現代フランス 1991
円の中はいつもガラクタ。
その朝は女の死体。
『青チョークの男』フレッド・ヴァルガス

書評

青チョークの男

パリの路上に描かれる青い円。名物警視の登場作にしてダガー賞受賞の変則本格。

青チョークの男 表紙画像
フレッド・ヴァルガス 東京創元社(創元推理文庫) 原書 1991年 · 邦訳 2006年
目次

夜のパリの舗道に、青いチョークで円がひとつ描かれている。輪の内側に置かれているのは、クリップ、人形の頭、しなびたオレンジ——どこかで拾ってきたようなガラクタばかり。

誰が、何のために。意味を読み解こうにも手がかりのない、ただ奇妙なだけの落書きめいた現象から、『青チョークの男』は静かに転がり出します。

物語の入り口

物語の舞台は、夜ごとのパリ。人けの絶えた路上に、いつからか青いチョークの円が現れるようになります。

ひと晩ごとに場所を変えて描かれる輪。その中央には、判で押したように何かしらのガラクタがひとつ置かれている。

ある日はクリップ、別の日は人形の頭、またある日はオレンジ……。実用にも装飾にも見えない、ちぐはぐな品々です。

街の噂は、これを「変わりものの哲学者の気まぐれな悪戯」と受け流します。取り締まる法もなく、被害者もいない、たわいのないいたずら。

多くの人はそう考え、青い円のことなど気にも留めませんでした。

ところが、ある朝のこと。いつものように描かれた円の内側に置かれていたのは、ガラクタではありませんでした。

喉を切られた女性の死体だったのです。奇妙な遊びのように見えていた現象は、一夜にしてまったく別の相貌を帯びます。

そして、それきりでは終わりませんでした。また一つ、また一つと、死体が続いていく。

ここに至って、パリ第五区警察の署長ジャン=バティスト・アダムスベルグが、ようやく捜査に乗り出します。

このアダムスベルグという人物が、実に一風変わっています。論理を積み上げて答えに詰め寄るのではなく、頭の片隅にふと浮かんでは消えるイメージや、理屈にならない直感を頼りに、ふらりふらりと事件へ近づいていく。

せっかちな読者なら焦れったく感じるかもしれない、その飄々とした歩みこそが、シリーズを貫く最大の魅力です。同僚たちの困惑をよそに、彼はまるで夢遊病者のように現場を歩き、周囲が見落とした綻びに立ち止まる。

読者は、この掴みどころのない警視の背中を追いながら、事件の輪郭が見えないまま、パリの夜をともに歩くことになります。

読みどころ

謎解きの醍醐味と、フランス・ミステリならではの妙味を、両手にひとつずつ持たされる一冊です。 端正な本格ミステリの骨格を備えつつ、そこからわずかに逸脱していく、一風変わった味わいは、まさにこのあたりに宿ります。

事件の異様さ、探偵の奇妙さ、そして街そのものが放つ気配。それらが渾然と溶け合って、英米の推理小説とはまた違う手ざわりの読書時間が生まれます。

国際的な賞がこの作品を評価したのも、うなずける完成度です。名探偵の第一作というものは、往々にしてその後の長い旅路の色合いを決めてしまうもの。

本書に漂う独特の空気は、この風変わりな警視という存在なくしては生まれなかったはずです。シリーズの原点を、いちばん瑞々しい形で味わえるのが、この一冊の得がたい価値でもあります。

一方で、相性の話も正直にしておきましょう。緻密な手がかりを一つずつ拾い上げ、盤面を詰めるように犯人を追い込んでいく——そうした数学的な謎解きだけを求めて読むと、アダムスベルグの直感任せの捜査ぶりに戸惑うかもしれません。

この作品が差し出すのは、論理の精密さよりも、雰囲気と人物の妙で読ませる種類の面白さだからです。裏を返せば、癖の強い探偵に付き合うのが好きな読者、謎そのものの手ざわりや街の空気ごと味わいたい読者には、これ以上ないほど馴染む一冊でしょう。

作品の背景

『青チョークの男』の英訳版は2009年、CWAインターナショナル・ダガー賞に輝きました。「現代フランス・ミステリ界の女王」と呼ばれる書き手の、原点となった一冊です。

手に取るなら

入手は東京創元社の創元推理文庫で、2006年に邦訳が刊行されています。名物警視アダムスベルグの登場作にして、四度のダガー賞受賞者ヴァルガスのシリーズの出発点。

ここが気に入れば、その先には長い付き合いが待っています。まずはこの青い円から、風変わりな警視との旅を始めてみてください。

フレッド・ヴァルガスについて

フレッド・ヴァルガスは1957年、パリに生まれました。本名はフレデリク・オドワン=ルゾーです。

作家フィリップ・オドワンを父に持ち、双子の姉妹は画家のジョー・ヴァルガスです。パリ第1大学で歴史学の博士号を取り、国立科学研究センター(CNRS)で15年にわたって動物考古学の研究に携わりながら、ミステリを書き始めました。

最初の長編は1986年に発表しています。

三人の歴史学者が活躍する三聖人シリーズと、直感で動くアダムスベルグ警視のシリーズで、フランス語圏の外にも多くの読者を得ました。英国推理作家協会のインターナショナル・ダガー賞は、2006年の第1回を含めて4度受けています(2013年はピエール・ルメートルとの同時受賞)。

研究者としては中世史と考古学を専門とし、ペストの研究でも知られています。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
原書刊行年
1991
邦訳刊行年
2006
ISBN-13
9784488236038
系譜
現代フランス / 警察手続き · シリーズ探偵物
受賞歴

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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