ミステリーとしての読みどころ
訪ねてきた客が、通された控えの間で死んでいる。それだけなら探偵小説の幕開けとして、さほどめずらしくはないかもしれません。
ところが『チャイナ橙の謎』では、その部屋にある家具も、壁の絵も、さらには殺された男が身につけていた衣服までもが、ことごとく逆さ・反対向きにされていました。一枚の異様な光景を前に、読者はまず「なぜ、すべてが反転していたのか」という問いに立ちすくむことになります。
著者について
作者のエラリー・クイーンは、作中で活躍する名探偵と同じ名を掲げた作家です。ただし、その正体はひとりの人物ではありません。
フレデリック・ダネイ(1905-82)とマンフレッド・B・リー(1905-71)という、いとこ同士が組んで用いた合作のペンネームでした。二人は1929年、出版社のコンテストに送った『ローマ帽子の謎』でデビューし、タイトルに国名を冠した〈国名シリーズ〉で一気に名を上げます。
さらに当初はバーナビー・ロスという別名義で、まったく別の探偵によるドルリー・レーン四部作を、正体を伏せたまま並行して発表するという離れ業までやってのけました。二つの看板でミステリ界に不動の地位を築いたダネイは、のちに雑誌〈エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン〉で多くの書き手を世に送り出し、研究者・アンソロジストとしても足跡を残します。
「アメリカの推理小説そのもの」とまで評された、巨匠中の巨匠。その歩みのなかで、1934年に発表された国名シリーズ第8作が本書です。
〈ニューヨーク・タイムズ〉紙は、これを「クイーンの最大傑作」と激賞しました。
物語の舞台は、宝石と切手の収集家としても名を知られた、ある出版業者のもとです。そこへ、身元のわからない一人の男が訪ねてきます。
取り次ぎを受けた男は、面会を待つあいだ、控えの間——待合室で待つよう案内されました。来客が応接を待つだけの、どこにでもある風景です。
ところが、しばらくののち、その小部屋で男は死体となって見つかります。名前も素性も知れない客が、通されたはずの一室で、いつのまにか命を落としていた。
それだけでも十分に不可解な事態ですが、現場に足を踏み入れた者を待っていたのは、さらに常軌を逸した眺めでした。部屋のなかのありとあらゆるものが、逆さに、あるいは反対向きに置き換えられていたのです。
家具も、壁にかかっているものも、細かな調度にいたるまで、何もかもが裏返っている。被害者が身につけていた衣服さえ、その例外ではありませんでした。
誰かが手間ひまをかけて、この一室だけをまるごとひっくり返していった——そんな異様な確信だけが、現場には残されています。ここから立ち上がってくるのは、「犯人は誰か」という問いよりも先に、「なぜ、すべてを反転させる必要があったのか」という一点です。
手間がかかり、しかも一見すると意味をなさないように思えるこの仕掛けこそが、事件のいちばん奥に据えられています。読者は、閉ざされた部屋の奇怪な光景を目の前にして、その「なぜ」だけを手がかりに、探偵とともに部屋のなかを見回す位置に立たされることになります。
読みどころ
本書の眼目は、常軌を逸した奇想を、最後まで理詰めで解ききってしまうところにあります。 逆さまの部屋という発想だけなら、ただの怪奇趣味に終わってもおかしくありません。
けれどもクイーンは、その突飛な光景をあくまで論理の出発点に変え、一分の隙もない推理として組み上げていきます。クイーンが作り上げたこの密室殺人の着想は、数多ある作品のなかでも特異な位置を占めるものとして、長く読み継がれてきました。
純粋なロジックの手ざわりを看板に掲げた一作であり、黄金期アメリカ本格の底力を存分に味わえます。そして結末の直前には、〈国名シリーズ〉恒例の「読者への挑戦」が置かれています。
手がかりはすべて示した、あとは論理だけで答えにたどり着けるか——そう突きつけられたページの前で、いったん本を閉じて考え込む。それがこの作品の、いちばん贅沢な愉しみ方です。
向いているのは、名探偵の推理に身を任せ、提示された手がかりから自分でも答えを組み立てたい読者でしょう。黄金期アメリカ本格ならではの、澄んだ論理の手ざわりを求める人にこそ、まっすぐ薦められる一冊です。
逆に、登場人物の心理の陰影や、たたみかけるようなスピード感を第一に求める向きには、この端正で静かな作りはやや物足りなく映るかもしれません。それでも、奇抜な謎を最後まで理屈で解ききるという一点にかけては、本書は忘れがたい満足を返してくれます。
手に取るなら
いま手に取るなら、創元推理文庫の井上勇訳が長く親しまれてきた定番です。加えて、角川文庫からは『チャイナ蜜柑の秘密』の題で新訳も出ています。
国名シリーズは一作ごとに独立した事件を扱うため、第8作にあたる本書から読み始めても支障はありません。奇想と論理が両立するとはどういうことか——その鮮やかな見本として、まず手に取って損のない一冊です。