ミステリーとしての読みどころ
雪に降りこめられた町で、顔も名も知れぬ人物が、立て続けに起きる死のひとつひとつを「これは自分の仕業だ」と名乗り出る。しかもその署名は、たった三文字の〈HOG〉。
『ホッグ連続殺人』は、この薄気味わるい声明とともに幕を開ける本格推理です。名探偵ものの醍醐味を、雪と沈黙に閉ざされた現代の町のなかで存分に味わわせてくれる一冊です。
著者について
著者のウィリアム・L・デアンドリアは、長編デビュー作でアメリカ探偵作家クラブ(MWA)の最優秀新人賞を射止め、続く本作で最優秀ペーパーバック賞を重ねました。デビューからわずか二年、二年連続でエドガー賞に輝いたことになります。
これは新人にとって尋常な達成ではありません。奇をてらった実験で目を引いたのではなく、古典的な名探偵ものの趣向をまっすぐすくい上げ、それを現代の連続殺人劇のただなかで鮮やかに動かしてみせた——その手際が高く評価されたのです。
過去への敬意と現代の題材が幸福に釣り合った、稀有な書き手として名を刻んだ一冊。原書の刊行は1979年、日本ではハヤカワ・ミステリ文庫から1984年に訳出されました。
物語の入り口
舞台はニューヨーク州の小さな町、スパータ。降りしきる雪に閉ざされ、外の世界から切り離されたようなその町を、ひとつの影が脅かしています。
〈HOG〉と署名する殺人鬼。彼は被害者を選びません。
手口も選びません。どんな状況でも狙った獲物を確実にとらえ、事故や自殺に見せかけたうえで、悠々と犯行声明の文書を送りつけてくる。
一見すると互いに無関係な、ばらばらの死。それらをまとめて「自分がやった」と名乗り出る声だけが、雪の町にこだましているのです。
不気味なのは、その死のどれもが、放っておけば不運な事故や気の毒な自殺として片づいてしまいそうに見えることです。声明がなければ、そこに殺意があったことすら誰も気づかなかったかもしれない。
手がかりらしい手がかりも乏しいまま、犯行声明の文書だけが届き、死者の数だけが静かに増えていきます。雪はすべての足跡を覆い隠し、町の人々が抱くのは、隣人の誰もがHOGでありうるという、出口のない不安です。
日常のあらゆる不運が、ひょっとすると仕組まれた殺意なのではないか——そんな疑いが、雪明かりの町にじわじわと広がっていきます。
手詰まりになった地元の警察が、藁にもすがる思いで招いたのが、世界的に名を知られた天才犯罪学者ニッコロ・ベネデッティ教授でした。教授とともに現場へ入るのは、かつての教え子である私立探偵ロン・ジェントリー。
師弟のふたりが雪の町に足を踏み入れたとき、読者もまた、まだ輪郭の見えない敵と同じ盤の上に立たされることになります。ここから、名探偵と正体不明の殺人鬼との、静かで張りつめた対峙が始まります。
読みどころ
この作品の醍醐味は、名探偵に身をあずける安心感と、正体不明の相手への薄ら寒さが同居しているところにあります。 ベネデッティ教授は、古き良き名探偵の系譜にまっすぐ連なる人物です。
並外れた知性で混沌を解きほぐしていくその佇まいには、読者を「あとはこの人に任せておけばいい」という気持ちにさせる頼もしさがあります。いっぽうで、顔の見えないHOGは、その安心感の外側からじわじわと圧をかけてくる。
名探偵の推理を追いながらも、次に何が起きるか分からないという緊張から、読み手はなかなか解放されません。頼れる知性と得体の知れない脅威、そのふたつに同時に引っぱられる読み心地が、本書を最後まで走らせる原動力になっています。
謎解きの骨格そのものも、きわめて端正に組まれています。奇をてらった飛び道具に頼るのではなく、ちりばめられた事実を丹念に積み上げて像を結んでいく——そういう本格ミステリの王道の手つきを、現代の題材で味わえるところに本書の強みがあります。
名探偵ものというと古めかしい様式に思われがちですが、デアンドリアはその型が今なお読者を惹きつける力を持つことを、この一冊で証明してみせました。デビュー二作で連続受賞という評価は、決して勢いだけのものではありません。
名探偵の鮮やかな推理に身を任せ、雪に閉ざされた町の張りつめた空気にじっくり浸りたい読者には、まっすぐ刺さる一冊でしょう。逆に、派手なアクションや血なまぐさい刺激を第一に求める向きには、表面は静かに映るかもしれません。
けれど、その静けさの底に絶えず流れている不穏さこそが、この物語のいちばんの持ち味です。腰を据えて謎と向き合いたい夜に、ぜひ手に取ってほしい作品です。
手に取るなら
入手はハヤカワ・ミステリ文庫版で。本国で二年連続のエドガー賞という評価が示すとおり、新人の勢いと古典への敬意とが幸福に釣り合った、名探偵ものの快作です。
ベネデッティ教授はこの一冊にとどまらずシリーズの探偵として登場していくので、雪の町での初対面が気に入ったなら、教授のほかの事件簿を追ってみるのも次の楽しみになるはずです。