ミステリーとしての読みどころ
古い骨は、ときに雄弁です。折れた痕、すり減った関節、その一片がくぐってきた長い歳月——そうした沈黙の証言を読み解く男が、はるか先史時代と、いままさに起きつつある出来事とを、一本の線で結んでしまう。
『原始の骨』は、骨を専門とする探偵ギデオンが、ネアンデルタール人の時代と現代の両方にまたがる謎へ踏み込んでいくミステリーです。過去と現在、その二つの時間が一片の骨を蝶番にして噛み合っていく——それがこの物語の、いちばん奥のほうに据えられた仕掛けです。
著者について
著者のアーロン・エルキンズが送り出したのが、「スケルトン探偵」と呼ばれるギデオンを主人公にしたシリーズで、本書はその一作にあたります。スケルトンとは骨格のこと。
ギデオンの武器は拳銃でも尾行でもなく、骨格学の専門知識です。一片の骨に刻まれた情報を丹念に読み解き、そこから人の来歴や、その死をめぐる事情を静かに浮かび上がらせていく。
学者めいた落ち着きで骨と向き合う探偵、というだけでも独特の手ざわりがありますが、この作品が抜きん出ているのは、その知識が時間の隔たりを大きく越えて応用されるところです。悠久の時の隔たりを、専門ひとつでまたいでみせる。
原著は2008年に発表され、日本では早川書房のハヤカワ・ミステリ文庫に収められています。
物語の入り口
舞台はジブラルタル。人類の来し方をめぐる見取り図を書き換えかねない発掘が、この地でおこなわれていました。
ネアンデルタール人と、現生人類。長らく交わることなく別々の物語を生きてきたと思われていた両者が、じつは交わっていたのではないか——そう示唆する太古の骨が、ここで見つかっていたのです。
人類そのものの過去に問いを投げかける、世紀の大発見と言っていい成果でした。
その発掘から五年。節目を祝う記念行事が催されることになり、招かれた顔ぶれのなかにギデオンの姿もありました。
骨を読む探偵にとって、これ以上ふさわしい祝祭もないでしょう。晴れやかな学問の祭典に、招かれた専門家のひとりとして立ち会う。
そのはずでした。ところが、華やいだ行事のかたわらには、どこか不穏な気配が漂っていたのです。
折しも発掘現場では死亡事故が起こり、当のギデオン自身までもが、あわや命を落としかねない場面に見舞われる。さらには、あの大発見に貢献した富豪が、自室で焼死するにいたります。
祝いの席のはずが、いつしか不吉なものに縁取られていく。喜ばしいはずの五周年に、なぜこうも影がつきまとうのか。
読者は、祝祭の明るさと足元にしのび寄る不穏との落差のなかに立たされ、ギデオンとともに、じわじわと膨らんでいく疑念を抱えたまま、次に何が起きるのかを見守ることになります。
読みどころ
読みどころは、骨という物言わぬ証人が、時間の壁を軽々と越えていくところにあります。 はるかな太古と、いま。
本来なら決して交わらないはずの二つの時間が、たった一片の骨を介して地続きになる。骨格学というひとつの専門が、太古の遺物にも、ごく最近の出来事にも、まったく同じまなざしで向けられていく。
その視線の運び方こそが、この作品を貫く背骨です。過去を語るための学問が、現在の謎にそのまま効いてくる感触は、専門を持った探偵ものならではの醍醐味と言えるでしょう。
名探偵の推理が、単なる犯人当てにとどまらず、人類そのものの遠い過去にまで射程を伸ばしていく。その視野の広さが、読み終えたあとに、ちょっとした眩暈のような余韻を残します。
もうひとつ味わい深いのは、探偵が立たされている場所そのものです。学問の成果を祝う晴れやかな祭典と、そこにしのび込む不穏な出来事。
相容れないはずの二つの空気が同じ場所に同居し、ギデオンはその境目に立って、骨を読むのと同じ静けさで周囲を観察していきます。声高に走り回るのではなく、目の前の事実を一つずつ確かめながら、少しずつ像を結んでいく。
派手さで押すのではなく、専門家の落ち着いた眼で読ませていく語り口は、腰を据えてじっくり付き合いたいミステリーを探している人に、ことのほか合うはずです。
こんな人におすすめ
相性の面で言えば、緻密な物証だけを一段ずつ積み上げていく純パズル型の謎解きを求める読者には、少し味わいが異なって映るかもしれません。この作品の魅力は、専門知識で世界を読み解いていく知的な手ざわりと、遠い時間をぐっと近づけてみせる発想の大きさの側にあります。
逆に、一癖ある専門を身につけた探偵が、その知識でしか見えない筋道を一歩ずつたどっていくタイプの物語が好きな読者には、心地よく響くはずです。骨や遺跡、はるかな過去に惹かれる人、学問の香りをまとったミステリーをゆっくり味わいたい向きにも、よく合います。
手に取るなら
入手はハヤカワ・ミステリ文庫で。骨を読む探偵という設定そのものが太い軸になっているので、シリーズに初めて触れる一冊としても入りやすい作りです。
専門知識が時間軸を越えて謎に挑む、その独特の醍醐味を、心ゆくまでじっくり味わえる一作です。