フランス古典 1939
犯人の住所は判明した。
あとは、どの下宿人か。
『殺人者は21番地に住む』スタニスラス=アンドレ・ステーマン

書評

殺人者は21番地に住む

犯人が同じ下宿に潜む——霧のロンドンの連続殺人を扱うフランス本格の一作。

殺人者は21番地に住む 表紙画像
スタニスラス=アンドレ・ステーマン 東京創元社(創元推理文庫) 原書 1939年 · 邦訳 1983年
目次

霧深いロンドンの街で、連続殺人が続いています。犯人は殺害のたび、現場に一枚の名刺を残していく。

そこに記されているのは〈スミス氏〉——どこにでもありそうな、けれど誰のものとも知れない名前です。やがて警察は、その人物の住む場所を突き止めます。

ところがその住所、ラッセル広場21番地は、幾人もが暮らす一軒の下宿屋でした。犯人は、この屋根の下のどこかにいる。

フランス語圏の本格ミステリが1939年に描いたのは、そんな一点へと絞り込まれていく謎でした。

物語の入り口

物語は、霧に沈んだロンドンから立ち上がります。街ではひとり、またひとりと人が殺され、そのどれもが同じ手口による連続殺人だと知れわたっていく。

犯人は捕まるどころか、警察を挑発するように振る舞います。殺しのあった現場には、決まって〈スミス氏〉と記された名刺が置かれているのです。

名前だけがある。顔も、素性も、居場所もわからない。

手がかりらしい手がかりをつかめないまま、捜査は途方に暮れていきます。

そんな行き詰まりのなかへ、一報が飛び込みます。〈スミス氏〉の住まいが判明した、というのです。

捜査陣にとって、これ以上ない朗報のはずでした。ところが、その知らせには思わぬ落とし穴がありました。

突き止められた住所——ラッセル広場21番地は、独り住まいの家ではなく、複数の下宿人が寝起きをともにする下宿屋だったのです。

つまり、犯人がどこにいるかはわかった。けれど、それが誰なのかはわからない。

あれほど正体をくらませていた〈スミス氏〉が、いまや一軒の建物のなかに囲い込まれている。にもかかわらず、その顔はまだ見えないのです。

捜査は、広いロンドンの街から一棟の下宿屋へと、一気に狭められた場所で仕切り直しになります。この絞り込みの鮮やかさこそ、本作の入り口の何よりの魅力でしょう。

読者もまた、下宿の玄関をくぐる捜査の傍らに立ち、同じ問いを突きつけられることになります——この屋根の下の、いったい誰が。

読みどころ

本作を本格ミステリとして際立たせているのは、物語の途中に二度も差し挟まれる「読者への挑戦状」です。 ここまでの手がかりで真相にたどり着けるはずだ——作者が読者へそう呼びかける、あの古典的な趣向。

それが一度ならず二度も置かれているという事実は、この作品が謎解きの公正さにどれほど自信を持っているかを、何より雄弁に物語っています。読み手は、ただの傍観者ではいられません。

提示された条件のなかで、自分の頭で答えを組み立てるよう促される。手がかりはすべて目の前にある、という約束のもとで読み進める緊張感は、本格の醍醐味そのものです。

そしてもうひとつ、犯人のいる場所があらかじめ限られている、という構図の面白さがあります。捜査の的がひとつ屋根の下に定まっているぶん、謎は逃げ場を失い、濃く煮詰まっていく。

広い街を舞台にした事件が、いつしか一軒の建物の内側だけで完結する謎へと姿を変えていくのです。フランス本格の粋とうたわれるこの一作は、限定された舞台にすべてを凝縮させる手際において、いまなお色褪せていません。

探偵小説の古典としての風格を保ちながら、読み進めるほどに謎が締まっていく緊張は、けっして時代がかっては感じられないはずです。

こんな人におすすめ

名探偵の華麗な推理や派手な事件の連鎖よりも、限られた顔ぶれのなかから犯人を論理で選び出す、という謎解きの一番おいしい核をじっくり味わいたい読者に、まっすぐ薦められる一冊です。読者への挑戦状に正面から挑みたい人であれば、なおのこと愉しめるでしょう。

逆に、めまぐるしい展開やアクションの疾走感を求めて開くと、この腰を据えた設えは少し静かに映るかもしれません。けれど、その静けさは古典本格が本来もっている手ざわりであり、腰を落ち着けて向き合うほど、味わいは深くなります。

作品の背景

フランス語で書かれたミステリというと、日本の読者にはどこか縁遠く感じられるかもしれません。けれど本作は、フランス語圏を代表する本格長編のひとつに数えられ、1939年の発表以来、その名を保ちつづけてきました。

のちにアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の手で映画化されたことでも知られ、原作の枠を越えて名を広めた一作でもあります。

手に取るなら

現在手に取るなら、創元推理文庫の一冊です。1939年にフランス語で書かれた本格長編が、1983年の邦訳を経て、いまも読み継がれている——それ自体が、この作品の底力を静かに物語っています。

フランス語圏のミステリにまだ馴染みのない読者にとっては、その豊かな鉱脈への入り口ともなる一作です。霧のロンドンと一軒の下宿屋、そして二度の挑戦状。

古典本格の確かな骨格を味わいたい夜に、そっと開きたい物語です。

スタニスラス=アンドレ・ステーマンについて

スタニスラス=アンドレ・ステーマンは、1908年にベルギーのリエージュで生まれ、1970年に南フランスのマントンで亡くなったフランス語の作家です。10代のころから短編を発表し、ブリュッセルの新聞『ラ・ナシオン・ベルジュ』の記者を務めながら、1928年に同僚の記者との合作で推理小説を書きはじめました。

合作を5冊出したのちは単独で書き、1931年の『六死人』でフランス冒険小説大賞を受けています。この作品で長編に初登場した探偵ヴェンスは、以後の多くの作品で活躍しました。

代表作の『殺人者は21番地に住む』(1939年)はアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督のデビュー作として映画化され、クルーゾーは『犯罪河岸』(1947年)でもステーマンの小説を原作にしています。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
原書刊行年
1939
邦訳刊行年
1983
ISBN-13
9784488212018
系譜
フランス古典 / 名探偵もの

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リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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