ミステリーとしての読みどころ
人里離れた荒野に、巨大な屋敷が一軒だけ建っています。ところが一夜が明けると、その屋敷は影も形もなくなっている——巻頭の中編「神の灯」が読者に突きつけるのは、そんな不可解極まる状況です。
『エラリー・クイーンの新冒険』(原書1940年)は、クイーンの中短編でも随一の傑作と評されるこの一編を看板に掲げた第二短編集。名探偵エラリーが不可能状況に正面から挑み、全9編を通じて黄金期アメリカ本格の懐の深さを見せてくれる一冊です。
著者について
エラリー・クイーンという署名は、ひとりの作家のものではありません。フレデリック・ダネイ(1905-82)とマンフレッド・B・リー(1905-71)、いとこ同士が共有した合同ペンネームです。
二人は1929年、出版社のコンテストに投じた長編『ローマ帽子の謎』でデビュー。同書を第一作とする〈国名シリーズ〉と、当初はバーナビー・ロス名義で発表されたドルリー・レーン四部作によって、ミステリ界に不動の地位を得ました。
その後も作者と同じ名を持つ名探偵が活躍する作品を書き継ぐかたわら、ダネイは雑誌〈エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン〉を通じて多くの書き手を世に送り出し、研究者として、アンソロジストとしても功績を残しています。「アメリカの推理小説そのもの」——そこまで評された巨匠中の巨匠が、長編と並行して短い形式に注ぎ込んだ成果が、本書に集められた9編です。
読み始めて、まず大きな謎に出迎えられます。舞台は人里離れた荒野。
町からも人からも遠く隔たったその場所に建っていたはずの巨大な屋敷が、一夜にして忽然と消え失せる。人ひとりが姿を消したのでも、小さな品物が失われたのでもありません。
消えたのは、建物がまるごとひとつ。あろうことか、そんなことが起きてしまうのです。
中編という尺をたっぷり使って差し出されるこの謎に、エラリーは名探偵として乗り出していきます。不可解極まる状況と、それに対する解明。
「神の灯」が読者に約束しているのはその二つだけで、あとはひたすら、この途方もない事実と向き合いつづけることになります。クイーンの中短編でも随一の傑作と評される所以は、開幕の数十ページですでに伝わってくるはずです。
看板作を過ぎたあとに待っているのは、趣きの異なる8編。「宝捜しの冒険」「がらんどう竜の冒険」「暗黒の家の冒険」「血をふく肖像画の冒険」と、〈冒険〉の名を掲げた作品が並び、さらに「人間が犬を噛む」「大穴」「正気にかえる」「トロイの木馬」が続きます。
収録作のなかには、野球、競馬、ボクシング、アメリカンフットボールを題材にしたスポーツ連作もあり、扱われる世界は一編ごとに大きく移り変わっていきます。同じ探偵が、まるで違う土俵に次々と呼び出されていく——目次を眺めているだけでも、この作品集の落ち着きのなさが伝わってきます。
そして、どの一編を開いても、読者は観客席ではなく、エラリーと同じ机の側に座らされます。手がかりは出し惜しみされることなく差し出され、事件を解くために必要なものは読者の手元にも揃う。
フェアプレイの姿勢が全編で揺るがないからこそ、名探偵の推理をただ追いかけるのではなく、その一歩先に自分から踏み込んでみたくなります。9編を頭から読み進めていく時間は、そのまま推理の練習台になってくれるでしょう。
読みどころ
読みどころは、一冊のなかにクイーンの引き出しがそっくり並んでいることです。 第一短編集『エラリー・クイーンの冒険』が論理パズルで統一された作品集だったのに対し、本書は厳密なパズラーから、語り口そのものが違う短編まで幅があります。
短編集としての統一感より、多彩さのほうを選び取った一冊、と言ってもいいでしょう。それでいて、どの方向へ振れてもフェアプレイの芯が残っているところに、この作家の底力があります。
看板の中編で不可能状況に真っ向から挑んだかと思えば、まったく毛色の違う舞台へ軽々と移っていく。長編でも短編でも黄金期本格を牽引したクイーンが、どれだけ広い射程を持っていたのか。
それを一冊で確かめられるのは、短編集ならではの贅沢です。
名探偵の推理に身を委ねる古典的な謎解きが好きな読者には、迷わず薦められます。黄金期の薫りをまとった作品を、長編ほど身構えずに味わいたいときにも格好の入り口になるはずです。
逆に、一冊まるごと同じ調子の論理パズルが続くことを期待して開くと、編ごとの振れ幅に戸惑うかもしれません。ただ、その振れ幅こそが本書の身上。
統一感を求めて読むのではなく、次はどんな世界へ連れていかれるのかを楽しみに読む——そういう構えのほうが、この作品集とは相性がいいはずです。
手に取るなら
現在手に取るなら、創元推理文庫の新訳(中村有希訳・2020年)です。訳者の中村有希は1990年に東京外国語大学を卒業した英米文学翻訳家で、ウォーターズ『半身』『荊の城』、マゴーン『騙し絵の檻』などの訳書で知られます。
同じ訳者でクイーンのデビュー作『ローマ帽子の謎』も読めるため、短編から長編へ、あるいは長編から短編へと行き来する読み方にも誂え向きです。巻末には横井司氏の解説を収録。
看板の中編に惹かれて開き、残る8編でクイーンの幅の広さに気づかされる——そんな読書がここに待っています。