ミステリーとしての読みどころ
外界から隔てられた孤島の邸宅で、優雅な音楽会が催されます。招かれた客が集い、夜は華やかに更けていくはずでした。
ところが、そのくつろいだ時間のただ中で、招待客が一人、また一人と、謎の中毒死を遂げていく。逃げ場のない孤島に取り残された人々と、居合わせた一人の警部。
黄金期アメリカが生んだ技巧派、C・デイリー・キングの『いい加減な遺骸』は、そんな不穏な一夜から幕を開けます。
著者について
C・デイリー・キングは、「米国の鬼才」とも呼ばれる作家です。本業として心理学者の顔を持ちながら、その一方で、凝った趣向と技巧を凝らした本格ミステリを書き残しました。
探偵役を務めるのは、マイケル・ロード警部。キングは、このロード警部を主役とする長編を、〈オベリスト三部作〉と〈ABC三部作〉という二つのシリーズにまとめて発表しています。
本作『いい加減な遺骸』は、後者〈ABC三部作〉の第一弾にあたる一編。原書の刊行は1937年、黄金期のただ中に世へ出た作品でありながら、長らく日本語では読めない状態が続き、2012年になってようやく論創海外ミステリの一冊として本邦初訳が実現しました。
技巧派として名を知られながら、その全貌がなかなか伝わってこなかった書き手の、埋もれていた一面を掘り起こす紹介だったと言えます。
物語の主な舞台は、本土から切り離された孤島です。そこに建つ邸宅で、ひとつの音楽会が催されることになります。
招待に応じて島へ渡ってきたのは、選ばれた客たち。海に囲まれた邸宅という設定そのものが、すでにただならぬ気配を漂わせています。
船で渡らなければたどり着けない場所は、いざ何かが起きたとき、外の世界へ助けを呼ぶことも、その場を離れることもままなりません。閉ざされた空間ならではの緊張が、宴のはなやかさの裏に静かに張りつめていきます。
そして、その緊張は現実のものになります。集った招待客のなかから、中毒死を遂げる者が現れるのです。
しかも、それは一度きりでは終わりません。次々と、島に取り残された人々を死が襲っていく。
原因の見えない死が続くなかで、疑いと恐れが客たちのあいだに広がっていくさまは、想像するだけで息苦しいものがあります。助けの来ない孤島で、誰が次に倒れるのかもわからないまま夜を過ごすことになるのですから。
この閉ざされた惨劇の場に居合わせたのが、ロード警部でした。逃げ場のない状況で、続発する中毒死と正面から向き合うことになります。
外部の捜査機関の応援も、整った鑑識の設備も期待できない孤島という条件は、探偵役にとってはこの上なく不利な舞台立てです。手元にあるのは、島にいる人々と、目の前で起きていく出来事だけ。
その限られた材料から、警部は不可解な死の連鎖の奥にあるものを手繰り寄せていくことになります。読者もまた、島から出られない客の一人であるかのように、次に何が起こるのかを固唾を呑んで見守る位置に立たされます。
読みどころ
孤島・音楽会・連続する中毒死という、舞台立てそのものが読みどころの一編です。 クローズドサークルの魅力は、なんといっても「もう誰も入ってこられず、誰も出ていけない」という閉塞感にあります。
本作は、海に囲まれた孤島という純度の高い密閉状況を選び、そこへ続発する死を放り込みます。犯人がいるとすれば、それはこの島にいる誰か。
その動かしがたい前提が、一人ひとりの言動に意味を持たせ、盤面全体を張りつめさせます。
加えて、技巧派と評される作者の手つきそのものも、この作品を語るうえで見逃せません。凝った趣向を得意とするキングが、逃げ場のない舞台と立て続けの中毒死という条件をどう組み上げていくのか。
仕掛けの妙を味わう心構えで読み進めると、黄金期アメリカ本格ならではの手応えが待っています。長く邦訳に恵まれなかった作家の実力を、じかに確かめられる機会でもあります。
クローズドサークルものが好きな読者、とりわけ孤島という閉ざされた舞台に惹かれる方には、まっすぐ薦められる一冊です。黄金期の薫りを湛えた雰囲気を、じっくり味わいたい向きにもよく合うでしょう。
一方で、テンポよく事件が転がっていく現代的なスリラーの疾走感を求めると、状況を丹念に積み上げていく古典の呼吸は、やや悠然と感じられるかもしれません。とはいえ、その落ち着いた歩みこそが、閉ざされた島の重い空気を伝えるための呼吸でもあります。
手に取るなら
手に取るなら、論創社の論創海外ミステリに収められた一冊が入り口になります。原書1937年、本邦初訳2012年という経緯が示すとおり、日本語で読めること自体が長く待たれてきた作品です。
作者キングには、同じロード警部を探偵役とする〈オベリスト三部作〉もあり、本作〈ABC三部作〉の第一弾を気に入ったなら、そちらへと読み進める楽しみが残されています。黄金期アメリカ本格の奥行きを知るうえで、埋もれていた技巧派の一作に触れておく価値は、十分にある一冊です。