ミステリーとしての読みどころ
ライン河畔の断崖に、髑髏そっくりの輪郭をした城がそびえています。名前は、そのまま髑髏城。
〈不可能犯罪の巨匠〉と呼ばれたジョン・ディクスン・カーが、まだ二十代のうちに書き上げた初期作です。ゴシックホラーめいた舞台立てと、その奥で交わされる理詰めの推理。
怪奇と論理、その両方を一度に味わいたい欲張りな読者にこそ差し出したい一冊です。
著者について
カーは1906年、アメリカのペンシルヴェニア州に生まれました。1930年、予審判事アンリ・バンコランを主役に据えた『夜歩く』でデビューを果たすと、そこからの歩みは目覚ましいものでした。
ギディオン・フェル博士シリーズの『帽子収集狂事件』、シリーズの枠を外れた『皇帝のかぎ煙草入れ』、名義を替えたカーター・ディクスンによるヘンリ・メリヴェール卿シリーズの『ユダの窓』——のちにオールタイム・ベスト級と評される傑作を、次から次へと世に送り出していきます。起こるはずのない事件を仕立てては、それを鮮やかに解いてみせる。
その手際で熱狂的な読者をつかみ、いつしか〈不可能犯罪の巨匠〉の名で呼ばれるようになりました。本書『髑髏城』は、その巨匠がキャリアのごく初期、バンコランを探偵役にしていた時期の一編にあたります。
物語の入り口
舞台はドイツ、ライン河畔。川を見下ろす断崖の上に、髑髏の形をした奇怪な城が建っています。
見上げれば、その輪郭はまさしく巨大なされこうべ。近づく者を拒むようなその佇まいだけで、胸の奥がざわつきます。
かつてこの城の主だったのは、マリーガーという稀代の魔術師でした。そのマリーガーが走行中の列車から身を投げてから、すでに十七年の歳月が流れています。
主を欠いたまま、城は河の霧に包まれ、影と沈黙だけを積み重ねてきました。
そして今、城を継いだ男が、火だるまとなって胸壁から転落し、凄絶な最期を遂げます。炎に包まれた人影が城壁からまっさかさまに落ちていく——芝居がかっていて、あまりに不吉なその死。
魔術師の遺産を共同で相続していた富豪は、この異様な出来事におののき、フランスの予審判事アンリ・バンコランへ調査を託します。死の影が色濃く垂れ込める髑髏城へ、バンコランはみずから足を運びます。
その城でバンコランを待っていたのは、事件だけではありませんでした。ベルリン警察の主任捜査官、フォン・アルンハイム男爵。
これまで幾度となく知恵を競い合ってきた好敵手が、ドイツ側の捜査を率いてそこにいたのです。フランスとドイツ、国境をまたいだ二人の名探偵が、髑髏城というただ一つの舞台で顔を突き合わせる。
怪奇に彩られた謎と、探偵同士の火花。二重の緊張をはらんで、物語は動き出します。
読者は霧に沈む古城の門をくぐり、ゴシック小説さながらの重苦しい空気を吸い込みながら、仏独二人の名探偵のすぐそばで、事件の輪郭が形をとっていくのを見つめることになります。城そのものの異様な佇まいが事件と分かちがたく絡み合い、どのページでも読み手を落ち着かなくさせるはずです。
読みどころ
この作品の醍醐味は、怪奇趣味と本格の論理が、どちらも薄まることなく同居しているところにあります。 髑髏の城、火のなかを落ちていく人影——ここに並ぶ道具立ては、ほとんどホラーのものです。
それでいてカーは、その不気味な絵面を雰囲気づくりだけで消費しません。怪奇の霧の奥には、きちんと解かれるべき謎が据えられている。
恐怖と理知、ともすれば水と油になりかねない二つが、一つの物語のなかで互いを引き立て合うのです。
もう一つの読みどころは、のちの巨匠の出発点に立ち会えることでしょう。円熟期のフェル博士ものやメリヴェール卿ものと引き比べれば、初期のバンコランものには、まだ荒削りな熱っぽさが残っています。
それでも、濃厚な雰囲気で読者を呑み込もうとするこの筆致には、後年の代表作群へと通じていく萌芽が確かに見てとれる。カーという作家の出発点を確かめるうえで、見逃せない一編と言えます。
古城や霧、怪奇の気配ごとミステリに浸りたい読者、そして名探偵同士の推理合戦という趣向に心が躍る読者には、迷わず薦められます。逆に、装飾をそぎ落とした端正なパズルだけを望む人には、この濃密なゴシックの意匠はいささか過剰に映るかもしれません。
とはいえ、その過剰さこそが初期カーの持ち味です。雰囲気に身をゆだねてこそ本領を味わえる、そういう種類の作品なのです。
ページをめくる速さよりも、立ちこめる空気にどれだけ身を浸せるかで、読み心地は変わってきます。
手に取るなら
いま手に取るなら、創元推理文庫の新訳版が読みやすい一冊です。巻末には青崎有吾による解説が添えられ、〈不可能犯罪の巨匠〉の原点をたどる手引きになってくれます。
バンコランが活躍するシリーズの流れごと味わってみたい読者は、この探偵が初めて姿を見せた『夜歩く』へ遡ってみるのも一興でしょう。〈不可能犯罪の巨匠〉と称される作家の看板は、この頃すでに芽吹きはじめていた——そう実感できるはずです。
怪奇と論理が溶け合う、若き日のカーの手つきを、ぜひ確かめてみてください。