編に共通するのは、入口にまず一枚の奇妙な絵が置かれていることです。死体の位置、閉ざされた船室、遊びの最中の発見——その絵の不自然さが、そのまま謎の形になっています。
巻頭は「神なき塔」です。塔から飛び降りたはずの学者の死体が、なぜか屋上で見つかる。
落ちたのなら地面にあるはずのものが、塔のてっぺんにある。この食い違いだけで、読む側はもう引き返せなくなります。
理屈の合わない一枚の絵を前に、パンク刑事がどんな筋道を立てるのか。巻頭に置かれるにふさわしい、強い引きを持った一編です。
「ノアの最後の航海」の舞台は、ノアの箱舟を模した船です。そこで密室殺人が起こる。
聖書の物語をなぞった大仕掛けな乗り物と、閉ざされた一室の死。題名の響きからして、ただの船旅では済まないことが伝わってきます。
「永劫の庭」では、貴族の庭園で催された宝探しゲームが、死体の発見へと転じます。遊びのはずの催しが、いつのまにか事件の現場になっている。
優雅な庭と宝探しという取り合わせの明るさが、そのまま不穏の下地になっています。
3編を貫いているのは、妄想めいた事件と、それを解きほぐす奇妙な論理です。塔、箱舟、庭園——どれも現実の英国からは半歩ずれた舞台で、そこに名探偵が実在するというこの世界の前提が重なります。
読者はパンク刑事の肩越しに、常識の尺度が少しずつ狂った現場を覗き込むことになる。ここから先、その狂った現場に一本の筋道を通していくのが、キッド・ピストルズの仕事です。
読みどころ
読みどころは、中編という長さが、見立ての照合と推理の畳みかけを同時に支えているところにあります。
マザー・グースの見立ては、歌の文句と現場の状況を一つずつ突き合わせていく趣向です。短すぎれば照合の手間が推理を押しつぶし、長すぎれば畳みかける勢いが鈍る。
中編の分量は、その両方に足りるちょうどの幅で、歌の不気味さを味わう余裕と、論理が一気に走り出す速さが一編の中に収まっています。妄想めいた事件を、奇妙なまま放り出さずに筋道で割っていく。
もうひとつは、シリーズの中でのこの巻の立ち位置です。第1作が短編集だったのに対し、こちらは中編集として編まれました。
器が大きくなったぶん、一つの事件に使える紙幅が増え、歌と現場を照らし合わせる過程を、急がずに描けるようになりました。現行の光文社文庫・改訂新版には「パンク=マザーグーズの事件簿」という副題が付いています。
歌になぞらえた事件というシリーズの趣向が、題の上でもはっきり示された形です。
こんな人におすすめ
見立て殺人という古典的な趣向が好きな方、奇抜な舞台に論理で決着をつける本格を読みたい方に向いています。一方で、現実の警察捜査の質感を求める方には、パラレル英国という設定が遊びに過ぎると映るかもしれません。
その遊びを真顔で押し通す筆致を楽しめるかどうかが、分かれ目です。
作品の背景
1991年12月、山口雅也はキッド・ピストルズが初めて登場する第一短編集『キッド・ピストルズの冒瀆』を出しました。『キッド・ピストルズの妄想』は、その第2作にあたります。
1993年10月に東京創元社から刊行され、シリーズは以後5冊まで続きました。「このミステリーがすごい!」1994年版では国内2位に入り、第47回日本推理作家協会賞(短編および連作短編集部門)と第15回吉川英治文学新人賞の候補にも挙がりましたが、受賞には届きませんでした。
手に取るなら
いま手に取るなら、2018年11月に出た光文社文庫の改訂新版が入手しやすく、496ページの一巻本です。2019年3月からは電子版も出ています。
3編はそれぞれ独立しているので、この巻から読み始めても筋を見失うことはありません。とはいえシリーズの成り立ちを順に追いたいなら、第1作『キッド・ピストルズの冒瀆』から入るのが自然な順番でしょう。
塔の屋上で見つかった学者の謎から、パンク刑事の推理に付き合ってみてください。
山口雅也について
山口雅也は1954年、神奈川県横須賀市に生まれました。早稲田大学法学部に学び、ワセダミステリクラブに所属して、在学中からミステリの評論やエッセイを書いていました。
1989年、東京創元社の叢書〈鮎川哲也と十三の謎〉の一冊『生ける屍の死』でデビューします。
1991年の『キッド・ピストルズの冒瀆』に始まるシリーズでは、名探偵が実在するパラレル英国を舞台に、パンク刑事キッド・ピストルズが事件を解きます。1995年には『日本殺人事件』で第48回日本推理作家協会賞(短編および連作短編集部門)を受賞しました。
作品ごとに題材も舞台も大きく変える書き手で、ミステリ関連の古書や映画のコレクターとしても知られ、2019年からは翻訳叢書「奇想天外の本棚」の製作総指揮を務めています。
書誌情報
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