アルゼンチン 3–1 スイス|1枚のカードが、罰する相手を入れ替えた
W杯2026準々決勝、アルゼンチンが延長でスイスを3-1。しかし72分の退場までの数字は、シュート9対5・枠内5対1でスイスが上回っていました。1枚のカードが罰する相手を入れ替えた3分間を、イベントデータで分解します。
目次
はじめに
準々決勝の一戦は、延長までもつれました。
アルゼンチンが 3-1 でスイスを下し、準決勝へ進んでいます。
ハイライトだけを見た受け止めは、だいたい一致すると思います。
「エンボロの軽率なプレーで数的不利になり、そこから王者が順当に仕留めた」。
大筋はそのとおりです。
ただ、退場までの72分間だけを切り出すと、押していたのはスイスのほうでした。
シュートは9本対5本、枠内シュートは5本対1本。
敵陣でボールに触った回数は285対171で、スイスがアルゼンチンを大きく上回っています。
しかも彼らは、その5分前に追いついたばかりでした。
そして退場の引き金になったカードは、もともとアルゼンチンの選手に出されたものです。
この試合を決めたのは、1枚のカードが罰する相手を入れ替えた、69分から72分までの3分間でした。
90分だけを切り出すと、別の試合が出てくる
まず数字のスコアボードを置きます。

基礎スタッツを90分と延長30分に分けたもの。90分の枠内シュートと相手ペナルティエリア内タッチは、スイスが上回っている。
120分の合計だけを見れば、この試合は一方的です。
xG(ゴール期待値。シュートを撃った位置や状況から、何点入ってもおかしくなかったかを見積もった数字)は 1.94 対 0.47。
シュートは22本対11本、支配率は59対41。
数字を並べるかぎり、力の差がそのままスコアになった試合に見えます。
ところが90分だけで割ると、まったく違う顔が出てきます。
支配率は 54.5 対 45.5 でほぼ互角。
シュートは9本ずつで並び、枠内シュートは 2本対5本、相手ペナルティエリア内でボールに触った回数は 11対19。
どちらも上回っているのはスイスのほうです。
xG は 0.88 対 0.43 でアルゼンチンが上ですが、この 0.88 には少し注釈が要ります。
中身の大半は、10分の先制点(0.14)と、89分のマク・アリステルのヘディング(0.38)です。
後者はこの試合のアルゼンチン最大の好機ですが、89分はすでにスイスが10人になったあとでした。
つまり11人対11人だった時間帯のアルゼンチンには、目立った決定機がほとんどありません。
守護神の仕事量にも、それは出ています。
90分間のセーブ数は、アルゼンチンのゴールキーパーが4、スイスが1。
働かされていたのは、勝ったほうのゴール前でした。
xG がどう積み上がったかも見ておきます。

累積 xG の推移。●がゴール、赤い縦線が72分のエンボロの退場。線が離れるのは、縦線を越えてからだけ。
72分の縦線まで、2本の線はほとんど重なったまま進みます。
そして縦線を越えた瞬間から、アルゼンチンの線だけが立ち上がる。
スイスの線は、そこから120分までほぼ水平のままでした。
72分までは、スイスが押していた
敵陣にいたのは、スイスのほうだった
退場の前に何が起きていたのかを、もう少し細かく見ていきます。

退場前(0-72分)の相手陣内でのタッチ位置。攻撃方向は左から右。スイスの密度は敵陣の広い範囲に散り、アルゼンチンはハーフウェーライン付近に固まっている。
0分から72分までのあいだに相手陣内でボールに触った回数は、スイスが285回、アルゼンチンが171回。
1.7倍近い差です。
分布の形も違います。
スイスは敵陣の広い範囲に散らばり、とくに左サイドの深い位置に濃い塊があります。
アルゼンチンはハーフウェーラインから敵陣の入口までに集まっていて、ペナルティエリアの中にはほとんど入れていません。
前で守っていたのもスイスだった
守備アクションの平均位置を15分ごとに割ると、この構図がもっと素直に出ます。

タックル・インターセプト・ボール回収の平均位置を15分ごとに追ったもの。ピッチを0-100として、数値が小さいほど自陣寄り。
前半のスイスは 49.4、47.9、52.4 と推移しています。
ハーフウェーラインより前で守備をしていた、ということです。
対してアルゼンチンは 37.3、32.0、29.6 と下がり続けました。
前半の終盤には、自陣3分の1のすぐ外あたりで守備をしています。
前から出ていくスイスと、押し下げられるアルゼンチン。
これが72分までの形でした。
そして、追いついた
流れは、そのまま得点にもつながっています。
47分にリーダー、55分にンドイエ、60分にエンボロ、65分にンドイエ、66分にシャカ。
後半に入ってからのスイスは、20分ほどのあいだに5本を撃っています。
とくに60分のエンボロ(モナコ)のヘディングは、この試合のスイス最大の場面でした。
撃つ前の期待値は 0.08 にすぎませんが、枠に飛んだあとの期待値を測る xGOT は 0.61。
コースだけを見れば、6割入っていた1本です。
これをエミリアーノ・マルティネス(アストン・ヴィラ)が止めています。
そして67分、ンドイエ(ボローニャ)が決めました。
リカルド・ロドリゲスのパスからで、xG は 0.14。
1-1 です。
アルゼンチンのゴールキーパーが記録した4セーブは、すべてこの退場前に飛んできたものでした。
しかもうち3本は、60分から66分までのわずか7分間に集中しています。
スイスは押し込み、追いつき、相手のゴール前を殴り続けていました。
その5分後に、彼らは10人になります。
罰する相手が入れ替わった3分間
ここで、試合の分岐点になった3分間を整理します。
67分にンドイエが決めて 1-1。
その2分後の69分、VAR が入りました。
対象になったのは、スイスの選手ではなくアルゼンチンのパレデスです。
そして72分、エンボロが2枚目の警告を受けて退場しました。
報じられている経緯はこうです。
パレデスがエンボロを倒したように見え、主審は当初パレデスに警告を出しました。
ところが映像を確認した結果、接触の前にエンボロが倒れていたと判定され、パレデスの警告は取り消されます。
代わりにエンボロがシミュレーションで2枚目の警告を受け、ピッチを去りました。
エンボロは44分に1枚目をもらっていたので、これで退場です。
アルゼンチンを罰するはずだったカードが、スイスから1人を奪った。
この試合の分かれ目は、ここにあります。
ひとつ断っておくと、「シミュレーションだった」という判定の理由や、そのプレーがどれほど不自然だったかは、記録の側からは何も言えません。
そこは映像と報道の領域です。
数字が言えるのは、67分の同点弾から3分のあいだに、カードの向きが入れ替わったという順序だけです。
そしてもうひとつ。
このとき退場になったエンボロは、その12分前にスイス最大の場面を作っていた選手でした。
10人になってからの48分間
撃てたのは2本だけだった
72分から120分までの48分間で、スイスが撃ったシュートを数えます。

スイスの全シュート11本。下2行が退場後の2本で、どちらも枠を外れている。
99分にシャカ、105分にヤシャリ。
2本だけです。
どちらも枠を外れ、合計の xG は 0.03。
48分間かけて、モデルの見立てでは3%ぶんの得点しか作れていません。
延長の30分に限れば、相手ペナルティエリア内でボールに触ったのは1回きり。
延長後半のシュートは0本でした。
同じ48分間で、アルゼンチンは17本を撃ち、xG を 1.63 積んでいます。
「延長で疲れた」という説明では足りない
ここは慎重に扱う必要があります。
退場前は72分、退場後は48分。
長さが違うので、本数をそのまま並べても意味がありません。
そこで15分あたりのペースに揃えて比べます。

15分あたりの xG を、退場の前後で比べたもの。退場前に上回っていたのはスイスのほうだった。
スイスは 0.09 から 0.01 へ。
およそ8分の1です。
アルゼンチンは 0.08 から 0.51 へ。
こちらは6.6倍になりました。
大事なのは、退場前の時点でペースが上だったのは スイス だったことです。
それが退場を境に、そっくり反対向きになっています。
体力の問題であれば、こういう形の反転にはなりません。
沈み込みは、20ポイント以上だった
守備位置のグラフに戻ります。
61-75分のスイスは 45.3。
まだ前で守っていました。
それが76-90分には 22.7 まで落ちます。
20ポイント以上の急落で、延長前半も 26.5 と低いままでした。
彼らがラインを押し上げたのは、112分に失点したあとです。
106-120分の平均位置は 44.7 まで戻っています。
つまりスイスは、10人になってから112分までの40分間、深く構えて時間を進める形を取っていました。
延長前半の支配率は 73 対 27。
ボールはアルゼンチンに預けて、ゴール前に人を並べていたことになります。
それがPK戦を見据えた選択だったのかどうかは、数字からは決められません。
ただ、守備位置も支配率もシュート数も、そろって「もう出ていかない」という形をしていたのは事実です。
采配の問題ではなかった
ここは公平に書いておきます。
「10人になって守りに徹した」とまとめてしまうと、実際とは少し違うからです。
85分台、スイスは3人を同時に替えています。
ソウをヴィトマーに、ンドイエをアムドゥニに、リーダーをムハイムに。
同点弾を決めたンドイエを下げて前線にアムドゥニを入れているので、守り切るためだけの交代ではありません。
延長に入ってからも、94分と95分にさらに2枚のカードを切りました。
10人で交代枠を使い切って、それでもシュートは2本。
足りなかったのは采配ではなく、1人少ない状態でアルゼンチンからボールを取り返す手段のほうでした。
アルゼンチンも、すぐには決められていない
もっとも、数的優位になった側もスムーズではありませんでした。
退場から90分までの18分間、アルゼンチンのシュートは89分と90分に固まっています。
その先頭が、89分のマク・アリステルのヘディング(xG 0.38)。
この試合で彼らが手にした最大の場面でしたが、枠を外れました。
続く90分の3本も、セーブとミスで終わっています。
90分が終わった時点のスコアは 1-1 のままです。
退場が即座に試合を決めたわけではなく、決着までにはそこから40分かかりました。
「退場が明暗を分けた」は、どこまで本当か
試合後、日本語のメディアには「明暗分けた"シミュレーション退場"」という見出しが並びました。
わかりやすい説明です。
わかりやすすぎて、逆に疑いたくなる種類の説明でもあります。
ひとつの出来事で90分が決まることなど、そうそうあるものでしょうか。
この試合に限っては、数字がこの言い方をほぼそのまま支持します。
理由は3つあります。
第一に、退場前のスイスは明確に試合の中にいました。
シュート9本対5本、枠内5本対1本、敵陣でのタッチ285対171。
15分あたりの xG でも 0.09 対 0.08 でスイスが上でした。
第二に、退場の5分前に追いついています。
67分のンドイエ。
その直前の12分間で4本を撃ち、うち1本を決めた流れの中での同点弾でした。
第三に、退場後の落ち込みが極端です。
48分間で2本、枠内0本、xG 0.03。
15分あたりのペースは8分の1になりました。
「ひとつの出来事が試合を決めた」と言うためには、その出来事の前後で実際に何かが変わっていなければなりません。
この試合は、その条件を満たしています。
同じ言い回しでも、結論は変わる
比較のために、同じ準々決勝のスペイン対ベルギーを持ち出します。
あの試合でも「控えゴールキーパーのミスひとつで散った」という言い方がされました。
ただ、あちらは事情が違います。
決勝点を除いても、スペインの xG は 1.39、ベルギーは 0.37。
ミスが起きる前から、内容の差は4倍近くありました。
あの場面は負けた機序ではあっても、負けた理由そのものではありません。
この試合は逆です。
退場の前、スイスは負けていませんでした。
だから同じ「ひとつの出来事が決めた」という言い方でも、結論の出方が変わります。
どちらも「そんな単純な話ではない」と切り捨てるのは、意外と雑な態度だと思います。
ただし、奪われたのは勝利ではない
留保をふたつ付け加えます。
ひとつめ。
これは「退場がなければスイスが勝っていた」という話ではありません。
退場前の72分間でも、スイスの xG は 0.43 にとどまります。
撃てていたし敵陣にも入れていましたが、決定機と呼べるのは67分のンドイエと60分のエンボロくらいでした。
彼らが持っていたのは五分の試合であって、勝ち試合ではありません。
退場が奪ったのは、勝利ではなく五分の権利のほうです。
ふたつめ。
その五分を作っていたのは、ほかならぬエンボロでした。
60分のヘディングはスイス最大の場面でしたし、前線で空中戦を戦う役割も担っていました。
彼を失ったこと自体が、シュート2本という数字の一因である可能性は否定できません。
つまり「退場が試合を決めた」という言い方は、「1人減った」ことと「エンボロがいなくなった」ことの両方を含んでいます。
数字はこのふたつを分けられません。
そして今回の材料は1試合ぶんだけなので、ここから両チームの恒常的な性質を読み取ることもできません。
0ゴールのメッシが、両チーム最高評価だった理由
この試合のマン・オブ・ザ・マッチはメッシでした。

採点の上位10人。メッシは0ゴール1アシストで 8.92。スイスの最上位はリカルド・ロドリゲスの 7.67。
採点 8.92 は両チーム最高です。
ただ、スタッツを並べると少し不思議に見えます。
120分フル出場して、ゴールは0。
シュートは4本で、3本がセーブ、1本が枠外でした。
答えは xA(期待アシスト)にあります。
自分が出したパスから生まれたシュートの xG を合計した数字で、メッシは 0.71。
両チームで断然の最高値で、2位はスイスのリカルド・ロドリゲス(コモ)の 0.26 でした。
アルゼンチンのチーム xG は 1.94。
その約37%を、メッシひとりが作っていた計算になります。
イベントを数え直すと、彼の120分はパス80本、仕掛け7回、ボール回収5回、タックル3回。
得点者欄には出てこない仕事が並びます。
そして10分の先制点は、彼のコーナーキックから生まれたものでした。
決めたのは、xG 0.3 未満のシュートばかりだった
ゴールの中身も見ておきます。

4ゴールの xG と xGOT。アルゼンチンの3点は、いずれも枠に飛んだあとの期待値が撃つ前を大きく上回っている。
112分のフリアン・アルバレスは、撃つ前の期待値が 0.03、枠に飛んだあとが 0.61。
およそ20倍です。
モデルから見ればほぼ入らない位置からのシュートが、コースだけは6割入る場所へ飛んでいます。
「スーパーゴール」と呼ばれたのは、この落差のことでした。
120分のラウタロ・マルティネスは 0.28 から 0.86。
速攻からの1本です。
彼は84分に入り、35分の出場で試合を締めました。
決勝点をアシストしたホセ・ロペスにいたっては、109分に入ったばかりでした。
4ゴールとも、撃つ前の期待値は 0.3 を超えていません。
この試合、モデルが「入る」と見たシュートは1本もなかったことになります。
差がついたのは、枠のどこへ飛ばしたかのほうでした。
準々決勝の4試合に共通していたこと
ここまで準々決勝を分解してきて、ひとつ気づいたことがあります。
この大会の8強戦で、決勝点はどれも「まっとうな決定機」から生まれていません。
フランスの2得点は 0.05 と 0.12。
スペインの決勝点は、0.03 のシュートがこぼれた先から。
そしてこの試合のアルバレスも 0.03 です。
ノックアウトの試合は、設計どおりの崩しでは決まらない。
弾かれ、こぼれ、モデルが「入らない」と見た場所から入る。
準決勝を見るときも、この前提はたぶん変わらないと思います。
まとめ
72分の退場までは、スイスの試合でした。
シュート9本対5本、枠内5本対1本、敵陣でのタッチ285対171。
前半の守備位置はハーフウェーラインより前で、押し下げられていたのはアルゼンチンのほうです。
しかも67分に追いついた直後でした。
分かれ目になったカードは、最初アルゼンチンの選手に出されたものでした。
69分のVARでパレデスの警告が取り消され、72分にエンボロが2枚目を受けて退場。
そこから48分間、スイスのシュートは2本・枠内0本・xG 0.03 にとどまります。
15分あたりのペースは8分の1になりました。
10人になったスイスは76-90分に守備位置を 22.7 まで下げ、延長前半の支配率は27%。
それでも112分までは持ちこたえています。
交代枠は使い切っていたので、足りなかったのは采配ではなく人数でした。
決めたのは、いずれも xG 0.3 未満のシュートです。
0ゴールのメッシが両チーム最高の 8.92 を付けられたのは、xA 0.71 がチーム xG の約37%にあたるからでした。
準決勝の相手はイングランドです。
この試合のアルゼンチンは、11人対11人だった72分間、押し込まれていました。
敵陣でのタッチは171回で、スイスの285回に遠く及びません。
そのイングランドもまた、ノルウェーに90分間上回られ、延長でようやく勝ち上がってきたチームです。
押し込まれることに慣れた2チームが、準決勝で向き合います。
どちらが先にボールを手放すのか、そこが見どころになると思います。
データ:FotMob(xG・xGOT・チームスタッツ・採点・xA)、WhoScored(イベントデータ)
対象:FIFAワールドカップ2026 準々決勝 アルゼンチン 3-1 スイス(延長/2026年7月12日、カンザスシティ)。比較は同じ試合の退場前72分と退場後48分
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