名探偵と一緒にいた。
一の悲劇
誘拐犯は子どもを取り違えていた。取り違えられた少年が遺体で見つかる、誤認誘拐の長編。
子どもを取り違えた誘拐が、最悪の形で終わる。法月綸太郎『一の悲劇』は、そういう事件を扱った長編です。
犯人は山倉史郎の息子をさらうつもりで、その同級生である冨沢路子の息子を連れ去ったらしい。身代金の受け渡しには山倉が臨みますが、うまくいかず、少年は遺体で見つかります。
やがて容疑者として一人の男が浮かびますが、その男は、事件のあいだ探偵の法月綸太郎と一緒にいたと主張します。探偵自身が、容疑者のアリバイの証人になってしまうわけです。
単行本は1991年に祥伝社から出て、現在は祥伝社文庫の新装版で読めます。
物語の入り口
冨沢路子は取り乱し、息子を殺したのはあなただと山倉史郎を責めます。山倉は返す言葉を失います。
路子がそう詰め寄るのには、わけがあります。犯人が狙っていたのは山倉の子で、路子の子は取り違えられて連れ去られたらしいのです。
取り違えられた少年のために、山倉は身代金の受け渡しに臨みます。そして、失敗します。
少年は、遺体となって見つかりました。
自分の子の身代わりに、他人の子が死んだ。路子の言葉は、そこから出ています。
誰がやったのか、そしてなぜなのか。事件はこの二つの問いを残します。
誰が、という問いは探偵小説の常ですが、ここでは、なぜ、という問いも同じだけ重く残ります。やがて、一人の男が容疑者として浮かびます。
けれどもその男には、固いアリバイがありました。事件の間、探偵の法月綸太郎と一緒にいたというのです。
法月綸太郎は、作者と同じ名前を持つ推理作家で、このシリーズの探偵役です。探偵が、容疑者の無実を証明する立場にいる。
事件を解くはずの人間が、事件の側の証人として名前を挙げられてしまったわけです。
取り違えられた少年、失敗に終わった身代金の授受、そして固いアリバイを持つ男。そのアリバイを支える証人は、ほかならぬ探偵自身です。
山倉と路子は、子ども同士が同級生という親の間柄として、冒頭の一場面で向き合います。叫ぶ側と、言葉を失う側。
事件はその二人の前から動き出します。
読みどころ
ひとつめは、誘拐ものの切迫した場面と、手がかりを詰めていく謎解きが、同じ事件の中に置かれていることです。 物語の土台にあるのは、身代金の受け渡しと、子を失った親の嘆きという、誘拐ものならではの場面です。
そこへ、誰が、なぜという問いと、アリバイを持つ容疑者が加わります。読者は、どちらか一方の型に寄せて読むのではなく、両方を抱えたまま頁を進めることになります。
親たちの痛みを前にしながら、同時に証言や時間の食い違いにも目を配る。その二つの読み方を、一つの事件が同時に求めてきます。
もうひとつは、探偵がアリバイの証人であるという状況です。作者と同じ名を持つ推理作家の法月綸太郎が、容疑者と共にいたと言われている。
自分の記憶が、容疑者を守っている。探偵は、自分自身の証言をどう扱うのか。
この状況は、論理の探偵にとって、他人の証言を検討するのとは別の重さを持ちます。手がかりを外から眺めて詰めていくはずの人間が、事件の間の自分の行動そのものを、材料として差し出す側に回るのです。
証言する側と、証言を吟味する側が、同じ一人の中に重なっているわけです。探偵が事件の外にいられない。
それがこの作品の探偵の置かれた場所です。
誤認誘拐という設定は、残酷です。自分の子の代わりに、他人の子が死ぬ。
その残酷さを、この作品は薄めません。言葉を失う山倉と、取り乱す路子。
物語は、その二人が向き合う場面から始まります。論理の切れ味と、人の痛みと、両方を一度に受け取るつもりで開いてください。
作品の背景
単行本は1991年に刊行されました。278ページ。
1996年に祥伝社文庫に入り、2022年4月に新装版が出ています。韓国では連続ドラマ『ザ・ロード:1の悲劇』の原作になりました。
同じ祥伝社文庫には『二の悲劇』『しらみつぶしの時計』が並んでいます。
手に取るなら
祥伝社文庫の新装版で400ページです。1996年に文庫化されたときは349ページでしたから、新装版は50ページほど厚くなっています。
法月綸太郎シリーズの4作目ですが、この一冊だけで困りません。『二の悲劇』と題名が並んでいますが、順番を気にする必要はありません。
誘拐ミステリが好きな人、アリバイの論理が好きな人、その両方を一冊で読みたい人に。路子に責められて言葉を失う山倉と一緒に、最初の頁から始めてください。
法月綸太郎について
法月綸太郎は1964年、島根県松江市に生まれました。京都大学法学部に進み、京大推理小説研究会では綾辻行人・我孫子武丸と同期でした。
1988年、島田荘司の推薦を受けて『密閉教室』でデビューし、新本格の書き手として歩み出します。第2作『雪密室』からは、作者と同名の推理作家・法月綸太郎が警視の父とともに事件に挑むシリーズを書き継いできました。
敬愛するエラリー・クイーンの設定にならった形です。
2002年に短編「都市伝説パズル」で第55回日本推理作家協会賞短編部門、2005年に『生首に聞いてみろ』で第5回本格ミステリ大賞を受賞しました。評論家としても知られ、クイーン作品を論じるなかで「後期クイーン的問題」を提起しています。
2013年から2017年まで本格ミステリ作家クラブの会長を務め、2025年には新保博久との往復書簡『死体置き場で待ち合わせ』で本格ミステリ大賞の評論・研究部門も受けました。
書誌情報
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