黄金期米国古典 1940
手品の道具ひとつに、
謎の女が大金を積んだ。
『首のない女』クレイトン・ロースン

書評

首のない女

サーカスを舞台に奇術師探偵が挑む、新訳で甦ったマーリニもの。

首のない女 表紙画像
クレイトン・ロースン 原書房(海外ミステリ叢書《奇想天外の本棚》) 原書 1940年 · 邦訳 2019年
目次

「〝首のない女〟がほしいの」——手品店のカウンター越しに、若い女がそう切り出します。求めているのは、ある奇術装置。

しかもそれを、相場からかけ離れた高値で、いますぐ手放してほしいと言うのです。妙な話です。

奇術師探偵グレート・マーリニが店をかまえるこの一幕から、物語は天幕の下の世界へと転がり出していきます。『首のない女』は、元奇術師の探偵が主役を張るシリーズの代表作に数えられる第3作。

舞台となるのは、めくるめく見世物が繰り広げられるサーカスの一座です。

物語の入り口

物語の起点は、先の手品店の一場面にあります。奇術装置を法外な値で買い求めようとする女の申し出は、どう考えても筋が通りません。

急ぐ理由も、値を惜しまない理由も、はっきりとは語られない。その不審さが、マーリニを——そして読者を——放っておけない気持ちにさせます。

マーリニは、奇術師でもあった作者の分身のように、奇術の素養を武器に謎へと分け入っていく探偵です。彼はこの謎めいた客の跡を追い、やがて一座の巡業するサーカス団へと足を踏み入れることになります。

カラフルな天幕、動物の匂い、綱渡りや曲芸のざわめき。華やかな見世物の世界が、ページの上に立ち上がってきます。

ところが、その賑わいの底には、別の色合いの空気が沈んでいました。サーカスの団長が、不可解な死を遂げていたのです。

この死をめぐって、一座には言葉にならない不穏な気配が漂っている。手品店に現れた謎の女、法外な値のついた奇術装置、そして団長の死。

ばらばらに見える点が、マーリニの立つ場所で少しずつ引き寄せられていきます。読者は、華やかな舞台の裏側に招き入れられ、その光と翳りの両方を吸い込みながら、探偵の視線を借りて一座を眺めることになります。

祭りのような賑わいと、拭いきれない死の影が同居する——この落差そのものが、本書の忘れがたい味わいです。

読みどころ

読みどころは、奇術の裏を知り抜いた書き手が、その手管をそのまま本格ミステリの骨組みに変えてみせるところにあります。 舞台の上で観客を驚かせる技術と、紙の上で読者を欺きながら最後には納得させる技術は、案外よく似ています。

どちらも、相手の注意がどこへ向くかを見きわめ、見せたいものだけを見せる駆け引きだからです。ロースンはその二つを地続きのものとして操ります。

サーカスという特異な設定は単なる背景ではなく、謎の立て方そのものと分かちがたく結びついている。天幕の下でなら起こりうること、その世界の理屈が、そのまま謎解きの土台になっているのです。

不可能犯罪の薫りをまとった趣向を、奇術師ならではの発想で仕立て上げた一作。派手な見世物の熱気に浮かされそうになりながらも、示された手がかりは律儀に読者の前へ差し出されていきます。

それらを拾い集め、名探偵の推理に付き合っていく——その古典的な愉しみを、本書は正面から味わわせてくれます。読み終えて種明かしに向き合ったとき、賑やかな舞台の裏でこんな仕掛けが動いていたのかと、思わず唸らされることでしょう。

こんな人におすすめ

華やかで少し奇天烈な世界観を楽しみながら謎解きを堪能したい読者には、迷わず薦められる一冊です。黄金期アメリカ本格の王道を踏まえつつ、他ではなかなか出会えない舞台に連れていってくれます。

逆に、静かで端正な密室劇のような佇まいを期待して開くと、この賑々しさは少し騒がしく映るかもしれません。ただ、その祝祭めいた喧噪こそが本書の身上であり、欠点というより持ち味です。

見世物小屋の埃っぽい空気ごと物語を浴びたい夜にこそ、よく合います。

作品の背景

自身も舞台に立った奇術師として手妻の仕込みを内側から知り尽くしたクレイトン・ロースンが、その知識を惜しみなく注ぎ込んで組み立てたのが、探偵マーリニのシリーズです。だからこの物語の奇術やサーカスの描写には、外から眺めただけでは書けない手ざわりがあります。

見せる側の呼吸を肌で知る人間だからこそ描ける、舞台裏の生きた空気、といえばいいでしょうか。舞台の上で客席を沸かせるための技巧の原理を、頭ではなく自らの体で覚えこんだ人間の目が、この物語の隅々にまで、それとなく行き届いています。

原書が世に出たのは1940年のこと。長く邦訳の待たれてきた一作でした。

手に取るなら

いま手に取るなら、原書房の海外ミステリ叢書〈奇想天外の本棚〉の一冊が入り口になります。白須清美による新訳で、山口雅也が製作総指揮を務めるこの叢書は、埋もれていた奇想の名品を丁寧に掘り起こすことで知られています。

1940年の原書が、二〇一九年になってようやく読みやすい日本語で甦った——その復刊の恩恵にあずかれる、またとない機会です。奇術師探偵マーリニの世界を味わう入り口として、まっすぐに薦められます。

クレイトン・ロースンについて

クレイトン・ロースン(1906〜1971年)は、アメリカ・オハイオ州エリリア生まれの推理作家・編集者です。8歳で奇術を始めたアマチュア奇術師でもあり、オハイオ州立大学を卒業後はシカゴでイラストレーターとして働きました。

1938年、奇術師の名探偵グレート・マーリニが活躍する『帽子から飛び出した死』でデビューし、マーリニものの長編は『天井の足跡』『首のない女』『棺のない死体』を合わせて4作です。

作品は、読者の注意を巧みによそへ向けるミスディレクションを軸にした不可能犯罪ものが中心です。親交の深かったジョン・ディクスン・カーとは、目張りした部屋の密室という同じ題材で競作したこともあります。

1945年にはアメリカ探偵作家クラブ(MWA)の創設に加わり、1963年から亡くなるまで〈エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン〉の編集に携わりました。

書誌情報

出版社
原書房 / 海外ミステリ叢書《奇想天外の本棚》
原書刊行年
1940
邦訳刊行年
2019
ISBN-13
9784562056729
系譜
黄金期米国古典 / 名探偵もの

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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