ミステリーとしての読みどころ
五つ星ホテルの客室で、悪名高い大富豪が死体となって見つかる。第一発見者は、その部屋を担当していた几帳面な客室メイド。
ミステリの発端としては、これ以上ないほど古典的な絵柄です。ところが『メイドの秘密とホテルの死体』が世界中の読者をさらったのは、事件そのものよりも、それを語るひとりの女性の目の付けどころにありました。
著者について
著者はニタ・プローズ。本作はデビュー長編でありながら、アンソニー賞とバリー賞の最優秀新人賞をダブルで射止めるという、鮮烈な出発を切りました。
刊行された2022年1月にはニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー1位に躍り出て、Amazon.comが選ぶ同年前半期のミステリ/スリラー部門ベスト1にも輝いています。フローレンス・ピュー主演での映画化も決まり、いまや現代コージーの旗手のひとり。
日本では二見書房の二見文庫、ザ・ミステリ・コレクションの一冊として、原書と同じ2022年に紹介されました。殺人事件の緊張と日常の可笑しさが、ホテルという舞台の上で地続きに同居する。
シリーズの出発点として、これほど幸福な一冊はなかなかありません。
物語の主役はモーリー。地元の高級ホテルで客室メイドとして働く彼女は、社会性にとぼしく、他人の意図や言葉の裏を読みとるのがとても苦手な人です。
冗談を真に受け、遠回しな皮肉には気づかず、悪気なく口にした一言が誤解を招いてしまう。それでも彼女には、揺るがない拠りどころがありました。
9カ月前に亡くなった祖母の教えです。礼儀作法と仕事の流儀を祖母から受け継いだモーリーは、今日も客室をひと部屋ずつ完璧に整えていきます。
乱れたシーツをぴんと張り直し、あるべきものをあるべき場所へ。荒れた部屋がもとの秩序をとり戻していく、その手ざわりこそが彼女の誇りでした。
ところがある日、いつものように清掃に入った一室で、悪名高い大富豪ブラックが息絶えているのを見つけてしまう。五つ星ホテルの客室に横たわる、謎の死。
掃除に入ったメイドは、そこで何を見たのか。やがて警察の捜査が始まると、事態はモーリーにとって思わぬ方向へ転がりはじめます。
人づきあいの不器用さ、誤解を招きやすい受け答え、感情の読みにくい振る舞い——ふだんなら愛嬌で済むはずの彼女の個性が、ここでは疑いの目をこちらへ引き寄せてしまうのです。
けれど彼女は、ひとりぼっちではありませんでした。長いあいだ彼女を見守ってきた老ドアマンをはじめ、思いがけない味方が次々に現われ、窮地を脱するための作戦がそっと動き出します。
誤解されやすい主人公が、頼れる仲間とともに危機一髪をくぐり抜けようとする——読者は、モーリーの肩ごしに世界を眺める茶飲み友達のような位置から、この危なっかしくも温かい奮闘を見守ることになります。
読みどころ
読みどころは、モーリーという語り手の、世界の見え方そのものにあります。 冗談も皮肉もそのまま受けとめてしまう彼女の目を通すと、見慣れたホテルの人間模様が、いつもと違う手ざわりで立ち上がってきます。
悪意や下心の気配にはうとい代わりに、物事をまっすぐに、額面どおりに受けとめる。その正直な視界に寄り添っているだけで、どこか可笑しく、そして愛おしい。
「奇妙な味」と評されるこの一作の妙味は、多くがこの語り口に宿っています。
公式が「事件にはもう一つの真相が」と控えめに煽るとおり、物語は読者の予想を穏やかに裏切りながら進んでいきます。派手な暴力や陰惨な描写に頼ることなく、それでいて頁をめくる手はなかなか止まらない。
ホテルという舞台も、この作品にはよく効いています。客が来ては去っていく匿名の空間で、誰もが少しずつ何かを隠している——そんな場所を、几帳面なメイドの目が一部屋ずつ律儀に見て回るのですから、日常の細部そのものがどこか謎めいて見えてきます。
現代アメリカのコージーが到達したひとつの達成として、新人賞をダブルで受賞した高い評価もうなずけるものでしょう。
こんな人におすすめ
相性で言えば、緊迫感で息を詰めるようなハードなサスペンスや、社会の闇をえぐる重い犯罪小説を読みたい気分のときには、この語り口はどこかのんびりして映るかもしれません。逆に、風変わりで愛おしい主人公に寄り添いながら、フェアな謎解きの手ざわりも味わいたい読者には、これ以上ない相性です。
ひとりの女性の視点を借りて、見慣れた世界を歩き直す時間そのものが、この本の醍醐味なのですから。
手に取るなら
原題は『The Maid』。フローレンス・ピュー主演での映画化も控え、話題はこれからさらに広がっていくはずです。
モーリーの物語はシリーズとして続いていて、彼女とその仲間たちに惹かれたなら、長く付き合っていける一冊になるでしょう。海外ミステリの新しい入り口を探している方にも、読み終えたあとまで心へ長く残る主人公と出会いたい方にも、どうぞ安心して手にとっていただける、幸福なシリーズ第1作です。