現代フランス 1995
木の下を掘った。何も無い。
そして彼女が消えた。
『死者を起こせ』フレッド・ヴァルガス

書評

死者を起こせ

失業中の歴史学者三人が謎に挑む、CWA国際ダガー賞に輝く変則本格の傑作。

死者を起こせ 表紙画像
フレッド・ヴァルガス 東京創元社(創元推理文庫) 原書 1995年 · 邦訳 2002年
目次

パリの片隅、朽ちかけたボロ館に、職にあぶれた若い歴史学者が三人。専門はてんでんばらばら、財布はどれも同じように軽い。

そんな三人組が探偵役をつとめるのが、フレッド・ヴァルガス『死者を起こせ』です。名探偵でも刑事でもない、ただ歴史にくわしいだけの居候たちが、隣家で起きた奇妙な出来事へ足を踏み入れていく。

風変わりな探偵と、ひとひねりある謎解きが持ち味の一作です。

物語の入り口

舞台は、パリの古びた一軒の館。おそろしく傷んだその建物に、三人の若い男が転がり込むところから物語は動き出します。

中世を専門とするマルク、先史時代を追うマティアス、第一次大戦にくわしいリュシアン。扱う時代はそれぞれ何百年、何千年と離れているのに、そろって失業中という一点だけは見事に一致している。

福音書を記した聖人になぞらえ、周囲から「三人の福音書記者」——三聖人——と呼ばれる面々です。

その隣家に暮らすのが、かつて舞台に立っていた元オペラ歌手。彼女はある日、自宅の庭にいつのまにか現れた一本のブナの木に、ひどく怯えていました。

植えた覚えなどないのに、木はそこに立っている。誰かの嫌がらせ、あるいは脅迫ではないか——そう疑う彼女ですが、夫のほうはまるでとりあおうとしません。

思いあまった彼女に頼まれ、三人の歴史学者は木の根元を掘り返してみることにします。土の下から、いったい何が出てくるのか。

固唾を呑む場面ですが、掘っても掘っても、出てくるものは何もない。ただの若木が、ただそこに生えているだけ。

ところが——それからほどなくして、彼女は姿を消してしまいます。

なんの変哲もない一本の木が、なぜこれほど人を怯えさせるのか。空振りに終わった庭の穴が、なぜ不穏な余韻だけを残すのか。

答えの出ないまま、読者は歴史しか取り柄のない三人と一緒に、宙ぶらりんな不安のなかへ置き去りにされます。

読みどころ

この作品の魅力の中心は、探偵役の顔ぶれそのものにあります。 謎に挑むのは、拳銃も捜査権も持たない、ただの失業者三人。

武器といえば、それぞれが磨いてきた歴史の知識だけです。中世・先史・近代という異なる時間の物差しを持ち寄り、目の前の出来事に当てていく——その視点のずれと噛み合いが、ふつうの捜査小説にはない手ざわりを生みます。

事件を前にしても、彼らはどこか自分の専門分野の話に引きつけてしまう。その脱線めいた思考の道すじが、いつのまにか謎の輪郭をなぞっているのだから面白いものです。

ヴァルガス自身が中世考古学の研究者であることを思えば、この設定は決して思いつきの飾りではありません。学者としての知と、物語を転がす手つきが、無理なく地続きになっている。

独特の語り口と、一癖も二癖もある登場人物たちが醸す空気は、「変則本格」と呼ぶほかない独自の色合い。謎解きの骨格はきちんと保ちながら、フランスミステリならではの飄々とした妙味が全編に漂っています。

証拠を並べて犯人を一点へ絞り込む、精密機械のようなパズルを求めると、本作のゆったりした足取りには少し肩透かしを食うかもしれません。ここでの読みどころは、論理の一直線の切れ味よりも、風変わりな探偵たちと過ごす時間そのもの、そしてじわじわと立ち込めてくる不穏さの側にあります。

裏を返せば、癖のある人物に愛着を抱きながら読み進めたい人、フランスミステリ特有の雰囲気を味わいたい人には、これ以上ない一冊。名探偵の型から外れた探偵譚に目がない読者にも、まっすぐ届くはずです。

作品の背景

『死者を起こせ』は仏ミステリ批評家賞に輝き、英訳版は2006年にCWAのダンカン・ローリー・インターナショナル・ダガーを受賞。日本でも「2003 本格ミステリ・ベスト10」の海外ランキングで第8位に選ばれています。

手に取るなら

入手は東京創元社の創元推理文庫版で、2002年の刊行です。数々の賞に彩られた《三聖人シリーズ》は、この一作からすべてが始まります。

まずは癖の強い三人組と顔合わせを済ませておけば、続く物語にも自然と足を運びたくなるはず。個性的な探偵役と独特の語りに惹かれたなら、フランス・ミステリ界を代表する書き手ヴァルガスの世界へ、ここから足を踏み入れてみるのがおすすめです。

フレッド・ヴァルガスについて

フレッド・ヴァルガスは1957年、パリに生まれました。本名はフレデリク・オドワン=ルゾーです。

作家フィリップ・オドワンを父に持ち、双子の姉妹は画家のジョー・ヴァルガスです。パリ第1大学で歴史学の博士号を取り、国立科学研究センター(CNRS)で15年にわたって動物考古学の研究に携わりながら、ミステリを書き始めました。

最初の長編は1986年に発表しています。

三人の歴史学者が活躍する三聖人シリーズと、直感で動くアダムスベルグ警視のシリーズで、フランス語圏の外にも多くの読者を得ました。英国推理作家協会のインターナショナル・ダガー賞は、2006年の第1回を含めて4度受けています(2013年はピエール・ルメートルとの同時受賞)。

研究者としては中世史と考古学を専門とし、ペストの研究でも知られています。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
原書刊行年
1995
邦訳刊行年
2002
ISBN-13
9784488236021
系譜
現代フランス / シリーズ探偵物
受賞歴
·

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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