ミステリーとしての読みどころ
バージニア州の郊外に、ミラクル・クリークという名の町があります。その一角で、韓国から渡ってきた移民の一家がひとつの施設を営んでいました。
名前は「ミラクル・サブマリン」。障害や難病を抱えた人たちが、通常の医療ではまだ届かない何かを求めて通ってくる酸素治療施設です。
ある日、そこで放火事件が起きました。焼死したのは少年。
そして逮捕されたのは、その少年の母親でした。一年後、裁判が開かれます。
『ミラクル・クリーク』は、奇跡を名乗った場所が焼け落ちたあと、残された人々がひとりずつ証言台へ上がっていく物語です。
著者について
著者のアンジー・キムにとって、本書はデビュー長篇にあたります。2019年に原書が刊行されると、エドガー賞(アメリカ探偵作家クラブ賞)をはじめとするミステリの最優秀新人賞を三つ制するという、新人にはめったに起こらない事態が起きました。
ミステリ最優秀新人賞三冠。一作でジャンルの中心へ躍り出た、という言い方がそのまま当てはまります。
翌2020年には早川書房のハヤカワ・ミステリから邦訳が刊行されました。版元は本書を「読む者の心を強くゆさぶるリーガル・ミステリにしてフーダニット」と紹介しています。
心を揺さぶる法廷小説であり、同時に犯人当ての骨格を持つ——この二つが同居しているところが、本書の立ち位置をよく言い当てています。
物語の舞台から見ていきましょう。ミラクル・クリークは、バージニア州の郊外にある町です。
大都市の喧噪から離れた土地で、韓国人の移民一家が生活の基盤として選んだのがこの場所でした。彼らが始めたのが「ミラクル・サブマリン」。
潜水艦を意味する名を冠したその施設は、酸素治療を掲げています。訪れるのは、障害や難病と長く付き合ってきた人たちと、その家族。
通常の治療で行き止まりに突き当たった人ほど、「奇跡」という言葉のほうへ手を伸ばしたくなるものです。施設の名は、そこに集まる期待をそのまま看板に掲げたようなものでした。
町の名にも、施設の名にも、奇跡が二重に刻まれている。その皮肉は、事件が起きた瞬間に牙を剥きます。
火が出たのは、その施設でした。放火事件です。
少年がひとり亡くなり、警察が逮捕したのは、その母親でした。わが子を失った人が、わが子を死なせた容疑で裁かれる。
事件の輪郭は、最初の一行からすでにねじれています。
そして一年が過ぎ、法廷が開かれます。この「一年後」という時間の置き方が、本書の設計の要です。
一年あれば、生活は表向き元に戻ります。傷は瘡蓋になり、言い訳は形を整え、あの夜のことをどう語るかも、それぞれの中で決まってしまう。
けれど塞がったように見えるだけで、内側では何ひとつ片づいていない。関係者たちは、それぞれの心のうちに傷と秘密を抱えたまま法廷に臨みます。
宣誓をして、質問に答え、また席に戻る。傍聴席から見れば、ただそれだけの手続きです。
読者はその法廷の内側に置かれ、証言をひとつずつ受け取りながら、いま聞かされているのが事件のどの面なのかを自分で測り続けることになります。目の前で語られているのは真実なのか、それとも語り手にとって語りうる範囲の話なのか。
ページをめくるほどに、その距離が気になってきます。
読みどころ
読みどころは、法廷という形式そのものが謎解きの装置になっているところにあります。 捜査小説なら、探偵が歩き回って手がかりを拾い集め、読者はその後ろをついて回ります。
ところが法廷では、情報は証人の順番でしか出てきません。誰から呼ばれるか、何を訊かれるか、どこで反対尋問が入るか——事件の像は、その進行に沿って少しずつ組み替わっていきます。
しかも証言台に立つのは、全員が事件の当事者です。宣誓のもとであっても、人は自分に不利なことを進んでは語りません。
語られなかった部分の輪郭が、語られた言葉の隙間から浮かんでくる。版元の紹介にある「本当に裁かれるべきは誰なのか」という問いは、この構造から自然に立ち上がってくるものです。
もうひとつ、本書を支えているのは、そこに集まった人たちの切実さでしょう。難病や障害を抱えた家族が「奇跡」に期待をかけるという状況には、外側から簡単に評価を下せない重さがあります。
移民として異国に根を下ろそうとする一家の事情もまた同じ。誰かを責めれば済むほど単純な配置になっていないからこそ、法廷で交わされる言葉のひとつひとつが重く響きます。
心を強くゆさぶる、という版元の評は誇張ではありません。フーダニットの興味で引っぱりながら、読後に残るのは人間のほうだった——そういう読み方をされてきた作品です。
こんな人におすすめ
相性の話もしておきましょう。名探偵が颯爽と現場を歩き、鮮やかに推理を披露するタイプの読み味を求めていると、本書の歩幅は少しゆっくりに感じられるかもしれません。
物語の推進力は法廷の手続きと人物の内面に置かれていて、そこを味わうつくりになっているからです。また、子どもの死や、病と向き合う家族の苦しみが正面から扱われるため、そうした題材がつらい時期には無理に手を伸ばさないほうがいいでしょう。
逆に、事件の全体像がじわじわと形を変えていく感覚が好きな読者、人物の抱えるものを丁寧に描いたうえで謎解きの決着までつけてくれる作品を探している読者には、まっすぐ届く一冊です。読み出すと止まらないタイプでありながら、読み終えたあとに不穏な余韻が長く残ります。
手に取るなら
入手は早川書房のハヤカワ・ミステリ版で。デビュー長篇にしてミステリ最優秀新人賞三冠という経歴は、それだけで手に取る理由になりますが、実際に読んでみると、賞が並んだ理由のほうが記憶に残るはずです。
現代アメリカのリーガル・ミステリがいまどこまで来ているのかを知るうえでも、最初の一冊にふさわしい作品です。