黄金期米国古典 1933
議員殺しの現場に、
謎の黒い箱。何のために。
『Zの悲劇』エラリー・クイーン

書評

Zの悲劇

Y事件の十年後、新たな探偵役ペイシェンスの一人称で語られる悲劇第三作。

Zの悲劇 表紙画像
エラリー・クイーン 東京創元社(創元推理文庫) 原書 1933年 · 邦訳 2024年
目次

名探偵ドルリー・レーンが挑む〈悲劇〉四部作は、その第三作でひとつの転機を迎えます。語り手が、代わるのです。

本作『Zの悲劇』を運んでいくのは、これまでとはまるで違う声——事件のただ中に飛び込んでいく、若い娘の一人称です。謎解きの精度はそのままに、物語の温度と視点だけが鮮やかに切り替わる。

シリーズを追ってきた読者にとっても、ここから読み始める人にとっても、忘れがたい入り口になっています。

物語の入り口

物語は、『Yの悲劇』の事件から十年後に幕を開けます。かつて市警を率いたサム警視は、いまは職を退き、私立探偵として第二の人生を歩んでいます。

そのかたわらにいるのが、推理の才に恵まれた愛娘ペイシェンス。父と娘、二人三脚で調査の日々を送る——この組み合わせからして、これまでのシリーズとはまとう空気が違います。

老練な元警視の勘と、若く鋭い娘の頭脳。噛み合うのか、ぶつかるのか。

読者はその呼吸を、娘の目線のすぐ隣で見守ることになります。

ある調査の途上、二人はひとつの町に滞在していました。刑務所のある、小さな町です。

そこで事件は起こります。関係者であった悪徳上院議員が、何者かに殺害されるのです。

現場となった書斎に残されていたのは、数通の手紙と、謎めいた黒い箱。それらが何を意味するのかは伏せたまま、物語はただ、この光景の不穏さだけを読者の前に差し出します。

事は、地元の手には負えません。名探偵ドルリー・レーンがふたたび表に出なければ解けないほどの難事件——そう見立てられて、レーンが招かれます。

そして本書をいちばん際立たせているのが、この一部始終を語るのがペイシェンスその人だという点です。〈悲劇〉四部作はもともと、静謐な名探偵レーンを外から眺める作りでしたが、本作だけは若い娘の一人称。

事件に踏み込んでいく高揚も、名探偵を間近で見上げるまなざしも、すべて彼女の声を通して届きます。同じシリーズとは思えないほど瑞々しく、それでいて謎解きの芯は揺るがない。

この語り口の切り替えこそ、シリーズ中でも異色と評される所以です。

読みどころ

読みどころは、揺るぎない論理の骨格と、新しい語り手のみずみずしさが、ひとつの物語に同居しているところです。 〈国名シリーズ〉で磨き上げられた「手がかりを読者に示す」という流儀は、署名を替えたこの四部作にも脈々と流れています。

証拠は読者の前に開かれ、レーンの推理はその上にだけ積み上げられていく。名探偵の思考に身を委ねる古典的な愉しみを、正面から満たしてくれる作りです。

そこにペイシェンスの一人称が加わることで、冷たく冴えた論理に、事件を追う者の体温と息づかいが差し込まれる。謎解きの精度と物語の生きのよさ、その両方を欲張れるのが本作の得な点です。

読む順について一言添えるなら、四部作は『Xの悲劇』『Yの悲劇』『Zの悲劇』『レーン最後の事件』と刊行の順に読み継いでいくのがいちばん豊かです。もちろん本作単独でも完結した謎解きとして楽しめますが、レーンという探偵の歩みを追ってきた読者ほど、この第三作の味わいは深くなります。

こんな人におすすめ

古典的な名探偵ものの手ざわりを求める読者、そして手がかりの提示された正攻法のフーダニットを味わいたい読者には、まっすぐ薦められる一冊です。一人称の語りがもたらす軽やかさも、黄金期の探偵小説に新鮮な風を通してくれます。

逆に、重厚で荘重な古典の格調だけを期待して開くと、この娘の声の若々しさは少し意外に映るかもしれません。ただ、その意外さこそ本作の狙いであり、シリーズに彩りを添える工夫でもあります。

作品の背景

エラリー・クイーンは〈国名シリーズ〉と同じ時期に、「バーナビー・ロス」という別の署名をこしらえ、探偵ドルリー・レーンが活躍する四部作を、正体を伏せたまま並行して発表していました。本書はその四部作の第三作、1933年の作品。

クイーンが覆面の名義の側に注ぎ込んだ一編です。

手に取るなら

いま手に取るなら、創元推理文庫の新訳(中村有希訳・2024年)が読みやすくおすすめです。訳者の中村有希は1968年生まれ、東京外国語大学の出身で、ウォーターズ『半身』『荊の城』などで知られる英米文学翻訳家。

同じ訳者でクイーンのデビュー作『ローマ帽子の謎』も読めるため、国名シリーズとの読み比べにも誂え向きです。巻末には巽昌章による解説を収録。

名探偵ドルリー・レーン四部作のなかでも語り口の妙が光る第三作として、黄金期アメリカ本格の懐の深さを教えてくれる、確かな一冊です。

エラリー・クイーンについて

エラリー・クイーンは、フレデリック・ダネイ(1905〜82)とマンフレッド・B・リー(1905〜71)、いとこ同士の二人が用いた合作のペンネームです。作中で謎を解く名探偵にも、同じ名が与えられています。

二人は1928年、出版社と雑誌が募った長編の懸賞に『ローマ帽子の謎』を投じ、翌1929年の刊行でデビューしました。以後、題名に国名を冠した〈国名シリーズ〉を書き継ぎ、1932年から翌年にかけてはバーナビー・ロス名義でドルリー・レーン四部作も発表しています。

ダネイは1941年に〈エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン〉を創刊して長く編集にあたり、多くの書き手を世に送り出しました。二人はアンソロジストや短編ミステリの研究者としても仕事を残し、1961年にはアメリカ探偵作家クラブ(MWA)のグランドマスター賞を受けています。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
原書刊行年
1933
邦訳刊行年
2024
ISBN-13
9784488104467
系譜
黄金期米国古典 / 名探偵もの · シリーズ探偵物

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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