黄金期米国古典 1939
名牛をバーベキューにする?
反対した若者が死んだ。
『シーザーの埋葬』レックス・スタウト

書評

シーザーの埋葬

田舎の品評会を舞台に名探偵が腰を上げる、開放感ある一作。

シーザーの埋葬 表紙画像
レックス・スタウト 光文社(光文社文庫(新装版)) 原書 1939年 · 邦訳 1987年
目次

巨漢の名探偵が、珍しく街を離れて遠出する。ネロ・ウルフ・シリーズ第6作『シーザーの埋葬』は、その一事から静かに動き出します。

舞台はニューヨーク州北部の田園。名探偵をわざわざ旅先へ連れ出し、のどかなはずの土地で剣呑な事件に立ち会わせる——その組み立てそのものが、まず一つの趣向になっています。

いつもと勝手のちがう場所に置かれた名探偵は、どんなふうに事件と向き合うのか。腰を上げた探偵の一歩目から、物語はもう始まっています。

生みの親はレックス・スタウト。巨漢の名探偵ネロ・ウルフと、その右腕アーチー・グッドウィンの二人組が挑む長いシリーズは、名探偵の推理に身を任せる楽しみを代表する看板のひとつとして読み継がれてきました。

本書はその第6作にあたり、原題 Some Buried Caesar として1939年に発表されています。黄金期アメリカのミステリの薫りをまとった一作でありながら、舞台をいつもの自宅から田舎へと移したことで、シリーズのふだんの空気とはひと味ちがう開放感が全編に漂います。

動かないはずの探偵が旅に出るというだけで、シリーズの型を知る読者にはささやかな高揚があるはずです。加えて本作は、アーチーの生涯の相手となるリリー・ローワンが初めて姿を見せる巻としても、シリーズの愛読者に長く記憶されてきました。

第6作という節目が、ただの通過点ではないゆえんがここにあります。

物語の入り口

田園の物語は、二人がある土地へ呑気に迷い込むところから転がりはじめます。そこで持ち上がっていたのは、一頭の牛をめぐる剣呑な騒ぎでした。

大衆レストラン・チェーンを営むトマス・プラットが、全米チャンピオンの栄誉に輝いた名牛シーザーを手に入れ、あろうことか店の宣伝のために、これをバーベキューにしてしまおうというのです。誉れある名牛を客寄せの見世物にするという発想に、周囲は当然ながら猛反対します。

それでもプラットは意に介さず、セレモニーの時間は刻一刻と迫っていく。牧場には厳重な警戒が敷かれ、張り詰めた空気だけが日ごとに高まっていきます。

誰かが名牛を助け出そうとするのか、それとも予定どおり事は運ぶのか——ひとつの田舎町に、まるで釣り合わない緊張が満ちていくのです。呑気な旅のはずが、いつのまにか二人は、この小さな土地の剣呑な渦の縁に立たされている。

そんなさなか、厳重に警戒されていたはずの牧場で、一頭の牛と、反対派の若者の死体が発見されます。牧歌的だったはずの田園に、突然、二つの死が落ちる。

この落差の大きさが、読者を知らず知らず物語の奥へと引き入れていきます。ばらばらに散らばった断片を前に、ウルフはそれを一枚のパズルへとつなぎ合わせようと動き出す。

何が起きているのかを早く知りたいという気持ちと、この不穏なのどかさの中にもう少し留まっていたいという気持ちが、同時にわいてくる。そういう入り口を持った一作です。

読みどころ

本書の持ち味は、名探偵を住み慣れた自宅から連れ出し、開けた田園のただなかに立たせたところにあります。 慣れた仕事場ではなく、広い牧場と田舎町のざわめきという見通しのよい舞台で謎が立ち上がるぶん、読み心地はどこまでも風通しがよい。

勝手のちがう環境に置かれてもなお、名探偵が持ち前の頭脳をどう働かせるのか。いつもの舞台装置を外されたとき、この探偵の何が芯として残るのか。

そんな読み方のできる一作です。整えられた密室の謎解きとはひと味ちがう、開けた土地ならではの手ざわりがそこにはあります。

名探偵の推理にゆったり付き合う愉しみを、田園の解放感ごと味わえるのは、このシリーズのなかでもこの巻ならではの魅力と言えます。

もうひとつ、長く読み継がれてきたシリーズの読者にとって見逃せないのが、先に触れたリリー・ローワンの初登場です。その後も続いていく人間模様の大きな起点のひとつが、ほかならぬこの田園の一件に置かれている。

長いシリーズを順に追ってきた読者ほど、この一冊の意味は増していくはずです。旅先のひとこまが、のちの物語にどんな糸を垂らしていくのか。

そう思って読むと、田舎町の景色がまた違った色を帯びて見えてきます。

名探偵の推理にゆったり身を任せる読書が好きな人、そして黄金期アメリカの大らかなミステリの薫りを味わいたい人には、素直に薦められる一冊です。逆に、都会的な緊迫感や陰鬱な事件の手ざわりを第一に求める読者には、田舎ののどかな空気がやや物足りなく映るかもしれません。

とはいえ、その伸びやかさこそが本書の核です。頭を働かせる愉しみと、旅先の景色を眺めるような解放感とを一度に味わえる作品は、そう多くありません。

手に取るなら

現在手に取るなら、光文社文庫の新装版で読めます。巨漢の名探偵ネロ・ウルフと右腕アーチー・グッドウィンが田園を行く第6作を、開放感ごと楽しめる一冊。

シリーズを腰を据えて読み継いでいくうえでの、程よい足がかりにもなってくれる一作です。

レックス・スタウトについて

レックス・スタウトは1886年、アメリカのインディアナ州に生まれ、クエーカー教徒の両親のもとカンザス州で育ちました。海軍勤務ののち職を転々としながら雑誌に作品を投稿し、学校向けの貯蓄制度を考案して財を得た時期もあります。

一般の小説から探偵小説に転じたのは、1934年の『毒蛇』からでした。

以後、蘭の栽培と美食を愛し、ニューヨークの自宅からめったに出ない巨漢の名探偵ネロ・ウルフと、足で調べる助手アーチー・グッドウィンのコンビを、1975年に亡くなるまで書き続けます。長編33作、中短編39作に及ぶシリーズは、アーチーの軽妙な一人称の語りでも親しまれてきました。

1958年にアメリカ探偵作家クラブの会長を務め、翌1959年には同クラブの巨匠賞を受けています。

書誌情報

出版社
光文社 / 光文社文庫(新装版)
原書刊行年
1939
邦訳刊行年
1987
ISBN-13
9784334761394
系譜
黄金期米国古典 / 名探偵もの · シリーズ探偵物

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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