倫敦スコーンの謎
高校1年の冬から2年の夏までを埋める、都市とお菓子の名を冠した〈小市民〉番外短編集。
本編が2024年に完結を迎えたあとも、小鳩くんと小佐内さんの物語にはまだ語られていない季節が残っていました。2026年4月に創元推理文庫から出たこの短編集が描くのは、高校1年の冬から2年の夏にかけて。
ふたりの日々を少し巻き戻して、その空白をそっと埋めていく一冊です。
物語の入り口
ある日、新聞部の堂島健吾が、常悟朗に妙に歯切れの悪い頼みごとをします。小佐内を紹介してくれないか、と。
健吾によれば、小佐内さんはかつて絵にまつわる謎を解いた、ということになっている。その知恵を、もう一度借りたいというのです。
発端は、美術家の縞大我がサンフランシスコ・ビエンナーレで黒熊賞を受けたことでした。地元のテレビ局に頼まれた健吾は、学内を探し回って、縞が在校していた頃の作品を見つけ出します。
ところが同時に、その作品が模写でありながら展覧会に出品されていた、という事実まで掘り起こしてしまう。これは盗作だったのか、そうではないのか。
目立たない小市民でいたいふたりのもとに、またしても放っておけない謎が転がり込んできます。
読みどころ
題名に並ぶのは、都市の名前とお菓子の組み合わせです。 桑港クッキー、羅馬ジェラート、倫敦スコーン、維納ザッハトルテ。
収録は4編で、そのうち最後の「維納ザッハトルテの謎」が書き下ろし、残る3編はすでに雑誌に発表されていた作品です。漢字で書かれた街の名前を眺めているだけでも、どんな話が出てくるのか想像がふくらみます。
もうひとつ注目したいのが、健吾の頼みごとに含まれた「解いたことになっている」という言い回しです。実際に謎を解いたのは誰なのか、なぜ手柄がそういう形で落ち着いているのか。
目立たないために互いを支え合う、ふたりの互恵関係の手ざわりが、このひとことからもうにじんでいます。小市民であり続けたい彼らにとって、テレビ局まで絡んだ盗作疑惑は、近づくだけでも危うい話のはずです。
それでも謎を前にすると頭が動いてしまうところに、シリーズを通じて変わらない可笑しみがあります。
一話ずつ区切りよく読めるので、通勤や寝る前の時間に少しずつ手を伸ばすのにも向いています。
こんな人におすすめ
本編を読み終えて、あのふたりにもう一度会いたくなった人には、まさにうってつけです。先に出た作品集『巴里マカロンの謎』を楽しんだ読者なら、同じ趣向の続きとして迷わず手に取れるでしょう。
作品の背景
〈小市民〉シリーズは、春・夏・秋・冬の季節を題名に冠した本編と、その合間を埋める番外編の短編集とで組み立てられています。『巴里マカロンの謎』が高校1年の秋から冬を描いたのに続き、本書はその少しあと、本編第2作『夏期限定トロピカルパフェ事件』で描かれる2年生の夏の手前までを受け持ちます。
2024年から2025年にかけてはテレビアニメにもなり、2025年にはシリーズとして第10回吉川英治文庫賞を受けました。本書は、そうして読者の輪が広がったあとに届いた新刊です。
カバーはこれまでと同じく、片山若子の描き下ろしです。
手に取るなら
単行本はなく、2026年4月30日刊行の創元推理文庫版が最初の形です。作中の時間の流れを大事にしたいなら、『巴里マカロンの謎』のあとに置いて読むと、ふたりの1年生の終わりから2年生の夏までが途切れずにつながります。
米澤穂信について
米澤穂信は1978年、岐阜県の生まれです。金沢大学文学部の在学中からウェブサイトで小説を発表しており、大学時代に北村薫の『空飛ぶ馬』『六の宮の姫君』を読んで衝撃を受け、ミステリへ進む道を定めたといいます。
卒業後は書店で働きながら書き続け、2001年に『氷菓』で第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受けてデビューしました。
高校生の身の回りの謎を扱う〈古典部〉〈小市民〉の両シリーズを書き継ぐ一方、大人の読者に向けた長編や短編集へも領域を広げてきました。2011年に『折れた竜骨』で第64回日本推理作家協会賞、2014年に『満願』で第27回山本周五郎賞を受け、2021年刊の『黒牢城』では第12回山田風太郎賞に続いて第166回直木三十五賞と第22回本格ミステリ大賞を受けています。
2025年には〈小市民〉シリーズで第10回吉川英治文庫賞を受けました。
書誌情報
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