殺人犯も下山できない。
月光ゲーム
火山噴火で孤立した山に閉じ込められる夏合宿。学生アリスの出発点。
夏合宿のために矢吹山のキャンプ場へやってきた、英都大学推理小説研究会の面々。彼らを待ち構えていたのは、予想だにしない事態でした。
山が噴火したのです。偶然一緒になった三グループの学生たちは、陸の孤島と化したキャンプ場に閉じ込められてしまう。
そしてその極限状況のなかで、まるで月の魔力に誘われたように、殺人鬼が出没する。『月光ゲーム』は、有栖川有栖のデビュー長編にして、学生アリス、すなわち江神二郎シリーズの第1作です。
副題は「Yの悲劇'88」。エラリー・クイーンへのオマージュとして組み立てられた、論理派本格の出発点です。
物語の入り口
江神二郎シリーズは、英都大学推理小説研究会という、作者自身の学生時代を思わせる場所を舞台に、部長の江神二郎が探偵役を務める連作です。夏合宿の舞台は、矢吹山のキャンプ場です。
英都大学推理小説研究会の面々が、そこへやってきます。夏の山、キャンプ、大学生の合宿。
ごくふつうの夏の風景です。ところが、山が噴火します。
噴火によって、キャンプ場は陸の孤島と化しました。外へ出る道は断たれ、助けも来ない。
夏合宿のはずだった数日が、生き延びるための数日に変わります。
閉じ込められたのは、推理小説研究会だけではありません。偶然一緒になった、三つのグループの学生たちがいました。
互いによく知らない者同士が、極限状況のなかで同じ場所に取り残される。噴火という自然の脅威だけでも十分に過酷ですが、事態はそれで終わりません。
その極限状況のなかで、殺人が起こります。まるで月の魔力に誘われたように出没する殺人鬼。
噴火で閉ざされた山のなかに、殺人者がいる。逃げ場はなく、疑いは、閉じ込められた学生たちの内側に向かうしかありません。
噴火の脅威と、殺人者の影。二つの恐怖が、同じキャンプ場に重なります。
山を下りられない以上、学生たちは殺人者と同じ場所で夜を明かすしかありません。
読者は、噴火の灰が降るキャンプ場に、推理小説研究会の一員として座らされます。クローズドサークルという、本格ミステリの古典的な盤面。
そこに、江神二郎という探偵役がいる。副題の「Yの悲劇'88」が示すとおり、エラリー・クイーンへのオマージュとして組まれたこの長編は、論理を積み上げて答えに辿り着く型の本格です。
灰の降りしきる山のなかで、手がかりを一つずつ積み上げていく推理が始まります。
読みどころ
噴火で閉ざされた山という盤面の上で、論理派本格が真正面から組み立てられています。 クローズドサークルの道具立ては古典そのものですが、閉じ込める役を担うのが火山の噴火だというところに、若い書き手の大胆さがあります。
そして、その極限状況のなかで、江神二郎の推理は論理だけを頼りに進む。エラリー・クイーンへのオマージュという構えが、デビュー作の時点ですでに明確です。
謎に向き合う側に推理小説研究会の部員たちを置いたことで、事件の渦中にいる者たち自身が推理小説の読み手だという構図も生まれています。
もうひとつは、出発点としての価値です。ここから江神二郎シリーズが始まり、のちに協会賞、本格ミステリ大賞、日本ミステリー文学大賞へと続く作家生活が始まりました。
英都大学推理小説研究会という場所、江神二郎という探偵役。シリーズの土台がここに置かれています。
新本格の時代の空気を、デビュー作の熱とともに味わえる一冊です。
こんな人におすすめ
論理を積み上げる本格を好む読者、噴火で道を断たれた山という逃げ場のない舞台立てに惹かれる読者に向いています。エラリー・クイーンを読んできた人には、そのオマージュとして格別の楽しみがあります。
推理小説を読み慣れた学生たちが、自分たちの合宿で事件の当事者になってしまう。その皮肉な構図を面白がれる人にも薦められます。
逆に、人物の内面や情感を第一に求める人には、デビュー作の論理の乾きが少し硬く感じられるかもしれません。その硬さこそが、この作家の出発点であり、持ち味です。
作品の背景
有栖川有栖は1989年に本作でデビューしました。刊行の器は、東京創元社の新人発掘企画「鮎川哲也と十三の謎」の第4回配本。
新本格と呼ばれる流れが動き出していた時期に、論理派本格の書き手として世に出た一冊です。本作から始まる江神二郎シリーズは、『孤島パズル』『双頭の悪魔』『女王国の城』と続きます。
漫画化もされていて、刊行から三十年以上を経て、なお新しい読者を迎え続けています。
手に取るなら
現行版は創元推理文庫。江神二郎シリーズの第1作ですから、シリーズを順に読むならここから始めるのが自然です。
『孤島パズル』『双頭の悪魔』へと続く道の、最初の一歩。噴火の山に閉じ込められた夏合宿へ、推理小説研究会の一員として参加してみてください。
江神部長の隣で、論理の手つきを最初から見ておく価値があります。
有栖川有栖について
有栖川有栖は1959年、大阪市の生まれです。小学生のころから推理作家を志し、同志社大学法学部では推理小説研究会に所属しました。
卒業後は書店に勤めながら書き続け、1989年に『月光ゲーム Yの悲劇'88』でデビューします。1994年に書店を辞め、専業作家になりました。
作品は大きく二つの系列に分かれます。江神二郎が探偵役を務める学生アリスのシリーズと、臨床犯罪学者の火村英生と推理作家の有栖川有栖が組む作家アリスのシリーズです。
2003年に『マレー鉄道の謎』で第56回日本推理作家協会賞、2008年に『女王国の城』で第8回本格ミステリ大賞、2018年に火村英生シリーズで第3回吉川英治文庫賞、2022年に第26回日本ミステリー文学大賞を受けました。2000年から2005年までは本格ミステリ作家クラブの初代会長も務めています。
書誌情報
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